第二一話 あなたに会いたくて
服部美少女化計画が無事に終わったあとのことである。
みんながそれぞれに帰途につこうとする中、俺は少しだけ中庭に寄ることにした。
いなければいないでかまわないと思っていたが、その人物は今日も中庭にいた。
「橘先輩」
「あらぁ、セトくん?」
橘先輩は今日は一人で花壇に水遣りをしていた。
中庭の水遣りは基本的に当番制のはずだが、先輩の担当は何曜日なのだろう。
「どうしたの? セトくんは火曜日の担当じゃなかったかしらぁ」
「先輩に会いたくて来ました」
「えっ……そ、そうなのぉ?」
橘先輩の顔が夕日の中でも分かるほど赤く染まる。可愛い反応をしてくれるぜ。
しかし、別に俺は橘先輩をナンパしたくて来たわけではない。
本当に先輩に会いに来たのだ。
「今日は一人ですか?」
他に委員の姿が見えないことは分かっていたが、いちおう訊いてみる。
「さっきまで水附先輩がいたけど、今日はあたしだけねぇ」
橘先輩は困ったように笑っている。
水附先輩が言っていたように、相変わらず当番制は形骸化しているようだ。
これからは俺も当番に関わらず手伝うようにしようかな……。
「先輩は何曜日の担当なんですか?」
「あたしは決まってないわよぉ。生徒会の関係でいつ来れるか分からないからぁ、来れるときはできるだけ来るようにしてるのよぉ」
なるほど、それで今日も水遣りに来ていたというわけか。
「先輩は、今年はもう園芸委員のほうは辞めようとか思わなかったんですか?」
なんとはなしに如雨露に水を入れながら、俺が訊いた。
「えー? なんでぇ?」
ガーベラの花壇のほうにホースを引っ張りながら、橘先輩が訊き返してくる。
別に深い意味はない。今年も生徒会を続けるつもりなら、無理に園芸委員を続ける必要はなかったのではないかという単純な疑問からだった。
「んー、あたし、生徒会の仕事も好きだし、お花も好きだからぁ」
橘先輩がシャワーでガーベラの花壇に水を撒きながらニッコリと笑う。
ううむ、眩しい人だ。
俺は発芽したばかりのベゴニアの花壇に如雨露で水を撒きながら、一人で唸ってしまう。
――と、そんな折り、ゾロゾロと大挙して中庭に訪れる集団の姿が見えた。
先ほどまで一緒に服部美少女作戦を行っていた面々だった。
「セッちゃん、何してんの? 早く帰ろうよー」
ドールメイクでいつもより三割増しくらい可愛い深雪が唇を尖らせながら言った。
その後ろには優那や有紗はもちろん、姫宮や服部もついてきている。
先に帰ってれば良かったのに、わざわざ待っていたのか。
「あらぁ、セトくんのお友達? 可愛い子ばっかりねぇ」
突如として現れた皆の姿に橘先輩が目を丸くしている。
むむむ……これはちょっと面倒なことになったかもしれない。
本当は橘先輩に文化祭当日にどうするつもりなのか訊くつもりだったのだが、この流れでは訊きづらくなってしまいそうだ。
「セト、ひょっとしてエンゲー委員なの?」
興味深そうにチューリップの花壇を覗き込みながら姫宮が訊いてくる。
まあ、さすがに優那や有紗は知っているだろうが、他は俺が園芸委員だなんて知らなくて当然かもしれない。
そもそも俺に植物を愛でる趣味があるなど知りもしないことだろう。
「えー! セト、花とか好きなの!? めっちゃポイかも! おうちでボンサイとかやってそうだもんね!」
姫宮がめちゃくちゃ無邪気に言ってくるが……。
——それってつまり地味だから!?
地味系男子だから盆栽とか似合うよね……ってコト!?
「あ、ちが……! ご、ゴメン! 気を悪くしないでよ! こういうの似合っててイイなって、そういうことだから!」
姫宮が取りなすようにそう言いながら、ものすごい勢いで飛びついてくる。
ぬおお、腕にボインの柔らかい感触が……。
「これはもしや……失言カウンター……!?」
有紗がよく分からないことを言いながら顔を青ざめさせている。
「なんですの、それ?」
隣で優那が首を傾げていた。
「一度、失言を挟んで相手の心を浅く傷つけ、相手が不機嫌になったり気落ちしたところにすかさずフォローを入れるふりをしながらスキンシップをはかるセルフカウンターです!」
「まあ! 世の中にはそんな方法があるんですのね!」
優那が驚愕に目を見開く。
いや、そんな手法は初めて聞いたが……というか、むしろ優那自身がクラシックツンデレスタイルですでに散々実施していることのような気もする。
「ちょっとマユちゃん、あんましセッちゃんにベタベタしないでよ!」
深雪がいつものようにヤキモチを妬いている。可愛い。
「えー? 反対の腕あげるからいいじゃん!」
「いーやっ!」
深雪はそのまま背中から抱きついてきた。
くそ、水が遣りにくいぜ……。
「あらぁ? あなた、ひょっとして服部香澄さん?」
——と、橘先輩が少し奥で控えていた服部に気づいたようだ。
服部も敢えて少し距離を取っていたあたり、橘先輩の存在には気づいてたのだろう。
やや気まずそうな表情をしながらも、服部がその場で橘先輩に向かって頭を下げている。
「まあまあ! セトくんのお友達だったのねぇ! すっごい偶然! あたし、できれば選挙の前に一度あなたとお話ししてみたいと思ってたのよぉ!」
橘先輩が破顔して、ホースをその場に放り出しながら服部のほうに駆け寄っていく——が、途中で躓いて転びかけた。
たまたま手のとどきそうな範囲だったので、姫宮と深雪を引っつけたまま腕を伸ばして抱きとめる。
おお、やっぱり見た目のゆるふわなシルエットどおりかなり豊満な感触……。
「ご、ご、ごめんなさい! わたし、慌てるとすぐ躓いちゃってぇ……」
まあ、分かりますよ。そういうキャラっぽいですもんね。
橘先輩は慌てたように俺の体から身を離すと、真っ赤な顔をしながら再び服部のほうに駆け寄って行った。
あの先輩のことだから、きっと政策論議でもしたいのだろう。
似たような公約を掲げているわけだから、両者の間で共通する部分、あるいは異なる部分の情報共有を行うことでブラッシュアップを図りたいのかもしれない。
おそらくだが、今の橘先輩はあくまで生徒会の円滑な運営のために動いている。
決して生徒会長の座に固執しているわけではない。
ひょっとしたら、橘先輩と服部の間でうまく意見の一致が見られれば、先輩が服部に会長の座を譲ってくれる可能性についても期待できる。
たまたま偶然の邂逅ではあるが、これはまさに千載一遇の好機なのかもしれない。
——と、そんな思いで二人の姿を遠巻きに眺めていると、左右の頬っぺたをそれぞれ別々の手で引っ張られた。
「セトはさ、ここにしっかりあんたのことが気になってますよってアピールしてる子がいるのに、なんで別の女のほうばっか見てんの?」
「そうだよ、セッちゃん。もう堕としたオンナには興味ないってコト?」
うおお、ギャル二人に詰め寄られるとか、ここは天国か?
どうしよう、いつもならちゃんと言い訳をしてこの状況からの脱出を図るところだが、今回ばかりはもう少しこの楽園を享受したい……!
「セイくん、本当にギャルに弱すぎませんこと……?」
「おそらく幼少期よりお嬢さまの高貴なオーラにさらされ続けてきた反動でしょう。わたしも姫宮さまよりギャルメイクの技法を伝授していただかねば……」
少し離れたところで綾小路家の面々が勝手なことを言っていた。
というか、まだ水遣りが途中なんだが、君たち手伝ってくれませんかね?
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