第3話 日常

 些細な変化がありながらも、町にはいつも通りの時間が流れている。

 この時間こそ平和と呼ぶのだろう。

 下手をすれば退屈とでも思ってしまいそうなものではあるが、不思議とそんな気持ちは湧かなかった。


 町で起こるニュースは多種多様で、毎日何かしらの事件や事故が起こる。

 そのほとんどが警察やヒーローによってすぐに解決されるとはいえ、ただ生きているだけでも耳に入ってくる情報は多い。


 そんな話を友人としていると、時間はあっという間に過ぎていく。

 放課後になり、帰ろうとしていたはじめはふらりと現れた友人に捕まったのだ。


「は~じめちゃん。聞いた? 新しい種の怪獣が出たんだってさー」


 茶髪で制服をだらしなく着崩した男子生徒、早川はやかわ駿しゅん

 高校に入学してすぐに出会った人物で、現在2年生である二人は約1年ほどの付き合いがある。

 怪獣マニアである彼は緩んだ表情だがウキウキしていたようだ。


「あぁ、聞いたよ。なんか色んな特徴が混じってて強いって」

「ついに来ちゃったよ万能型。陸・海・空、全部いけるんだってさ。今はまだ弱いかもしんないけどいずれほんとに人類を滅ぼす奴が来ちゃうかもね」

「不謹慎過ぎない? 人類滅ぼす奴を待つなよ」


 呆れたはじめが困り顔で言えば、駿は何も気にせずへらへら笑う。

 駿は明るい性格で人懐っこいため友人が多い。見方によっては「チャラい」とも、「軽い」とも称される。喧嘩をしたりどこぞで揉めていたりと、やる気のなさそうな見た目に反して忙しない男だが、しかし不思議と周囲から愛されていた。


 はじめは学校でしか彼と会わないとはいえ、良い関係を築いていると思っている。好奇心旺盛なために彼の怪獣話に興味を持って付き合った結果であろう。

 二人は多くの生徒が通る廊下で立ち止まり、向き合っていた。


「今度新種が出たら見に行こうかと思ってんだよ。一緒にどう?」

「やめときなって。もう何回補導されたんだよ」

「まだ4、5回だろ? 10回までは大丈夫だと思ってる」

「勝手にね……」

「なはは。まあなんとかなるだろ。同好会作ろうかなー」


 気楽に言う駿に対して、心配も含めてはじめがため息をつく。とはいえあまり心配していない。彼は運動神経と要領がいいからだ。何かがあっても大抵の場合は自力でどうにかするのだろう。

 はじめがそう思う一方で、駿が顔を覗き込むように言った。


「俺よりさー、はじめちゃんの方が心配だぜ? 昔から変なこと多いらしいじゃん」

「別に平気だよ。なんとかなってる」

「俺って他の人より勘がいいのよ。前にも言ったっしょ?」

「うん」

「そんで今日に限っちゃ、はじめちゃんの方がなんかありそうな気がすんの。わくわくしないから怪獣とかじゃないと思うけど。ま、とりあえず気をつけといてよ」


 突然忠告をされた。いつも通りの緩い笑みを浮かべているがどうやらふざけているわけではないらしい。

 素直に頷き、はじめは受け入れる。


「わかった。一応気をつけとく」

「知らない人についてっちゃだめだよ? はじめちゃん気が抜けてるからなぁ」

「子供か。大体、どの口が言ってんだ」


 はじめが呆れるのも気にせず、駿は相変わらずへらへら笑う。

 何をやり始めるかわからないのは彼の方だ。おそらく冗談のつもりで言っただろう怪獣を見る同好会は、下手すれば本気でやりかねない。


 ただ彼に対しては何をやり出しても「別にいいか」という気持ちがある。

 特に止めようなどというつもりもなく、はじめは踵を返した駿を見送ろうとした。


「そんじゃ俺はちょーっと怪獣好きに話してみるかな。じゃーねはじめちゃん。また明日~」

「はいはい。また明日」

「くれぐれもお気をつけて~」


 駿は行ってしまった。

 気になることを言っていたとはいえ、友達として心配してくれたのだろうと、はじめはそのことについて深く考えなかったようだ。





 帰路についたはじめは、いつも通りの平凡な光景を目の当たりにしていた。

 空を飛んで町の治安を守るヒーロー。

 動物の姿で散歩する獣人。

 子供を連れて買い物をする人間。

 町は至って平和である。


 嫌な予感がする、と言われて、ふと思い出すことがあった。今朝見た夢はなぜか妙に頭の中に残っていて、まるで本当にあった出来事のようだと思ってしまう。

 しかしそんなはずはない、とも思うのだ。

 あれが本当なら自分はもう死んでいるではないか。


 今朝見たのはただの夢だった。

 そう結論付ける一方で、自らも普段とは違う嫌な予感を覚えている。

 これはいったい何なのだろうと、歩きながら頭を捻っていた。


「どうした少年。浮かない顔をしているな」


 まっすぐ前を見ながら歩いていると横から声をかけられた。

 振り返って相手を確認してみれば、そこに居るのは誰もが知っている男。ぴっちりした黒いボディスーツを着たヒーローである。

 名は“ブラックホール”。

 マスクを外したその顔は無精ひげを生やし、左目の潰れた、ダンディな中年だ。


「ブラックホール。休憩ですか?」

「ああ。最近は喫煙所が減っている。休める場所が限られて難儀しているよ」


 本人が言う通り、彼は喫煙所で煙草を吸っていた。

 だからといって何を思うというわけでもないものの、はじめは一応聞いておく。


「休むのはそりゃいいんですけど、ヒーローが白昼堂々マスクを脱いで喫煙所で煙草吸ってるのはいいんですか?」

「ヒーローだって人間だよ。だから人のために働ける。正体を明かさないヒーローなら神秘性で人気を集めるが、おっさんはもうそういうの疲れた。疲れた顔のおっさんと談笑しながら煙草吸うのが性に合ってる」

「なんか夢のない発言だなぁ」


 自分がどうということもなく、ヒーローに憧れているわけでもないとはいえ、ここまで明け透けかとはじめは呆れていた。

 町を守るヒーローチーム“ホワイト・オーダー”。10人で構成されるチームには様々なヒーローが所属しており、それぞれの活動方針があると認知されている。


 ブラックホールが年月とともに変化したのは周知の事実だった。

 若い頃は高い戦闘力に物を言わせた乱暴な部分があったが、いつからだったか市民に寄り添う姿勢を見せるようになり、今では市民と会話する姿は珍しくない。


 彼がはじめに声をかけたのは、はじめを知っていたからではない。

 ただはじめが何かを考えていそうな顔で歩いていたからだ。


「で、何か悩み事でもあるのか?」

「ん? いや、悩みってほどじゃなくて、今日はやけに友達から気をつけろって注意される日だなーと」

「厄日なのか?」

「さあ……俺に聞かれてもわかりませんけど」


 なるほど、と呟いてブラックホールは遠い目をする。


「運の悪い日ってのは誰にでもあるもんさ。俺もある日コーヒーを飲もうと自動販売機に100円入れようとしたら、落っことしてカラスに持ち逃げされたことがある」

「うーん、なんか、スケールが……」

「ヒーローなんてやってりゃそれ以上の嫌な思い出だってあるさ。だがそういう小さいこともふとした瞬間に思い出す。そういう日は自分じゃどうにもできねぇ」

「強いヒーローにそう言われると怖いなぁ」


 はじめがむむむという顔をすると、ブラックホールは楽しげに笑った。


「そんな顔すんな。人生は山あり谷ありだ。悪いことがありゃそのあとにはいいことがある。逆も然り。それでも少しずつ進むしかねぇんだよ」

「つまり、運が悪い日も受け入れなさいと」

「その通り。だが、命を落としかねないような危険が迫ったんなら、俺たちヒーローを呼べばいい。君らを守って死なせないのが俺たちの存在意義だ」


 煙草を一本吸い終えて、吸殻をぎゅっと潰して火を消した。

 ブラックホールはマスクを手に取り、被る前にはじめへ笑いかける。


「ま、時間さえあるならこうして話すこともできる。失恋したら言ってきていいぜ。おっさんは頑張れとしか言えないんだが」

「あはは。頼りになるんだかならないんだか」

「おっさん恋バナに弱くてね」


 真っ黒い、一切の装飾がないマスクを被り、いつも通りのヒーローとなった。

 高身長で筋肉隆々の体に、体のラインがはっきりわかる黒いボディスーツ、そして無駄な遊びが皆無の黒いマスク。言ってみれば全身が真っ黒いだけの人物だが、彼は今や最強のヒーローとして名高い。


「んじゃ、俺は仕事に戻るぜ。少年、よい一日を」

「どうもヒーロー。気をつけます」


 右手を軽く振って別れを告げ、ブラックホールは空を飛んで去った。

 町に居れば時折ヒーローに出会うことも話すこともあり得るが、振り返ってみれば彼と話したのは初めてだった。

 意外と嬉しいもんだ、などと思いつつ、はじめもまた振り返って歩き出す。


 今日は特に用事がなく、いつも一緒に居る友達も忙しいらしい。

 まっすぐ家に帰ろうと決めていて、はじめは迷わずに再び帰路についた。

 そしてその日、家の前に見知らぬ誰かが立っているのを見た。





「スンバラシイッ‼」


 不思議と会ったことがある気がする人物だった。

 異様に細い外見に、手足が長く、身長はおそらく二メートル以上。なぜか燕尾服を着ていて顔は見えない。古びた白い服を頭から被って、そこに笑っている様子の分厚い唇が描かれている。そして頭の上には黒のシルクハット。


 両腕を広げて声を弾ませ、表情は見えなくても楽しそうなのは伝わってくる。

 何かが気になり、はじめは彼の前から動かなかった。

 良くない気もするが自宅の前であることもあり、立ち止まって相手をする。


「誰ですか?」

「ウワーオ直球ッ! そしてナツカシイ響きッ! アナタってばワタシのことお忘れてですネッ! ワタシはアナタに会いたくて会いたくて震えていたノニッ!」

「え、震えてたの? それはごめんなさい」


 やけにリアクションが大きく、動作がうるさいとすら感じる。しかし好奇心旺盛なせいか、何か良からぬ予感がするせいか、はじめは逃げ出さずに話を聞いていた。

 怪しい人物は胸に右手を当て、左手を大きく伸ばし、楽しげな声で叫ぶ。


「ご存じ! ワタシはスマイル! スマイルでござーい!」

「スマイル……あっ」

「思い出しまシタ? そうデスッ! ワタシたち前に会ったことがあるですヨッ! アレは今から何年前ですカ? エッ⁉ 12年前ッ⁉ そんなバカナァ⁉」


 しばらくぽかんとしていたはじめだったが、名前を聞いて思い出した。

 今朝の夢に出てきた人物だ。

 外見も声色も動作も全く同じ。夢で見た通りの人物。そうなると、今朝見たものは夢ではないのか? 疑問を抱くが「あり得ない」と断じてもいる。

 もしもあの映像が夢ではなく現実だったとしたら、今がおかしなことになる。


「イヤー大変だったんですヨ。あのあとコノ世界から弾き飛ばされてしまッテ入ろうにも入れなくナッテしまって。イワユル着信拒否ってヤツですか? あんな感ジデ全く干渉できなくなってしまッテ」

「えーっと……」

「アナタに会いたかったんですヨゥ! なぜってアナタ! スンバラシイ空想力をお持ちダカラ!」


 スマイルは彼の反応など気にせずどんどん話を進める。

 はじめは困惑しており、発言を聞いてこそいるが理解はできないままでいた。


「ワタシアナタを勧誘しに来たんですッ! 我々のナカマになりませんカッ!」

「はあ? ちょっと、いきなり何の話……」

「ワレワレは“空想使い”を集めてイルのですッ! なぜってアナタ、新しい世界を作るためですヨ! ワクワクしませんか!」


 勢いも凄まじいのだが、何より発言の内容がいきなり過ぎて受け止めきれない。

 勧誘されているのは間違いないとはいえ、わからないことが多くて自分の中で整理することすらできない。

 ただ少なくとも、「スカウトマンはこの人じゃないんじゃないか?」という疑問だけははっきり持っていた。


「待ってくださいって。空想力とか空想使いとか、いきなり言われても意味がわからなくて、大体俺は別に普通の人間――」

「使ったジャナイですか! ソウ、アナタは特別! 普通ナンカじゃアリマセン!」

「いや……」

「生き返ったデしょう! ワタシの目の前でシッカリと!」


 そう言われた途端、はじめは発言をやめて固まった。

 スマイルがずいっと顔を寄せてきて、彼の目の前まで手を近付ける。


「あの時アナタは死んだのに! 今ここに居るアナタは生きている! これは空想力の発現ですよ! あの時アナタは無自覚に空想力を使い、自らを再生させただけでなくワタシをこの世界から弾き出した! さらに今日までワタシがこの世界に侵入することを一切許さなかった!」


 言葉に込められた熱が見る見るうちに高まっていき、今や恐怖を誘っている。


「アナタこそがフォース・チルドレン! 我々の仲間になりなさい!」


 はじめは硬直し、受け入れることも考えることもできずにいた。

 何が起きているかも何を言われているかも理解できていない。


 その一方、胸の内にぽっと現れた想いがある。

 嫌だ。

 理屈や状況を無視した、反射的な感情であった。


 強い感情が事象を起こす。

 はじめの周囲にある景色がぐにゃりと歪んだ。


「それェ‼」


 スマイルはその光景を見て嬉しそうだった。

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