第三二話 キスだけじゃ我慢できない
「何を仰いますの!? セックス以上に謂れもない誹謗中傷に傷つき塞ぎ込んでいる方を慰める確実な方法なんて存在するはずがありませんわ!」
相変わらず、優那はわけのわからないことを捲し立てている。
なんでこんなに自信満々なんだろうな?
まあ、互いに愛ある関係が成立していた場合は一定の効果も見込めるかもしれんが……。
「ときにはセックスからはじまる愛もあります!」
確かにそういう事例もあるのだろうが、それは断じて今この場に該当することではない。
「それに、そもそも服部さんはセイくんのことをすでに愛しておりますわ!」
いや、勝手なこと言うんじゃないよ。
「べ、別に、わたしはそんなんじゃないし……」
——と、急にそれまでまったく会話に参加してなかった服部が、紅茶の入ったカップに口をつけながら呟くように言った。
その横顔は何故か傍目から見ても分かるほど赤く染まっている。
おいおい、なんでこのタイミングでそういうこと言うんだよ……そんな態度を見せられたら、俺だって『え? ひょっとして……?』とか思っちまうだろうがよ……。
「まあ、昨日のミスコンでも、カスミ、最後のほうはずーっとセイジロのことガン見してたもんね……」
姫宮が膝の上で頬杖をつきながら、服部に意味ありげな流し目を送っている。
「ほら、間違いありませんわ! セックスをしましょう!」
いや、しねえよ。ボノボみたいになんでもセックスで解決しようとすな。
「あら、ボノボをご存知だなんて、セイくんも博識なんですのね」
褒められてしまった。
ちなみにボノボというのはチンパンジーによく似た霊長類の一種で、コミュニケーションや問題解決の方法としてやたらめったら性交をするという不思議な生態を持っている。
——ハッ! もしや、この女たち、実はみんな美少女の姿をしたボノボなのでは……?
「あ、ユナちゃん! 来てたんだ!」
——と、着替えを終えた深雪がリビングに戻ってきた。
姉貴のお古とはいえ深雪の体にはやはり大きいようで、オーバーサイズでコーディネートしたストリートファッションのような格好になってしまっている。
「あら、深雪さん! 今日はサユ姉さまの服を着てらっしゃるのね! またいつもと違った可愛らしさがありますわ!」
優那がさっそく深雪に飛びついて抱きしめている。
ほんとにお気に入りだな。というか、ちょっとペット感覚なところを感じる。
まあいい。今は服部の件が先だ。
なんだかよく分からんが、先ほどよりは幾分か顔色も良くなっている気がしなくもない。
ひょっとしたらホットミルクティーの効果がさっそく出てきているのかもしれない。
「そんなわけないじゃん。セイジロ、マジでそういう鈍感ムーブやめたほうがいいよ?」
わりと真剣に怒られてしまった。
姫宮、こういうときに回答を外すとめっちゃ手厳しいんだよな……。
「それに、そろそろその姫宮ってのもやめてほしい。マユたち、もう恋人同士なんだよ?」
あれ、そうだったっけ……?
「この前、ちゃんとアヤノコウジには許可もらったもん!」
え、そうなの?
「そうですわね。許可というか、セイくんと真剣におつきあいされたいと仰るので、こちらこそよろしくお願いしますと……」
いつものように深雪をバックハグしながら優那が答える。
そういえば、深雪も姫宮に対して先輩だの後輩だのというやりとりをしていたな……。
というか、なんでいつもこう、本来であれば大事そうなことにかぎって俺の意思が介在しないままに勝手に物事が決まっていくんだろうな?
「これからはマユって呼んで!」
服部の問題など忘れてしまったかのように、姫宮が詰め寄ってくる。
くそ……マユはちょっと恥ずかしいから、繭佳でも良いですか。
「んー……しゃーなしで許す!」
許された。まあ、そんなことより服部のことですよ。
「そんなことじゃないんだけど!?」
大声を出すな。
「……あんたたちのこと見てると、ヘコんでるのが馬鹿らしくなってくるわ」
服部がチビチビと紅茶を飲みながら言った。
ひょっとしたら猫舌なのかもしれない。
その表情はまだ元気になったとはさすがに言い切れないが、それでもこの家に来たばかりのころに比べれば随分と生気が戻ってきている。
「服部さま、わたしたちに協力できることであればなんでも言ってください」
――と、ここにきて、何故か急に有紗が改まった口調でそう告げた。
服部の前まで歩み出て、その瞳をじっと正面から見据えている。
なんだろう……言ってることはとても素晴らしいことであるはずなのに、コイツが自ら行動を起こしたというだけで不安な気分にさせられるな。
服部はしばし有紗と無言で見つめ合ったあと、何故か二人同時にこちらに顔を向けた。
ああ、これは絶対に面倒なことになる流れですわ……。
「あ、あの、セトくんにお願いがあるんだけど」
俺にお願いですか。もうこの際だからなんでもしますよ。
服部は紅茶のカップに口をつけたまま、上目遣いに俺の顔を見る。
「……き、キスしてほしい」
「なんでよ!?」
そう声を上げたのは深雪だった。
その言葉に対しては大いに同意できるのだが、コイツはコイツで面倒だな……。
深雪は眉を鋭角に吊り上げながら優那の腕の中で拳をギリギリと握りしめていた。
しかし、そんな深雪をたしなめるように、その耳許に優しく優那が囁く。
「落ち着いてください、深雪さん。やはりセックスこそが傷ついた心を癒すのです」
セックスではない。少なくとも。
とはいえ、キスを求められる理由もよく分からんが……。
「分かってないなぁ、セイジロは……」
何故か姫宮——ではなく、繭佳に呆れた目で見られる。
「キスされると頭がボーッとしてきて、他のことなんてどうでも良くなっちゃうんだよ?」
くっ——確かに、そんなふうに言われただけでも俺のちんちんに電流が走ったので、間違いなくそういった一面もあるのかもしれんが……。
「カスミちゃんにキスするなら、あたしにもしてほしい!」
深雪がまた無茶なことを言っている。
そんなこと認めてしまったら乱痴気騒ぎは不可避なので受け入れられません!
「そもそも深雪さまはすでに抜け駆けをされていますよね?」
——と、今度は有紗から鋭いインターセプトが入った。
もう少し手心を加えてくれ、有紗。それは俺にも効く。
「……深雪さん?」
「ま、まあ、キスくらいなら特別に許してあげるよ」
バックハグをする優那の腕に力が入り、締めつけられて焦った深雪が慌てて取り繕った。
というか、有紗だって深雪を糾弾できる立場ではないと思うのだが、そこに突っ込むと最終的には確実に俺の首も締まるのでやめておくことにする。
とはいえ、マジでするのか?
この場で服部にキスを? 本当に?
「ほら、セイジロ、カスミを元気づけてあげてよ!」
繭佳にバシバシと背中を叩かれる。
コイツ、自分が何をさせようとしてるのか分かってんのか?
「セトくん……」
気づけば俺は服部の前まで追い立てられていて、ソファに座ったままの服部も潤んだ瞳で俺を見上げている。
マジでなんなの、この状況……。
本当に俺が服部にキスすれば状況は良い方向に転がっていくんですか?
「セイジロの都合とか状況とかどうでもいいよ! カスミが元気になるかならないかが大事でしょ!?」
た、確かに。そう言われるとぐうの音も出ぬ。
仕方ない……俺も腹を括るか。
どうやら服部にもそんな俺の覚悟が伝わったらしく、目を伏せながらこちらに向けて顎先を上げている。
やれやれ……どうなってもしらんぞ……。
※
「こんなときに言うのは変かもしれないけど、わたし、セトくんのこと、本気で好きになっちゃってるのかもしれない……」
「だって、わたしが辛いとき、いつもそばに居てくれて、元気づけてくれて……そんなの、好きになるなっていうほうが無理でしょ……」
「責任とってよ……もう、キスだけじゃ我慢できないよ……わたしもぜんぶ、セトくんのものにしてほしい……」
耳に残っているのは、そんな甘やかな言葉の羅列――。
……あのあと、何が起こったかって?
そりゃ、乱痴気騒ぎさ。
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