第七話 そのために教師になったのよ

 翌日、昼休み中のことである。

 委員会の雑用で外から戻ってくると、重そうな荷物を危なげに担いで歩いている教師の姿が目にとまった。

 長い髪をうなじのあたりで一つ括りにし、小奇麗なブラウスにタイトめなスカートという恰好のその女教師は、担任の穂村ほむら夏樹なつき先生だった。

 新任の教師だという話だが、そのわりには立ち振る舞いが堂々としていて、あまり初々しさは感じない。

 ただ、小柄な深雪をさらにサイズダウンさせたのかと思うほど色々と小さく、まだ成長もまばらな高校一年生に囲まれていてなお幼く見える印象だ。

 もっとも、そのギャップが逆に生徒たちには人気のようで、一部では『ロリ姉』などという名誉なんだから不名誉なんだから分からない渾名をつけられているらしい。

 ともあれ、そんな物理的にミニマムな教師が前も見えなくなるくらいの荷物を抱えてオタオタと歩いているのだ。

 周りを行き交う生徒たちは可愛い小動物でも愛でるかのように見守っているが、これで転ばれたりでもしたら目も当てられない。


「先生、手伝いましょうか」

「その声は……セトくん? ごめんね、助かるわ」


 先生から荷物を半分ほど譲り受ける。

 声だけは意外とセクシーで大人っぽい。


「何処まで持って行くんですか?」

「その先の資料室よ。お願いしても良いかしら?」


 俺は言われるままに廊下の先にある資料室まで荷物を運んで行った。

 周りからは『余計なことをしやがって……』という目で見られたが、知ったことか。


「何処に置いたらいいですか?」

「その棚の上に置いておいてくれる?」


 資料室は通常の教室の半分くらいの広さで、壁一面に棚や本棚が並べられている。

 他にも何が入ってるのか分からないケースが無造作に積み上げられており、隠れんぼにはちょうどよさそうだな、と意味もなく考えてしまった。

 ともあれ、俺は言われたとおり棚の上に荷物を置き、穂村先生が持っていた残りの分も受け取ってその隣に置いた。


「ありがとう。助かったわ。セトくん、意外と力持ちなのね」


 穂村先生がにっこりと微笑みながら、そっと俺の腕に触れてくる。

 そして、袖捲そでまくりした俺の腕の肉感でも確かめるように、艶かしい手つきで撫でてきた。

 いやいや、急にそんなことをされると、ちんちんがムクムクしてくるんだが……。


「前腕もたくましいし……何かスポーツでもしていたの?」

「家庭の事情で、護身術を少し」

「へええ……柔術みたいな感じかしら?」


 穂村先生が相変わらずニコニコと俺の顔を見上げながら、何を思ったのか触れていた腕とは反対側の腕を掴んできた。

 いや、俺の護身術はどちらかというと拳闘術で……と、言いかけたところでずるりと足が滑り、したたかに背中を打ちつけてしまう。

 穂村先生が足を払ってきたのだ。完全に予想外だった。


「きゃっ! ご、ごめんなさい! こんなにあっさりかかるとは思わなくて……」


 俺も油断していた。

 ひょっとしたら、穂村先生は柔道経験者か何かなのかもしれない。

 はからずも穂村先生に押し倒される形になってしまった。

 ——というか、右手がガッツリとボインにタッチしてしまっている!

 いや、先生の胸はかぎりなくフラットに近いのでボインと言うには語弊があるが……。


「す、すみません、不可抗力で……」


 慌てて手をどけようとする――のだが、何故か穂村先生が俺の腕を掴んで離さない。

 な、なんだ……? 何が起ころうとしている……?

 よくよく見やると、先生の目は何処かうっとりとしていて、口許には幼い見た目に不釣り合いなほど妖艶な笑みが浮かんでいた。


「セトくんも男の子だものね……こんなところに新任女教師と二人きり……やっぱり、そういうことしたくなっちゃうわよね……」


 待て待て、どういう展開だ? 今のは完全に俺側の問題ではないよな?

 確かにパイタッチはしてしまったが、これは巻き込まれ事故みたいなもんで……。


「いいのよ。ここなら誰も来ないから、わたしで良ければあなたの好きにして……」


 穂村先生がそのまま小さな胸を俺の体に押しつけてくる。

 ぐおお、髪からシャンプーの良い匂いが!

 しかも、なんか知らんけどすごいエロティックに足を絡めてくる!

 これはいかんぞ……。

 脳が……脳がスケベに支配されていく――。

 ――だが、流されてはいけない!

 俺にはすでに優那という大切な彼女がいるのだ!


 俺はちんちんから発せられる指令に抗い、穂村先生の肩を掴んで押し返した。


「……あら? 好感度不足? フラグが足りなかったのかしら……」


 キョトンとした顔で先生が言う。

 とりあえず、あんたに最も足りないのは倫理観だ。


「倫理観……? そんなもの……そんなものがなんの役に立つっていうの!?」


 うお!? 急に気配が変わった!?

 穂村先生が俺の胸ぐらをつかみながらグイッとその顔を近づけてきた。

 先ほどまでの笑顔は何処へやら、般若のような形相をしている。


「わたしはね……」


 穂村先生がすぅーっと大きく息を吸い込む。


「生徒とイケナイことがしたいのよ! ちょっぴりオトナな女の子向けの漫画に出てくる新任教師みたいに、チョイ悪な男子生徒とアブナイ関係になりたいの! そんでもって、そこから発展する恋の甘酸っぱさやほろ苦さを味わいたいのよ! そのために教師になったんだから!」


 動機が不純すぎる。というか、そんなことを俺にカミングアウトするな。

 あと、自分で言うのもなんだが、俺は断じてチョイ悪ではない。


千載一遇せんざいいちぐうの好機だと思ったのに……どうして先生の気持ちを分かってくれないの!?」


 分かるものか。好感度もフラグも倫理観もすべてが足らんわ。

 いや、まあ、本音を言うと優那の存在がなければ怪しいところではあったが……。


「男子高校生なんて全身がおちんちんみたいなもんだと思っていたけど、意外にも身持ちが固いのね……まあいいわ。それでこそ攻略し甲斐があるというものよ」


 あれ、まだ諦めてない感じですか?


「そりゃ先生だって誰でも良いわけじゃないのよ。セトくんみたいに一見するとモブっぽいけどちゃっかり女の子にモテるような子がときめくのよねぇ……」


 両手を頬にあてながらポッと顔を赤らめている。

 モテる……のだろうか?

 俺の周りには変な女しかいないが……この教師を含めて。

 というか、そろそろ俺の上からどいてほしい。

 いつまでも乗っていられると、ちんちんのイライラがおさまらないぜ……。


「あら、まだ昼休みは長いわよ……? 先生と性の耐久デスマッチ、し・て・み・る?」


 穂村先生が耳許にふーっと生暖かい息を吹きかけてくる。

 くそ、吐息まで良い匂いがする!

 体は小さいくせに色香だけはしっかり大人の女性だなんて、そんなのズルいよぉ!

 優那よ、すまん……。

 このままでは、俺は一足先に大人になってしまう……っ!


 ――ガラリ。


 不意に資料室のドアが開いた。


「なにやつ!?」


 時代劇の悪代官のごとく、穂村先生が振り返る。


「わたしが来ました」


 有紗だった。毎度ながらすごいタイミングで来るな。


「ど、どうしてここが分かったの!?」


 先生が悪事を暴かれた小悪党みたいな顔で聞いた。


「穂村先生、あなたがセイさまに狙いを定めていたのは存じ上げていました」

 

 は? そうなの?


「くっ……どうやらマークされていたみたいね……」


 否定しないのかよ。


「先生が昼休みに大量の荷物を運ぶ光景は、すでに何度か目撃していました。また、今回のように誰かがサポートを申し出た際、何故か断っているケースも確認しています」

「そうよ……」


 先生は俺の上で拳を握りながらその肩を震わせていた。

 そして、カッと目を見開きながら告げる。


「わたしはセトくんが網にかかるのをずっと待ってた!」

「その執念、敬服に値します」


 有紗が慇懃に頭を下げる。

 というか、俺、そんなにガッツリと狙われてたんだ……。


「ですが、セイさまの童貞は先約がございますので、本日のところはご容赦ください」


 言いながら有紗が歩み寄ってきて、いつぞやのように片手でべりっと俺から穂村先生を引きはがす。

 マジでこいつロボットか何かじゃないだろうな……。


「ううう、セトくぅん、こんなことじゃ、わたしは諦めないわよぉ!」


 捨て台詞を残して、穂村先生はそのまま何処かへ連れていかれてしまった。

 ちょっと前にもこんなことあったな……。

 というか、マジで俺の周りには頭のおかしな女しかいないのか……?

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