第六話 禁忌だからこそ燃えるの

「うわあぁぁぁん! セイぐぅぅぅん! ごべんなざいぃぃぃ!」


 帰宅するなり、ものすごい勢いでリビングから優那が飛び出してきた。


「今日ごそ我慢じようどおぼっだんでずけど、どうじでもでぎなぐでぇぇぇ!」


 そのまま俺の胸に飛び込んでくるなり、思いっきり顔を押しつけてくる。

 とりあえず先に鼻水を拭いてほしい。


「非常にクラシカルなツンデレ、素敵でございます……うっ!」


 今度は後ろで有紗が興奮のあまり鼻血を出しはじめた。

 ティッシュを大量に買ってきたのは間違いではなかったか……。

 俺はひとまずティッシュを何枚か取り出すと、優那の鼻水を拭いてやったり有紗の鼻に詰め物をしてやったりした。

 

「うずずず、ありがとうございます……」

「申し訳ございません。ついでに下のほうも拭いてもらってよろしいでしょうか」


 そっちは自分で始末しなさい。トイレとかで。


「それよりセイくん、今日は随分と帰りが遅かったようですけど……」


 急にジトッとした目で優那が俺の顔を見上げてくる。


「まさか、セックスをされていたわけではありませんわよね?」


 ぶふっ! ――してない。してないです。


「女の匂いがしますわ」


 優那が俺の制服に鼻を押しあててくんくんと匂いを嗅いでいる。

 そういえば、今日の深雪はやけに良い匂いがしたな。

 まさか香水の匂いがうつってしまったのか。

 念のため、次からはリセッチュを持ち歩くことにしようかな……。

 というか、優那は浮気に関しては寛容だったのではなかったか。


「別に浮気は気にしませんわ。ただ、今のセイくんはまだ清らかなる身。その身を汚して良いのはわたくしだけです。セイくんの童貞だけは奪われるわけには参りませんわ」


 ああ、男がついつい処女にこだわってしまうのと同じ感じかな。


「そのとおりです! ちなみにわたくしはもちろん処女ですから、ご安心なさってくださいましね!」

「わたしもです。いつでも開通の準備はできておりますので、遠慮なく申しつけください」


 いちいちそういうことは宣言せんでいいのよ。

 童貞だってもう少し慎ましくしとるわ。


 ――と、玄関でグダグダとしていたら、背後でドアが開いた。


「あれ、あんたたち、なにしてんの?」


 姉貴であった。名前はサユコという。県立大学に通う二回生である。

 我が姉ながら綺麗な顔立ちをした女性である。

 すらっとしていて背も高く、弟の贔屓目ひいきめなしでも抜群にスタイルが良い。

 欠点があるとしたら、少し生活面でだらしないところくらいだろうか。

 男女関係がどうたらということではなく、単純に生活態度がだらしない。

 連休のときなどは昼間から酒に溺れ、風呂に入ることすらいとうくらいだ。

 というか、今日はバイトは休みだったはずだが、こんな時間までどうしたのだろう。


「あんたが帰り遅くなるっていうから、シフト変わってもらったのよ」


 そうだったのか。

 とりあえず、こんなところで溜まっていても仕方がないから、中に入ろう。

 リビングでは優那がゲームに興じていたのか、テレビにスミッチの画面が表示されたままになっていた。

 『ユニオンオーバーロード』か。

 買ったは良いものの、まだ俺はプレイできてないんだよな……。


「サユさま、夕食は何か食べられましたか?」

「うんにゃ、まだよ」

「わたしたちが食べたものの残りでよければ、すぐに温めますが」

「それでいいわ。ありがとう」


 有紗が台所に消えていき、姉貴は荷物を適当に放り出しながらソファに腰掛ける。

 肩にかかるくらいの髪をいつも髪留めでアップにしているのだが、その髪留めは何年か前に俺が誕生日プレゼントであげたものだ。

 幼いころに両親を事故で亡くして以来、最も身近で俺を支えてくれたのが姉貴だった。

 今でも姉貴には感謝しかない。

 早く一人前になって姉貴を自由にしてあげることも俺の目標の一つだった。


「そういえば、今日はなんで急に遅くなったの?」


 ソファの上でぐでっとなりながら、姉貴が訊いてくる。


「きっと誰か女の子と一緒にいたんですわ。女性ものの香水の匂いがいたします」


 姉貴の隣に座ってゲームを再開している優那が答える。

 やはり、これから深雪と会うときはリセッチュを持っていこう。


「へええ、やるじゃない。エッチはしたの?」


 聞くな、聞くな。

 誰に向けてとは言わないが、ついさっき姉貴の好感度が上がるように取り計らったばかりだから。


「危ないところでした。わたしが駆けつけねば、セイさまの純潔じゅんけつはかなくも散っていた可能性がありました」

「まあ! そんな火急的状況でしたのね! さすがはわたくしの侍女ですわ!」

「お褒めいただき光栄の至りです」

「わたしは別にセーちゃんが誰で童貞卒業しようが構わないけどねぇ」


 姉貴がソファを降りてテレビの前まで行き、冷蔵庫が内蔵されたラックからチューハイの缶をとる。

 こういうのは成金系のVewTuberが持っているイメージだったが、気づいたら我が家にも導入されていた。

 姉貴は社会経験のためと言ってバイトをしているが、綾小路グループの庇護下にある我が家は実のところ金には困っていないのだ。


「そんなこと仰らないでください。セイくんの童貞はもう何年も前からわたくしが予約しておりますのよ」


 そんな話は初耳だが、いったい誰に予約したのだろう。

 というか、姉貴に対して言うことか?

 いやまあ、俺の知らないところですでに言ってたのかもしれんが……。


「それならさっさと色仕掛けでもしてヤッちゃいなさいよ。セーちゃん、こう見えてしっかりスケベなんだから、裸で迫ればすぐに襲いかかってくれるわよ?」


 本人を前に身も蓋もないことを言うな。

 確かに今日は危ういところだったが……。


「そんな破廉恥はれんちなことはできませんわ! これでも綾小路家の息女ですから……」


 優那がコントローラーを握りながらポッと頬を赤らめる。

 今さらどの口が言ってるんだ?


「あんたたちはまだ十五とかだから良いけど、わたしはもうすぐ二十歳よ? あんまりノンビリされてると、こっちもそろそろ焦りを感じちゃうわよ」


 姉貴がチューハイの缶をあおりながらぼやく。

 その顔は何処か物憂ものうげな気配をたたえているようにも思えた。

 いったい何を焦るというのだろう。

 今の会話だと、まるで俺の童貞卒業と何やら関連があるように聞こえたが。


「ご存じないのですか?」


 夕食を温め終えたらしい有紗が、料理の乗った皿をテーブルに運びながら言ってきた。

 とても意外だという顔でこちらを見ている。

 有紗がこんなふうに表情を露わにするのは珍しい。


 なんだ? 俺が知らない何か重大な秘密でもあるのか?


「サユさまは、セイさまとエッチなことをなさりたいのですよ?」


 ……は?


「有紗ちゃん、無駄よ。この子、ちょっと抜けてるから」


 抜けてる? 俺が? いやいや、待て待て。

 今、有紗はなんと言った?

 姉貴が俺とエッチなことがしたいだと?


「どうやら、本当にご存じないようですね」


 これも有紗としては非常に珍しく、呆れたとでも言いたげな顔で俺を見ている。

 いや、表情に出てしまうほど変な反応したか?

 肉親だぞ? 義理でもなんでもない、血の繋がった姉弟なんだぞ?


「分かってないわね……だから良いんじゃない」


 ぐびりとチューハイをあおってから、何故かしたり顔で姉貴が言った。


「禁忌だからこそ燃えるのよ。でも、お姉ちゃんが勢いであんたの初物ちんちんをいただいちゃったら、それがトラウマになってEDになっちゃう可能性もあるでしょ? だから、せめて童貞卒業するまでは待ってあげようと思ってるってわけ」


 なるほど、分からん。

 というか、仮にそういう事情だったとして、なんで俺に話しちゃうの?

 そのまま胸の内にしまっておくという選択肢はなかったのか?


「いや、あんたは根っこがスケベだからこれで良いのよ。きっとあんたのちんちんは密かにお姉ちゃんとのエッチを想像して興奮しているはずよ」


 くっ……! バレたか!

 姉貴め、確かに俺の意思に反しておちんちんは自己主張をしはじめているが……!

 だが、俺は負けん!

 そんな爛れた願望に俺の身を自由にされてなるものか!


「セーちゃん、わたしの弟のくせに変なところで真面目なのよねぇ」

「本当ですわ。もう少しお姉さまに似ていただければ、わたくしも今頃は性に乱れた学生生活を心ゆくまで堪能することができておりましたでしょうに」

「サユさま、ひとまずセイさまとのエッチは諦めて、夕食を召し上がってください」


 テーブルの横で、有紗が恭しく頭を下げている。

 どうやら姉貴の夕食の準備ができたらしい。


「ありがとう、アーちゃん。あら、おいしそうね」


 姉貴がソファから立ち上がってテーブルに移動する。

 今日の夕食はボロネーゼとトマトソースの煮込みハンバーグだったようだ。

 なかなか肉々しいが、姉貴はこういう男性向けの料理の組み合わせを好む傾向にある。


「まあ、ぼちぼち舞台も整ってきたみたいだから期待しておくわ」


 ボロネーゼをずるずると啜りながら、姉貴が言った。


「いい加減、わたしも周りに処女をネタにされるのは面倒になってきたところなのよ」


 は? この姉、ひょっとして弟で処女を散らそうとしてんのか?

 我が姉ながら、正気を疑わざるをえないが……。

 とりあえず、スパゲッティをずるずると啜るのは恥ずかしいからやめろ。

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