第三一話 セックスをしましょう
「あれ、アリサちゃん、もう来てたんだ」
シャワーを浴び終えた深雪がバスタオル一枚の姿でリビングに出てきた。
いいからまずは服を着なさい。下着も乾いてるはずだから。
「はい。お昼前にはお嬢さまもお目見えになられると思います」
エコバッグに入っていた酒類をテレビラックの冷蔵室にしまいながら、有紗が答える。
我が家は意外にも金には苦労していないので、こういういかにも成金が使ってそうな家具があったりするのだ。たぶん姉貴がVewTuberに影響を受けて買ったのだろう。
「ユナちゃんは何か用事?」
「はい。今日は月に二回のピアノのレッスンの日です」
「二回だけなの?」
「ほとんど復習のためだそうです。もう基本的な教程は終えられていますので」
「へー、そうなんだ……それはそうと、有紗ちゃん、なんか汗かいてない?」
ピクッと有紗の肩が震える。はてさて……。
「……そうでしょうか?」
「ワンピース、汗ジミがすごいなーって」
「今日は外が暑かったので……」
そうそう。暑かったから仕方ないね。頼む、それ以上は突っ込まないでくれ。
「まあ、あたしがゴチャゴチャ言える立場じゃないけどね……」
それだけ言って、深雪は姉貴の部屋のほうへと消えていった。
「……危ないところでしたね」
有紗が顎の下の汗を拭いながらふーっと息を吐いている。
いや、危ないどころかバッサリ切られてただろ。なんで避けられたと思ってるんだ?
まあいい。これ以上は言及すべき話題ではない。
俺はスマホでレックスのアプリを起動すると、あれから高橋のタイムラインに新しい動きがないかを確認することにした。
『みんなありがと! あーしもちゃんとホンキでやれば普通に優勝できたと思う! ユダンタイテキ!』
ファンか何かのコメントに対して返答をしているようだ。
遡ってメンションを辿ってみると、囲いと思われる面々が高橋を擁護するとともに服部を『空気の読めない勘違い女』として叩いているようだ。
服部がわざわざこういった投稿をエゴサーチなどで見に行っていないか心配だが……。
——と、そのとき、チャイムが鳴った。
インターホンを受けると、カメラに姫宮の顔が映った。
俺は入口のオートロックを解錠して、すぐに姫宮を迎え入れる。
ほどなくして我が家に訪れた姫宮と服部であったが、服部の顔は俺が想定していたより酷いものだった。
「昨日からぜんぜん寝れてなくて……」
そういう服部の目はすっかり腫れぼったくなっていた。
寝不足によるものもあるだろうが、おそらく泣いたことによる影響もあるのだろう。
ちゃんと外行きの格好をしている姫宮と違い、服装はほとんど部屋着のままだった。
着替えることすら満足にできなかったところを、無理やり姫宮に連れて来られたといったところだろうか。
まあ、もともとあまり打たれ強いほうではないようは気はする。
ミスコンのはじまる前もかなり緊張していたし、これまでの彼女を見ていても先のことを考えすぎて不安に押し潰されやすい傾向は感じられた。
ひとまず俺は服部をリビングのソファに座らせると、キッチンに行って湯沸かし器でお湯を作りながらパックの紅茶を準備する。
一緒についてきた有紗がカモミールティーをチョイスしてくれて、さらに小鍋で牛乳を温めてくれた。
カモミールとホットミルクにはどちらも気持ちを落ち着ける作用がある。
眠れていないというのであれば、まずは休める環境を作ってあげることが最優先だろう。
手早くホットミルクティーを用意すると、疲れが取れるようにと少し多めの砂糖を入れて服部のところに持って行った。
「……おいしい……ありがとう……」
そういう服部の目はまだ少し虚だったが、それでもいくらか不安や焦燥感がまぎれているように感じられた。
服部の隣には姫宮が寄り添っていて、その肩を抱きながら背中を優しくさすっている。
「服部のスマホは見たか?」
俺が訊くと、姫宮は自分のポケットからスマホを取り出してパスコードを入力してから俺に差し出してきた。
「これ、服部のか?」
「うん。放っておくとすぐにレックスとかインストとか見ようとするから、マユが預かることにしたの」
なるほど、賢い判断だ。
勝手ながら服部のスマホでレックスのアプリを起動してみると、想像してよりもずっとたくさんのDMが来ていることに思わず唸り声をあげてしまった。
レックスにはDMを承認制にする設定があったはずだから、俺がメッセージを送ったあとにちゃんと設定していたとしたらもう増えることはないのだろうが――。
それでも、すでに気が滅入るほどの量のDMが届いていた。
「タカハシ先輩って、レックスとかインストでも普通に写真あげてるからモデルとか関係なくファンがいるみたいで、そういう人もDM送ってきてるみたい」
姫宮がそう教えてくれる。
なるほど、高橋はインフルエンサー的な活動もしていたということか。
だとしたら、むしろDMの発信元はそちらのファンと見たほうが自然かもしれないな。
単にポップチューンの読者ファンが暴走してるだけならどうせ遠からず沈静化するだろうと思っていたが、これは何か対策を講じなければまずいパターンかもしれない。
——と、そのとき、また玄関の扉が開く音がした。
おそらくは優那だろう。
「セイくうぅぅぅぅぅうんっ!」
ダダダダ……ドバーンッ! ——と、いつもの調子で優那がリビングに飛び込んでくる。
「……何かありましたの?」
そして、いつもとは明らかに異なる空気に鼻白んでいた。
俺はひとまず優那に状況を説明する。
実はかくかくシカジカこしたんたんで……。
「なるほど……」
優那はしたり顔でふんふんと頷いたあと、すぐに両手をパンっと合わせて口を開いた。
「とりあえず、セックスをしましょう!」
出たよ。このとりあえずセックス論者め。
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