第二二話 わたしにはなんにもない

「セトくん、ちょっと時間もらってもいい?」


 花壇の水遣りも無事に終わり、いよいよ本当に帰ろうとする段になって、今度は服部が声をかけてきた。

 ただ、その様子があまりに真に迫る感じだったため、誰もそのことに対して口を挟んでくるものはいなかった。

 俺たちは校門まで優那たちを見送っていくと、いったん何処かで落ち着こうかということで、けっきょくまた中庭まで戻ってきてしまった。


「話ってのは、選挙のこととか、その、橘先輩のこととかなんだけど……」


 中庭にあるベンチに腰を下ろしながら、服部が言った。

 そんなことは言われなくても分かっている。

 きっと、橘先輩と話をしているときに何かあったのだろう。


「今さらなんだけど、わたしなんかが生徒会長になっていいのかなって思っちゃって……」


 西日にその顔を染めながら、服部が儚げに笑う。

 まさに何を今さらといったところではあるが、橘先輩と話をする中で思うところでもあったのだろうか。


「橘先輩って、凄いんだよね。ちゃんと自分で見て、ちゃんと自分で考えて、ちゃんと自分でやろうとしてる。わたしなんかとは大違いでさ……」


 そう言って、服部は膝の上で頬杖をつきながら力なくため息を吐いた。

 まあ確かに、橘先輩はあのおっとりした見た目に反してかなり有能な人物には違いない。

 すでに廃止されつつあった校外学習の復活という実績もある。


「本当はさ、橘先輩みたいな人が生徒会長になったほうが良いんじゃないかなって、話をしているうちに思ってきちゃって……」


 そう言って、初めて服部が俺のほうに顔を向けた。

 笑っているような泣いているような、そんな顔をしていた。


「橘先輩とも、そういう話をしたのか?」


 まっすぐに服部の目を見つめ返しながら、俺が訊いた。


「ううん、わたしが勝手にそう思ってるだけ」


 服部は首を振る。

 なら、話は簡単だ。これまでの目標どおり、服部は服部で会長の座を目指せば良い。


「でも……」


 俺から目を逸らしながら、服部が眉を顰めた。


「この学校のことを思ったら、わたしみたいに自分のことばっかり考えてる人間より、先輩みたいにちゃんと学校の未来を考えている人が生徒会長になったほうが、みんなにとっても良いんじゃないかなって……」


 シューズの爪先をユラユラと揺らしながら、力なく服部が呟く。

 まあ、気持ちは分からないでもない。

 橘先輩の話を聞いていれば、確かに生徒会という組織を用いてこの学校の未来をより良いものにしていこうという意志を感じることができる。

 ただ、おそらくだが橘先輩はそこまで学校のことや在校生のことを最優先に考えているわけではなくて、基本的には自分が楽しいからやっているような印象だった。

 それに、今回の会長選に関しても、現生徒会長のリーダーシップに問題を感じての立候補だという話だったはずだ。

 別に橘先輩自身は会長の座に固執しているわけではない。


「でも、どうせだったら橘先輩が会長になるのが一番おさまりがよくない?」


 それはまあ、理屈だけで言えば確かにそうだろう。

 だが、それなら服部の目的はどうなる?

 そもそも服部にだって、内申点のためという大事な目的があったはずだろう。


「だからさ、そんな下心満載なわたしに生徒会長になる資格があるのかなって話よ。橘先輩の話を聞いてたら、逆に恥ずかしくなってきちゃったわ」


 実際、あのときはどんな話をしていたんだ?


「え……? それは、たとえば校則の改正をするとして、まずはどのあたりから着手するのかとか、どれくらいの期間をかけるのかとか、第三者委員会を別に作るのかとか、最終的な決定は生徒会で行うのか、改めて学生選挙を行うのかとか……」


 おお、かなり本格的に踏み込んだ話をしたみたいだな。 

 そりゃ直前まで何も考えてなかった服部からしたら度肝も抜かれるか……。

 しかし、俺からすれば別にそれがなんだという話ではある。

 仮に服部が会長の座についたとしても、橘先輩の目的に大きな影響はないはずだ。

 これまでどおり副会長あたりにでも収まって生徒会の活動に従事してもらえばいい。

 もともと服部と橘先輩の公約は同じ方向を向いているわけだから、橘先輩が会長になろうと副会長の座にとどまろうと、彼女の目的は達せられるのだ。


 むしろ、だからこそ橘先輩は服部と話がしたかったのだと思う。

 橘先輩にはおそらく根底に『今の会長はダメ』という思いがある。

 つまり、現生徒会長をその座から引き摺り下ろせればそれでかまわないのだ。

 それは服部にとって好都合なはずだ。

 今回、たまたま意見交換もできて少しでも信頼関係を築けたのだとしたら、むしろ服部はこの状況をうまく利用すべきだ。


「なんであんたはそんなにクレバーになれるのよ……」


 何故か服部は呆れたような目で俺を見ている。なんかおかしなこと言ったかな。

 そもそも服部はどうしてこんなにもあっさり心が折られているのか。

 わざわざ生徒会長を目指すくらい内申点への強いこだわりがあるのではなかったのか。


「そりゃ、内申点は欲しいわよ。阪浪大の指定校推薦がとれなかったら、わざわざこの学校に来た意味がないもの」


 やはり推薦狙いか。

 特待生枠を狙っているのか?


「そうよ。阪浪大は指定校推薦を受けておけば特待生枠に入れる可能性が高くなるの」


 なるほど、そういうシステムがあるのか。

 というか、もう今の時点で何処の大学に行くかまで決めているんだな。


「阪浪大、偏差値のわりに就職に強いからね。うちは下に小さいのが二人もいるのに父親が蒸発しちゃったもんだから、本当なら中卒で働くことも考えてたのよ。でも、母さんが今の時代は大学くらいは出ておいてほしいって言うから、それならできるかぎりお金がかからない方法を選ぼうってわたしなりに考えたの」


 思った以上に苦学生だった。

 そりゃ優那のような恵まれた境遇に対して反骨心を抱くのも自明か。

 だが、だとしたらなおさら生徒会長の座にはこだわっていくべきではないのか。


「そうかも知れないけど……なんかさ、そういう自分が浅ましく思えてくるのよね」


 服部が自嘲気味に笑う。その目じりには光るものが浮かんでいる。


「橘先輩、すごくキラキラした顔で話すの。自分がこれからやろうとしていることで、学校や生徒の生活が変わっていくことを想像してるんだと思う。確かに先輩は自分が楽しいからやってるのかもしれないけど、公約から選挙戦略まで周りの人に考えてもらってるわたしとはぜんぜん違う」


 顔は笑っているのに、その声は震えていた。

 服部の目じりから涙の粒がハラリと零れ落ちる。


「わたし、ほんとになんにもないなって。周りばっかりキラキラして見えて、そういうのに僻んじゃう自分も嫌で、どうしたらいいのか分かんなくって……」


 服部は、そのままベンチの上で膝を抱えて肩を震わせはじめてしまった。

 やれやれ……俺は自分がだいぶ無自覚キモ男ムーブをやっていることを自覚しつつも、気づいたときには腕を伸ばして服部の頭を優しく撫でてやっていた。

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