第五話 大人にしてよ

「やばい、ちょっと食べすぎちゃったかもしれない」


 そう言いながら、深雪が苦しそうに自分のお腹をさすっている。


「そんなにガッツリ食べてたか?」

「ビッグモックはちょっとやりすぎたね。いけると思ったんだけどな」


 男の俺からすればビッグモックにポテトのLくらいでは満腹にすらならないが、深雪は体格的も小柄だし、そもそも必要な食事量が違うのだろう。


「ちょっと歩くのしんどいから、休んでいかない?」


 いよいよ深雪が歩みをとめてしまった。

 そこまでキツいなら、別に急いで店を出る必要はなかったような気もする。

 特段、店の中が混み合っていたわけではなかったし、だいぶ暗くなってきたが、時間的にはまだ余裕もあった。


「そういえば、このあたりにちょうどいい休憩場所ができたんだよ。行く?」


 ほう、この辺にそんなところあったかな。新しくできたってことかな。


 俺は促されるまま、半ば引っ張られるようにして深雪に路地の奥まで連れていかれた。

 そして、場末感のあるその場所には似つかわしくない小奇麗な建物の前に案内される。

 いや、これって……『休憩3時間5,900円(税込)』……。


「さ、行こう?」


 いや待て、これ、ラブホテルじゃねえか!


「ラブホテル? そんなこと何処にも書いてないよ?」


 確かに、わざわざラブホテルと書いてあるところはそんなにないとは思うが……。


「ちょっと休憩するだけだって!」


 腕をつかんでぐいぐい引っ張られる。

 正気か!? 俺たち、制服着てるんだぞ!?


「大丈夫! ここは旅館業で取得されたホテルだから18歳未満でも利用可能だよ!」


 なんでそんなことまで調査済みなんだよ!?

 休憩したいなら『のうしば』でも別によくないか!?

 芝生の上は気持ちいいぞ!


「ベッドの上で休憩したいの!」


 おまえ、ここがラブホテルだって絶対に分かって言ってるだろ!?


「うるさいなぁ! 往生際が悪いよ!」


 ぐおおお、めっちゃ引っ張られる。こいつ、本気だ。

 待ってくれ。前にも言ったとおり、俺にはもう交際している相手がいるんだ。


「また綾小路さんがどうとか言うんでしょ? その話はもういいよ!」


 いや、嘘だと思うかもしれないけど、本当に……。


「そうじゃなくて、セッちゃんが誰とつきあっていようがどうでもいいって話!」


 ん? どういう意味だ……?


 深雪が俺を引っ張る腕から力を抜き、潤んだ瞳で俺を見上げる。


「あのさ、引かないで聞いてほしいんだけど……」


 そのまま深雪はポスンと俺の胸におでこを押しつけてきた。

 サラサラの金髪の隙間から見える耳が暗がりでも分かるほど真っ赤に火照っている。

 俺が何も言えずに押し黙っていると、やがて深雪は囁くように言った。


「セフレって、オトナな感じがして良いと思わない?」


 ……は?


「思ったんだよね。別につきあってなくても、エッチなことはできるって。それに、そのほうが悪いことしてる気がして興奮するっていうか……逆に一生ものの傷をつけてもらえる気がしたの。若気の至りっていうか、一夜の過ちって感じでさ」


 こ、こいつ、性癖を拗らせてやがる。

 俺か? 俺が蒔いた種なのか?

 いや、もとからそういう素質があったパターンだと思いたいが……。


「だから、いいでしょ?」


 いいわけあるか! 物事には順序ってもんがある!


「その順序を飛ばす背徳感が良いって言ってんでしょ!? ヘタレてんじゃないよ!」


 へ、ヘタレではない! 断じて!


「あたしがここまで恥を忍んで頼んでるのに、なんでダメなの!? セッちゃんのおちんちんであたしをオトナにしてよぉ!」


 うおお!? そういう言いかたはズルいぞ! なんという甘美な響きか!

 くそっ、ちんちんがイライラしてくるぜ……。


「ねえ、一緒にオトナになろ……?」


 深雪がしなだれかかってくる。ぐおお、良い匂いがする。

 だめだ、これ以上は怒り狂ったちんちんに俺の意思を支配されてしまう……。


「そこまでです」


 ――はっ!?


 いつの間にか前方の闇の中に一人の少女が立っていた。

 襟つきの紺色のワンピースは綾小路家の侍女に支給される制服だ。

 この上に専用のエプロンを羽織ると、典型的なメイド服になるわけだが……。


 有紗である。さすがにエプロンつきでここまで来る勇気はなかったか。


「だ、だれっ!?」


 バッと深雪が振り返る。


「神楽坂有紗と申します。これでも中学三年生のときからのつきあいですので、覚えていただけますと幸いです」


 有紗がワンピースの端を抓み、慇懃いんぎんに礼をする。

 しかし、どうして有紗がこのタイミングでここにいるのだろう。


「お迎えに上がりました。お帰りが遅いので、お嬢さまが心配しておられます」


 そんなに遅いだろうか。

 だがまあ、助かった。

 このままではおちんちんの導くままにエッチなことをしてしまうところだった。


「危ないところでしたね。セイさまが人知れず純潔を散らされたと知れば、お嬢さまの悲しみたるやマリアナ海溝よりも深いものとなることでしょう」


 そこまで……?


「な、なんなの? あたしたち、これからちょっと大事な用事があるんだけど」


 深雪が俺の背中に腕を回すようにしてギュッと抱きすくめてくる。

 弾力のある胸が押しつけられてますますイライラ棒がとまらないぜ……。


「お嬢さまがセイさまの初物ちんちんを食い散らかすまで今しばらくお待ちください。それほど期間は要しませんので」


 言いながら、ツカツカと有紗がこちらに歩み寄ってきた。

 そして、おもむろに深雪の首根っこを掴むと、べりっと俺から引きはがす。

 というか、それほど期間は要しないって、俺、大人にされちゃうのか……?


「うわーん! セッちゃーん!」


 深雪が子猫みたいに奥襟を掴まれて引きずられていく。

 有紗のパワーが強すぎる。こいつ、本当に人間か?

 とりあえず、俺は引きずる有紗と引きずられる深雪のあとをついていった。

 おそらく、この方向は自転車置き場だろう。


「せっかくギャルにまでなったのに、オトナになりそびれた……」


 しっかり自分の自転車の前で下ろされた深雪が、さめざめと涙を流している。

 唐突なイメチェンもこのためだったのか……。

 まあでも、ギャルな深雪も可愛いからしばらくはこのままでいてほしい。


「本日のところはお帰りください。またの挑戦をお待ちしております」


 有紗が再び慇懃な仕草でお辞儀をする。

 お前は俺のいったい何なんだよ。


「……セッちゃん、あたしは諦めないから」


 帰り際、深雪は俺のことを睨むように見つめながらそう呟いていた。

 いちおう男としては喜ぶべき状況……なのか?


「さあ、わたしたちも帰りましょう。お嬢様が鼻水を垂らして泣きじゃくっています」


 そ、そこまで……?

 ちょっと帰るの怖くなってきたな。


「ティッシュをたくさんご用意いたしましょう。それとコンドームも」


 いや、それはいらん。


「慰めエッチをするのではないのですか?」


 そんなことはせん。

 あと、公衆の面前でそういうことを言うな。

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