第二七話 綾小路を継ぐ者
日曜日、比較的まだ早い時間に、俺は綾小路邸の執務室を訪れていた。
正面のデスクには旦那さまが座っておられ、パソコンに向かって何かデータ入力を行っていらっしゃるようだった。
今年で四二歳になられたと記憶しているが、その姿はまだまだ三十代前半で通じるほど若々しい。
いつもは綺麗にセットされた髪を今日は自然な形に降ろされていて、男の俺から見ても雰囲気から素材に至るまで匂い立ってくるほどのイケメン感を醸し出していた。
執務室には旦那さまのデスク以外にも本来であれば調度品などが収められるべき棚が並んでいるが、いずれも雑多な資料のファイルで埋まっている。
代々続くグループゆえに今だにIT化に適応できていない部分が多々あり、それもあって旦那さまもなかなか一つところに落ち着けない状態が続いているわけだ。
「久しぶりだね、セイジロウ。元気だったかい」
「はい。旦那さまも、ご
旦那さまはこちらを見てはおられなかったが、俺はその場で頭を下げた。
聞けば、昨日からこちらのほうの業務のために一時的に滞在していらっしゃるらしい。
しかし、また明日には本社のほうに戻らなければならないのだという。
本日は在宅での業務だからか上はしっかりワイシャツを着ているにも関わらず、下は速乾生地のステテコというなんとも奇妙な格好をされていた。
おそらくオンラインミーティングがあったときのために上だけでもしっかりしようということなのだろうが、それにしたってもう少しましな組み合わせはなかったのだろうか。
「最近は優那もすっかりそっちに入り浸りのようだね」
旦那さまが
こちらこそ見ていなかったが、その口許には優しい笑みが浮かんでいる。
「優那から聞いたよ。さっそく新しいお友達もできたそうじゃないか。ものは試しにと公立に通わせてみたけど、君たちを信頼して間違いはなかったようだね」
「もったいないお言葉です」
俺はもう一度旦那さまに頭を下げる。
優那の高校入学の際、一族の関係者はかなり苦言を呈してきた。
当たり前のことだ。
綾小路家の未来を担う令嬢が
それに、一族の中には自分に縁のある私立高校に優那を入学させることで、グループ内の地位を高めようと画策する者の動きもあった。
逆に言えば、今回の公立高校入学はそういった手合いに対する牽制にもなったわけで、だからこそ旦那さまの許しが出たという側面もあったはずだ。
「考えすぎだよ、セイジロウ。僕は娘を政治の材料に使えるほどしたたかな男じゃないさ」
旦那さまはふふっと少し楽しむように笑われた。
「君に帝王学を説いた覚えはないんだけどね。セイノスケ爺の仕業かな」
「……はい。お嬢さまに正しくお仕えするには、私もまた帝王学を理解する必要があるとのことでした」
セイノスケというのは祖父の名前である。
今はすでに隠居しており、郊外で護身術の道場なんぞを開いているが、この館の管理を任されるより以前の若いころは旦那さまのお目付役をしていたこともあるという。
「まあ、君がこの歳でそこまでグループのことを考えてくれるのは、僕にとっては嬉しいことではあるよ。セイジロウ、僕はいずれ君に跡目を継いでもらおうと思っているからね」
「は……身に余る光栄に存じます」
今一度、
というか、マジなのか……。
優那からは何度かそれらしきことを言われていたが、旦那さまから直接言われたとなるとまたわけが違う。
親子ともども俺を買い被りすぎなのではなかろうか。
「そうではないよ、セイジロウ。僕もそうだけど、大きな組織を動かすのに必要なのは能力の高さじゃない」
そこで旦那さまは手をとめ、初めて俺の顔をしっかりと見てくださった。
「セイジロウ、必要なのは人を
ニッコリと笑って、再びパソコンでの作業を再開された。
やはり買い被りすぎなだけだと思うが、俺なんかよりよほど修羅場をくぐっているだろう旦那さまの人を見る目を否定できるほどの
「ところで……」
旦那さまがいったん手をとめ、その場で大きく伸びをされた。
「優那とは、もうセックスはしたのかい?」
ぶふっ! ——いきなり何を訊いてきてんだ、この人は。
「いやあ、僕たちの娘だからね。きっと、そろそろ興味津々な頃合いなんじゃないかと心配でねえ」
僕たちの娘……?
確か、奥さまは遺伝性の病気で体が弱かったのでは……。
「別に弱かったわけじゃないよ。病気の進行を抑えてるだけだから、長くは生きられないだろうってだけの話さ。だから、もう若いころにやれることはやっとこうってことで、それはもう乱れた青春を送ったものだよ」
はっはっは——と、笑いながら旦那さまが仰る。
マジか。ということは、優那のあの性格って親譲りなのか。
「ただね、僕がこんなことを言う資格なんてないんだけど、できれば君たちには健全な高校生活を送ってほしいんだよ。爛れた学生生活なんて大学生になってからでも遅くはないからねえ」
そういうものだろうか。
そもそも綾小路家の次期後継者として考えれば、爛れた生活そのものがそもそも推奨されるべきではないとも思うが……。
「英雄、色を好むというからね。能力のある人間がエロに対する欲望を抑えられないのは仕方のないことだよ」
旦那さまの口からエロとかいうワードが飛び出しあそばせられているな。
これはもう間違いなく優那のお父上ですわ。
「それで、もう優那とはセックス三昧なのかい?」
まだ訊いてくるの!?
してない! してないです!
「そうかあ。安心したような残念なような、不思議な気分だよ。まあ、せっかくの楽しい高校生活なわけだし、この三年間はしっかり性春を楽しんでほしいと思ってるんだ。必要とあらば、セイジロウもしっかりハメを外すんだよ」
「お、お気遣いいただき、ありがとうございます」
この件については色々と思うところもあったが、それでも配下の務めとしてしっかり頭は下げた。
ガチャリ——と、そんな俺の背後で執務室の扉が開く。
「おじさま、有紗です」
「おお、有紗か。君も久しぶりだね」
旦那さまがパソコンの向こう側からちらりと
有紗は慇懃にお辞儀をしたあと、旦那さまに向かって言った。
「おじさま、お願いです。セイさまにもっとエッチなことに対して積極的になるようご忠言ください。周りの女は煮えきらないセイさまの態度に深く心を痛めております」
おま、いきなり旦那さまに向かってなんちゅーことを進言しとるんじゃ!
「おや、セイジロウ。僕の知らないところでもうそんなに手を広げていたのかい?」
旦那さまも目を丸くしていらっしゃる。
誤解です。多少、優柔不断な面はありますけれども……。
「まあ、さっきも言ったけどね。ときにはおちんちんの欲望のままに女体を貪り食うのも悪くないものだよ。僕も亡き妻にはよく泣かれたものさ」
いや、いきなり何を仰られてるの?
というか、今のってお聞かせいただいて大丈夫な話ですか?
この期に及んで隠し子とか出てきたりせんだろうな……。
「こんな感じでいいかい、有紗?」
「はい。ありがとうございます、おじさま」
有紗がスカートの端を
というか、おまえもそろそろ『おじさま』は卒業しろよな。
「何を仰るのです。旦那さまはわたしのような若い娘におじさまと呼ばれることでその精神に栄養を補給なされておられるのですよ?」
は? マジで言ってんのか?
「よく分かっているね! 最近は本宅の若い子たちもどんどん大きくなって、今じゃ『おじさま』と呼んでくれる子も随分と少なくなってしまったよ……」
うわ、マジで悲しそうな顔をされていらっしゃる。
そうか、こうやって有紗は密かに男を手玉に取っているわけか……。
「はい。セイさまも手玉に取られてみますか?」
そう言いながら俺の股間を凝視するのはやめろ。
そっちの玉じゃねえんだよ。
「はっは、相変わらずだね、セイジロウ。こいつは一本取られたな」
「一本取られたなら、いよいよ残るは玉だけです」
あ、分かったぞ。
こいつらヤベエやつらだ。
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