第二三話 一緒に前に

「なんでそんなこと、俺に相談しようと思ったんだ」


 服部の頭を撫でながら、俺が訊いた。


「……あなたなら、ちゃんと話を聞いてくれると思ったから」

「別に俺じゃなくたって、服部が腹を割って話をすれば、きっとみんな聞いてくれたさ」


 なんとなくだが、服部の根底に抱えている問題が見えてきた気がする。

 頭も良くて、目的に対して邁進する意志の強さもあるのに、その境遇のせいで自分自身を心のどこかで卑下してしまっている。

 だから、肝心なところで自信が持てずに周りを妬んだり、歩みをとめたりしてしまう。


 服部には、誰かが言ってやらないといけないことがある。


「中学でも生徒会長やってたんだろ」


 引き続き服部の頭を撫でてやりながら、俺が訊いた。


「うん……繭佳に聞いたの?」

「ああ」

「繭佳も、メイクアップアーティストになりたいって、自分で勉強してるのよ。あの子もあの子なりにちゃんと夢を追いかけてる……」

「中学時代の生徒会の仕事は、楽しくなかったのか?」

「それは……楽しかった……忙しかったけど、遣り甲斐はあったわ」


 服部が、膝の間に埋めていた顔を少しだけ上げた。


「橘先輩と一緒に生徒会をやったら、きっと楽しそうだとは思わないか?」

「でも……」


 俺は中学時代の服部を知らないから勝手なことは言えないが、もし彼女が本当に内申点のためだけに生徒会長をやっていたというのであれば、この話は終わりだ。

 ここまで迷いが出ている時点で、もう今回の選挙は挑戦するだけ無駄だろう。


 ただ、俺はそうではないと思っていた。

 服部は確かに内申点のために生徒会長を志したのかもしれないが、その責務はしっかりと果たしていたのではないか。


「別に内申点のためだろうがなんだろうが、きっかけはなんだって良いと思うけどな」


 俺は服部の頭から手を離した。

 服部が顔を上げ、その視線をこちらに向ける。


「みんなが見てるのは、服部が何をして何を残すかだ。理由なんて気にしやしない。そんなことでいちいち心を痛めてるのは、今もこれから先もきっとおまえだけだ」

「そ、そんな言いかた……」

「姫宮は……」


 俺はふと、姫宮と初めてまともに会話したときのことを思い出していた。


「姫宮は服部のことを『勉強ができて生徒会長もやってて、見せつけられてるようでキモいんだよね』と言っていた」


 あのときの姫宮の顔は、今の服部に少し通じるものがあるような気がした。


「姫宮には、きっと服部がキラキラして見えてたんだ。まあ、僻みだろうな。今のおまえが橘先輩に感じているものと、たぶん一緒だ」

「そ、それは……」

「別に、今ここでキラキラしてる必要はないんじゃないか? きっかけが内申点目的だろうとなんだろうと、おまえは生徒会に入ればきっとまた輝きはじめるさ」

「そ、そんな……し、知ったふうなこと言わないでよ!」


 服部が俺から顔を背け、自分の爪先のあたりを睨みながら声を荒げる。

 ただ、それがただの照れ隠しなことくらいは、誰に説明されなくても分かっていた。


「服部、おまえには責任がある。もうみんな、おまえを会長選で勝たせるために動き出してるんだ。そのために頭も時間も使ってくれてる。ここでおまえが逃げ出すってことは、そういったみんなの厚意に背くことだ」


 言ってるうちになんだかおかしな気分になってきて、俺は少し笑ってしまった。


「逃げるな、とは言わないさ。服部、おまえはきっとここまで言われて逃げるような心の弱い人間じゃない。だから、俺から言えることはひとつだけだ」


 俺は、西日に顔を真っ赤に染める服部の目を正面から見据えながら、言った。


「覚悟を決めろ。勝っても負けても、どうせおまえは橘先輩と生徒会をやるさ。だから、今はとにかく俺たちと一緒に前に進むことだけ考えればいい」


 服部は何も答えず、ただこちらに顔を向けたまま目を丸く見開いていた。

 光が強いほど影が濃くなるように、輝いている人がそばにいると自分の中にある輝きを見失ってしまうことがある。

 でも、そんなことはよくあることで、別に気にする必要なんてないのだ。

 そして、わざわざ周りの人間が一緒になって悩んでやる必要もない。

 輝きはいつだって自分自身の中にある。

 俺みたいな外野ができることは、その輝きに気づかせてあげること――そして、その背中をほんの少し押してやることくらいのものだ。


「……ぷっ……」


 何故か服部が急に噴き出した。


「あっはは、なにそれ! セトくん、言っちゃ悪いけど、めちゃくちゃオッサンくさいよ」


 失礼な。まあ、盆栽が似合いそうだとは言われたがな。


「あーあ、なんか馬鹿みたい。なんでこんなことで悩んでたんだろ」


 まあ、往々にして悩みなんてそういうものだ。


「あたしは選挙に勝つ。そして、生徒会長も真剣にやる。それでいいのよね?」


 そういうことです。


「はーぁ、分かってみれば簡単なことだったわ。でも……」


 ふぅーっと長いため息を吐いて、それから服部がベンチの上でモゾモゾとお尻を動かしながら俺のすぐ横まで体を寄せてきた。


「ありがとう。やっぱり、セトくんに相談してよかった」


 ほとんど息がかかりそうな距離で、服部がこちらを見上げてくる。

 ち、近い。そして、清楚系ギャルメイクの服部は近くで見るとマジで可愛い。

 くそ、急に胸がドキドキしてきやがったぜ……。


「貸しにしておくよ」


 俺は胸中の狼狽をなんとか誤魔化しつつ、ニヒルな感じでそう応じた。

 ふう、油断してたら危うくそのままキスをしてしまいそうな雰囲気だったぜ。


「そこです……! そこでキスをするんですのよ……!」


 ふと、何処かから俺の胸中を読んだようにそんな声が聞こえてきた。

 おいおい、この声、この期に及んでまだ帰ってなかったのか……。


「だ、ダメだよ、ユナちゃん……! カスミちゃんまで本気になっちゃう……!」

「セイさまの唇には謎の魔性が宿っていますからね……」

「分かるぅー……マユもあの感触がずっと忘れらんなくてさぁ……」

「えぇ!? マユちゃん、セッちゃんとキスしたことあるの!?」


 深雪、声がデカいよ。もうちょっと隠す努力をだな……。

 

 ――と、そのとき、ずいっと服部の手が伸びてきて俺の顔を掴んだ。

 何事かと思い、そして、マズいと思ったときにはもう遅かった。

 次の瞬間、俺の唇は服部の唇によって塞がれていた。


「……これで、貸し借りなしだから」


 そう言ってニヤッと笑う服部の顔が真っ赤だったのは、本人由来のものなのか西日によるものなのか判断がつかなかった。


「あーっ!」「あーっ!」


 深雪と姫宮が花壇の陰で同時に声を上げている。


「やりましたわね、服部さん! 歓迎いたしますわ!」


 そして、何故か優那は満足げに頷いていた。

 おかしいな……ちょっと前まで、いちおうシリアスな感じだったよな?


「わたしならあの一瞬でも舌を入れていたと思うので、まだシリアスですね」


 なるほど。でも、有紗を基準にするほど俺も愚かではないよ。

 というか、歓迎いたしますってなんだ……?

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