第七話 放課後デート
「……ん、はぁ……」
穂村先生はソファの上でぐったりしている。
面白いほど狙いどおりにことが運んでしまった。
逆に変なクセがついてしまいそうだ。
誤解がないようにあらかじめ申し開きをしているが、別に襲ってはいない。
あくまでちょこっと口づけをしただけだ。
……まあ、多少はねちっこくしたかもしれんが。
ファーストキスがこんな形になってしまってすまぬ、先生。
あとは先生が再び覚醒する前にこの場を去るだけだ。
保健室を出るところを誰かに見られないようにだけ気をつけよう。
※
「女の匂いがする悪い男がいるなぁ……」
荷物を取りに教室に戻ってくると、鞄を担いだまま待ちぼうけしている深雪と遭遇した。
小さな鼻をヒクヒクとさせながら半眼でこちらを睨んでいる。
教室にはもう残っている生徒の姿はほとんどなく、優那は例の実力テストがあるから先に帰っているのは当然として、今日は珍しく有紗の姿も見えない。
「一人か?」
俺が訊くと、深雪はこっくんと頷いた。
「お昼のアレもあったし、アリサちゃん、今日はユナちゃんのお手伝いするってさ」
なるほど。まあ、有紗の本来のお役目は優那の身の回りの世話であるわけだし、いつも俺にかかずらっていること自体がそもそもおかしくはあった。
だが、それはいいとして、深雪はどうして一人で残っていたのだろう。
「それ、わざわざ訊く?」
深雪が人目も憚らず身を寄せてきて、俺の胸許に顔を埋めるようにして匂いを嗅ぐ。
「悪い女に絆されたのかな? これはマーキングをしなおす必要があるなぁ……」
そのまま深い闇色の瞳で見上げられる。何やら危険な感じだ。
コイツ、俺が穂村先生といたことに気づいてるのか……?
ヤキモチの妬きかたが以前と少し異なるのは、やはり色々な経験が深雪をオトナにしてしまったからだろうか。
少し前までのような少女然とした感じも可愛らしかったが、暗い情念を感じるこのような嫉妬のされかたもこれはこれでちんちんに来る。
「何処か行きたいところでもあるのか?」
とりあえず、放課後デートにでも誘うかと思って訊くと、深雪はパッと瞳を輝かせた。
「ダスキンロビンスの限定フレーバー食べに行きたい!」
なるほど、あのアイスクリーム屋か。
女子って限定ナニガシに引き寄せられる習性があるよね。
「それは男の子もでしょ?」
それもそうか。人のサガというやつだな。
――というか、周りの目もあるしそろそろ離れてくれませんかね。
「いやっ。オンナの匂いが消えるまで離れない」
コイツ、マジでマーキングするつもりか。
せめて深雪と遭遇する前に荷物を回収できれば、リセッチュも使えたろうに……。
まあいい。この件に関しては今さら人の目を気にしても仕方ない。
俺は自分の机から鞄と荷物を回収すると、俺の体に両手を回して完全にホールドしている深雪をずりずりと引きずりながら教室をあとにした。
※
深雪の希望で、俺たちはユーズモールにあるダスキンロビンスに行くことにした。
限定フレーバーのアイスクリームを食べたあとに、同じユーズモール内にあるSARAというアパレルショップで服を見たいのだという。
そういえば確かにSARAはギャルっぽいアパレルも取り扱っていた気はするが――。
「てっきり108とかで買ってるもんだと思ってたけど」
俺の腕を抱えるようにして歩いている深雪を見下ろしながら、俺が言った。
今日はもう絶対に離さないという堅い意志を感じたので、俺も早々に諦めてしまった。
ちなみに108というのは、ユーズモール内にある渋谷をイメージした女性向けのエリアのことで、主に渋谷系ファッションのアパレルやコスメが売っている。
「108はちょっとガチギャルすぎて……」
何かを恐れるように深雪がギュッと俺の腕を抱く力を強める。
まあ、ファッションギャルの深雪にはちょっと難易度高そうなゾーンではあるか。
もちろん、男の俺は前を通りかかることはあっても中に入ったことはない。
「というか、もっと高いブランドのやつとか買えるんじゃないのか?」
ふと思い返して、訊いてみる。
深雪の家は、確かそれなりに裕福な家だったのではなかったか。
「自分のお金ってわけじゃないから、そんなに贅沢はできないよ」
まあ、それはそうか。賢明な判断ではあるな。
「あたしがセッちゃんのお嫁さんになったらさ、綾小路のお金でいっぱいプレゼント買ってもらったりとかできるのかなぁ?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべながら、深雪がこちらを見上げてくる。
深雪が俺のお嫁さんになったら、それは瀬戸になるということなのでは……?
「あれ? そうか。じゃあ、優那ちゃんのお婿さんになったセッちゃんのお嫁さんになれば良いってコト?」
まあ、そのときの日本の法律が許せば、そうですかね。現状では難しそうですが。
「法律を変えるしかないわけかぁ」
すごい軽く言ってるけど、大丈夫かな。理解できてるんだろうか。
まあ、大人になった深雪が政界進出するというなら、後援会くらいは作ってあげるよ。
「あ、ほら、あそこ、ダスキンロビンスだよ。やっぱり並んでるね」
よく分からないやりとりをしているうちに、目的のアイスクリーム屋が見えてきた。
深雪の話では今日が限定フレーバーの発売日当日であるらしく、それでさっそくこのような行列ができているのではないか――とのことらしい。
まあ、いつぞやのカフェに比べればまだ俺でも挑戦しやすいタイプの店ではある。
とりあえず、カップかコーンか選んで、サイズを選んで、あとはフレーバーを適当に選べばいいだけだもんな。
あれ? 普通に多いな? ま、まあ、何とかなるだろう……。
「あれ……」
列に並びだしたとき、ふと深雪が何に気づいたように声を上げた。
「ねえ、あの店員さんって、服部さんじゃない?」
なんだと? 服部がアイスクリーム屋の店員を……?
深雪の指さすほうを見ると、確かにそこには見たことのある顔の女性がいた。
眼鏡をかけて、髪を三つ編みのお下げにした真面目そうな女の子だ。
確かに服部香澄である。
教室ではいつもムスッとしているイメージだったが、お客さんに笑いかける顔は仮に営業スマイルだったとしてもしっかりと可愛らしい。
学校でもあんなふうに笑えば随分と周りの印象も変わってくるだろうに――と、うっかりそんなことを思ってしまったが、本人からすれば大きなお世話か。
というか、うちってバイトいけるんだっけ?
「ダメじゃなかったかな? まあ、隠れてやってる子なんていくらでもいるだろうけど」
ふむ……となると、何かアルバイトでもしなければならない事情があるのだろうか。
成績優秀で、生徒会の会長選にも受付開始後すぐに立候補するような子が、ただの遊ぶ金欲しさに校則を破ってまでアルバイトをするとは考えにくい。
実は苦学生――という可能性は考えられるか?
だとすれば、優那のような明らかに恵まれた人間に対して何かしら反骨心のようなものを抱いてしまう可能性は十分に考えられる。
だんだんと服部香澄という女の子の人物像が見えてきた気もするが……。
「いらっしゃいませ! ご注文……あっ」
俺たちの順番が来て、そして、服部も俺たちのことに気づいたようだ。
「い、いらっしゃいませ……」
明らかに挙動不審になっている。
さて、この件について突っ込むべきか、敢えていったん放置しておくべきか……。
「限定のキットサットフレーバーください!」
「えっ……あ、はい! カップかコーンのどちらになさいますか?」
む、深雪はスルーすることにしたようだな。
なら、俺もそれにあやかるか。
ええと、何をどう注文すればいいんだったかな……。
「……カップの、シングルの、四種のチーズフレーバー……で、お願いします!」
よし、言えたぜ!
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