第二六話 一番欲しかった言葉
明けて、土曜日である。
俺はお昼前から優那に呼び出されていた。
それも、近所の公園にだ。
今日の優那は飾り気のない白のワンピースで、不思議とこの公園の素朴なイメージに即しているように感じられた。
ここは
一周400メートルほどのジョギングコースが作られていることもあって、昼夜を問わずそこそこに人の出入りがある。
俺たちはそんな公園の一角にある遊具エリアのベンチに、黙って座っていた。
優那が呼び出すくらいだから、また何か話があるのだろう。
であれば、俺は彼女が話したくなるタイミングまで待つだけだ。
どうせ今日は何か予定があるわけでもない。
このままぼんやりと過ごしたいというなら、たまにはそういう一日があってもいい。
「……セイくんは覚えていますか?」
不意にぽつりと、優那が言った。
「わたくしたちが『友達』になったときのことですわ」
ああ、あのときの話か。
そういえば、あのときもこの公園だったな……。
俺たちが六歳のころの話だ。
優那の母が
そして、それを期に優那を母の思い出が色濃く残る地から少し離れさせようという思いもあって、本社の近くにある本宅からこちらの別邸に親子ともども移ってこられたのだ。
そのころはまだ俺の祖父が今の綾小路邸の管理を統括していて、有紗もそんな祖父の部下の子としてよく一緒に綾小路邸に出入りしていた。
「わたくし、あなたたちに出会った当初は本当にいけ好かなくて仕方ありませんでしたわ」
膝の上で頬杖をつきながら、ふふっと優那が笑う。
俺たちの出会いは確かにあまり良いものではなかった。
とくに有紗がダメだった。
あいつはマジで六歳のころからすでにあんな感じだったのだ。
しかも当時は別に優那の侍女でもなかったから、もう単純に生意気で失礼な女だった。
ただ、そんな俺たちの関係にも、わりとすぐに転換期が訪れることになる。
ある日、優那が家出をしてしまったのだ。
「あの家も大嫌いでしたわ。お母さまの思い出が何一つないんですもの。お父さまはわたくしからお母さまを奪い取る酷い人だと恨みもしました」
優那が遠い目をしながら呟く。
あのときは本当に大変な騒動になった。
行方知れずとなった優那をなかなか見つけることができず、果てには誘拐されたのではないかとすら思われていたほどだ。
とはいえ、子どもの足で行ける範囲などたかが知れている。
それに、やっぱりあのときから有紗は有紗だった。
有紗はすぐに優那の居場所を見つけた。
俺が有紗に引っ張られるようにしてこの公園に連れて行かれると、一人寂しくブランコに揺られる優那の姿があった。
『わたしは嫌われてるから、セイがいって』
有紗はそう言って俺を優那にけしかけた。
俺も正直、どう声をかけたら良いか分からなかった。
ただ、一人でブランコに揺られる優那があまりに寂しそうだったから、一言だけ言った。
『ぼくと友達になってくれないかな?』
それが俺と優那と有紗の本当のはじまりだった。
「わたくし、あのときはプロポーズでもされたのかと思いましたわ」
そんな
「いいえ、本当にそう思いましたのよ。あの言葉が、わたくしの胸に空いた穴を埋めてくれましたの。あのときセイくんは、わたくしが一番欲しかった言葉をくれた……」
心に空いた穴——か。
でも、それはたぶん俺も同じだった。
俺も早くに両親を亡くしている。
だが、俺には姉貴もいたし有紗もいた。
だからこそ、優那にもそういう存在が必要なのではないかと思ったのだ。
「セイくんはいつもわたくしを助けてくれますわね。あのときも……そして、今回も」
――なるほど、そういうことか。
俺はそのときになって、ようやく優那に呼び出された理由を理解した。
優那は、最初からすべて知っていたのだ。
俺たちがどれだけ影で動こうとしても、優那の目までは誤魔化せないということだろう。
さすがは綾小路家のご令嬢だ。その才知を甘く見すぎていた。
「わたくしはいつまで経っても甘えん坊ですわ。気づいていながら、それでもきっとセイくんならなんとかしてくれるだろうって、そう思ってしまった、ズルい女です……」
優那が少し悲しげに、そして自嘲気味に笑った。
その顔に、いつもの溌剌さはなかった。
綾小路家の宿命を背負う、もの悲しい少女の横顔だった。
「別に、それでいいんじゃないか」
俺は、自分でも気づかぬうちに優那の肩を抱き寄せていた。
「俺はずっと優那のそばにいる。優那が苦しいときは、何度だって助けてやる。だから、何度だって頼ってくれていい。辛いときは、ぜんぶ俺に任せてくれたらいい」
うっかりそんなことを口走ってしまった。
ちょっと気障すぎたかもしれない。背中がムズムズする。
だが、少なくとも優那の心は動かしたらしい。
ちらりと横目で見やると、優那は潤んだ瞳で俺の顔を見上げていた。
そして、何を思ったのか――優菜がその手を俺の顔に伸ばしてきたかと思うと、そのまま俺たちは互いに引き寄せられるようにキスをした。
頭の中が一瞬で真っ白になった。
「セイくん……」
優那は俺の名前を呼びながら何度も何度もキスをした。
さすがに舌は入れられなかった。
危なかった。公衆の面前で危うく御珍棒を暴発させるところだった。
「ご、ごめんなさい。つい夢中になってしまいましたわ」
真っ赤な顔をして優那が飛びのくように俺から離れる。
たまたま周りに誰もいないタイミングで助かった。
優那も周りをキョロキョロと見回しながら、自分の胸を必死におさえている。
「はぁ……やっぱり起きてるセイくんとするキスはまったく別物ですわね……ドキドキが収まりませんわ……」
……は? 今、起きてる俺って言ったか?
「あ、な、なんでもないんですのよ! そ、そろそろお昼ご飯のお時間になりますし、お家に帰りましょうか!」
明らかに焦った様子で優那がベンチから立ち上がり、そそくさとその場をあとにする。
俺は首筋に浮かぶ汗を拭いながら、何故か重く感じる足を運んでそのあとを追った。
俺、やっぱり寝込みを襲われてるのか……?
「今ごろ自覚されたのですか? さすがにそれは抜けすぎていると言わざるをえません」
ぬおっ!? なにやつ!?
慌てて声のしたほうを振り返るが、そこには誰もいなかった。
いや、ぜったい今の有紗だろ……。
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