第7話 聖女と王女の友情と、


優男のエドワード並に性悪のリティ・ロフェの聖女としての力は、破格の浄化能力だ。魔物の襲撃によって瘴気に侵された住民たちを、一瞬で救ってみせる。


しかし、本人がアレクサンドラに話したところによれば、彼女はこれまで魔物の出現を予測することもできていたのだという。魔物が現れる前には、空気のよどみがある。それを立証できたら、住民の被害を格段に減らせるだろうと。


魔物とは、いつどこに現れるかわからない存在だ。

突然現れて人々を喰らい、田畑や家屋を破壊し、瘴気という名の毒を振りまいていく。


それは大いなる災いであり、人に制御できるものではない。

ゆえに、神の罰であると語る聖職者も多くいる。

神の罰であり、神が与えた試練であると。


理由がわからないまま生活が破壊されるよりは、大いなる神の思し召しだといわれた方が心の慰めにはなるのだろうか? 神罰説を信じる者は結構な多数派だ。




魔物の出現を予測できると示すことは、連中の顔に泥を塗るのと同じことだ。




リティ・ロフェはまず教会の上層部へ話をしたが聞いてもらえなかった。そこでアレクサンドラを頼った。同じ女性であり、第一騎士団の副団長でもあるアレクサンドラ王女なら、こちらの言葉がどれほど突拍子なくとも、耳を傾けてもらえるのではないかと思って……。


あの女はそう切々とアレクサンドラに訴えたらしい。エドワードをゆすって手に入れた情報だ。


それを聞いたときルキウスは、思わず酒の入ったグラスをテーブルに叩きつけていた。


「殿下を利用する気満々だろうが、あの女……ッ!」


「まあ、やり方は上手いですよねえ。教会の連中に一度は説明しているんですから。アレクを頼ってくるまでの筋書きに無理はない」


エドワードは渋い顔で酒を煽りながらいった。


ルキウスもエドワードもわかっている。


リティ・ロフェの予測能力に嘘はないだろう。しかしあの女が動いているのは、民を思ってなどという単純な理由ではない。


魔物の出現は神罰だといわれている。


それを覆すためには、確たる証拠と強い後ろ盾が必要だ。


ろくな根拠もないまま予測可能だと訴えれば、異端扱いされて石を投げられる羽目になる。たとえ調査し研究し、資料と証拠をそろえたところで、立場が弱い者では握りつぶされるだろう。たかが聖女一人では対抗しきれない。現体制で利益を得ている者たち───つまりは教会の権力者たちが、自分たちの地位を危うくする発見を許すはずがない。


魔物の出現を予測できるというのは、それほどの大事だ。世界の常識をひっくり返すほどの。




だが───だからこそ、これを成し遂げた暁には、聖女の名前は歴史に刻まれるだろう。




リティ・ロフェは『世界を救った聖女』として、一国の王と肩を並べるほどの権威を手に入れることになる。

教皇の座を目指す女にとっては、これ以上ない最強の手札だ。


おそらくあの女はずっとタイミングをうかがっていた。


社交界に顔を出し、人脈を築いては、誰を後ろ盾に選ぶか慎重に吟味していた。


魔物の予測は強力なカードだが、同時に諸刃の剣だ。一つ間違えたら異端扱いされる。仮に信じたとしても、協力者の立場が強すぎれば、功績すべてを横取りされる危険もある。だが、教会に対抗できる程度には強くなくては駄目だ。


そうやって選び抜いた末に残ったのが、第五王女であり、第一騎士団副団長であり、公爵家当主であると同時に稀代の魔道具開発者でもあるルキウス・エズモンドの婚約者、アレクサンドラだった、というわけだ。


「どうして辞職願いを受け入れたんです。団長の権限で突き返せばよかったでしょうが」


「無茶をいいますねえ、エズモンド卿も。アレクの頑固さはよく知っているでしょう? ……俺がなにをいっても、こうと決めたら譲らないさ」


エドワードが自棄のように度数の強い酒を煽る。


そう、この件で最も厄介なのは、アレクサンドラがリティ・ロフェの本性を承知の上で、彼女と手を組んだことだった。


あの庇護欲をそそる微笑みに騙されているのではない。健気な言葉に同情しているのではない。


アレクサンドラは桜色の瞳の奥にある滴り落ちるような憎悪と、全てを焼き尽くすほどの野心に気づいている。あの女が自分を利用するために近づいてきたことを知っている。


それでも王女である彼女は、魔物の出現を予測することが可能になったら大勢を守ることができるからと、そう考えて手を組んだ。




……それが、リティ・ロフェにとって計算の内だったのかは知らない。




あの女の目的は、世界を救った聖女として強大な権威を得ることだ。自分を舌なめずりするような眼で見ながら『孫のよう』と語る老人どもの首を片っ端から落として、自分が教皇の座につくことだ。血染めの椅子に腰かけて笑うことだ。そのためなら何を犠牲にし、誰を踏み台にしてもかまわないと思っている。……思っている、はずだ。



アレクサンドラが第三騎士団を設立し、調査と研究のために動き始めてから数ヶ月が経った。



先日のことだ。ルキウスは見てしまった。


王宮の片隅にある人目につかない庭の中で、アレクサンドラと二人きりで話していたリティ・ロフェが、口の端だけで皮肉気に笑うのを。


それはあの『愛らしい聖女』にはあり得ない失態だった。


あの女はころころと表情を変えて、可愛らしく振舞ってみせるが、皮肉気な笑みなど決して人前で見せない。本性を隠すことにかけては徹底している。その仮面の分厚さは、エドワードさえも上回っているほどだ。


そのリティ・ロフェが、アレクサンドラの前で口の端だけで笑った。


皮肉気に。


それは年相応の令嬢のような顔だった。野心と憎悪をその一瞬だけどこかに置き去りにしたかのようだった。もしもリティ・ロフェの人生がもう少しやさしいものであったなら、いつもそんな風に笑えていたのかもしれないと思わせる笑みだった。親友を前に少し斜に構えて、呆れたように、それでいて『仕方ないわね』と許すような。




ルキウスは驚愕し、息を呑み、そして頭を抱えた。


(どうして貴女はこう、厄介な人間にばかり好かれるんですか……!)


アレクサンドラの鋼の意志こそが最も厄介だからか? それはそうかもしれないが、人柄でいうなら彼女はしごく真っ当だ。


世界を呪っている優男だとか、その異母兄で今は牢獄に繋がれた狂人だとか、野心の業火で世界を焼き尽くさんとする凶悪な聖女だとか、そういうろくでもない連中とは別世界の住人なのだ。


それなのにどうしてああいう連中が寄ってくるのか。


アレクサンドラのろくでなしどもへの吸引力が強すぎる。


ルキウスはこの苦悩をせつせつと書き連ねて腹心の部下へ送ったが、返信は「鏡を見たことがありますか、ご当主?」だった。あるに決まっているだろう。アレクサンドラの未来の夫として、常に身だしなみには気を付けている。


ルキウスとしてはもはや、リティ・ロフェの野心が一刻も早く達成されて、アレクサンドラとの協力関係が消えうせるように力を尽くすしかなかった。


(あの女、もしも教皇になるという野心に敗れて国を追われる羽目になったら、アレクサンドラに共に逃げてくれないかと請うくらいはやりかねない……!)


それも捨て鉢になった顔でいうのだ。どうせ無理に決まっているといわんばかりの眼をして、それでも願いを口にせずにいられない己を嘲笑いながら「わたくしと一緒に逃げてくださいませんか、殿下? ……な~んてね。ふふっ、冗談ですわ」などといったりするのだ。


ルキウスにはよくわかる。やすやすと想像ができる。なぜなら自分があの女の立場だったら同じことをいうからだ。


そしてアレクサンドラは、震えながら差し出された手をしっかりと掴むだろう。たとえ未来の夫と別れることになっても───!


そんなことは絶対に許さない。

何が何でも阻止してやる。

公爵家の全力を挙げて教会と敵対してやってもいい。

だからアレクサンドラの手を掴むな。一人で血塗れの椅子にでも座っていろ。


ルキウスはそう怨念混じりに考えていた。


これはなにも、自分の行き過ぎた妄想ではない。エドワードも同じことを懸念している。だからこそルキウスをリティ・ロフェにぶつけたいのだ。毒を以て毒を制そうとしている。


あの優男、自分だって猛毒持ちのくせに、安全圏で高みの見物ができると思うなよ。ウィンター家の当主となった異母弟とは関係良好なのだから、実家を動かせ。リティ・ロフェの好きにさせるな。



ルキウスはそう苛々と考えながらも、アレクサンドラの私室へ入っていった。


先に知らせがいっていたのだろう。室内には厳しい顔をしたアレクサンドラと、彼女の乳兄弟である侍女が一人いるだけだった。座るように促されて、来客用のソファに腰を下ろす。


アレクサンドラはローテーブルを挟んだ向かい側に腰かけた。


窓ガラスは天井から床まで大きく取られているため、初夏の日差しは眩しいほどに差し込んでいる。陽の光に晒される室内で、アレクサンドラの紅の髪と深緑色の瞳もまた輝いている。


ただし、瞳のほうは射抜くような鋭さを持ってこちらを見ているが。


侍女がローテーブルの上に紅茶を用意して退出していく。

アレクサンドラはぎろりとこちらを睨みつけていった。


「ルキウス、わたしになにかいうべきことがあるんじゃないか?」


「さて、思い当たることが多すぎて、どれについてのお話なのかわかりませんね」


「今は冗談を楽しむ気分じゃないんだ」


「それでは、私が考える『殿下に申し上げるべきこと』について端から端まですべてお話ししましょうか? 私が日々案じていることも含めてです。どれか一つくらいは貴女が聞きたいと望むことに当たるでしょう」


「いい、喋るな。わかった。わたしが話す。きみに話をさせるとろくなことにならない!」


「心外ですね」


ルキウスはいかにも傷ついたような顔を浮かべて見せたが、アレクサンドラからの視線には呆れと冷たさだけが同居していた。





アレクサンドラが話すところによると、こうだった。


昨夜のことだ。アレクサンドラがそろそろ休もうと思って就寝の準備をしていたとき、母親である王妃が突然靴音高らかに部屋へ押しかけてきた。アレクサンドラは呆気にとられた。


王妃の装いは外出から戻ってきたばかりという風であった。『そういえば今夜はお忍びで観劇に行くといっていたな』と思い出したものの、だからといって帰宅した母親が真っ先に自分のところへ突撃してくる理由は皆目見当がつかなかった。


王妃は『子供を八人も産んだようにはとても見えない』とご婦人方から羨ましがられる美貌とスタイルの持ち主であるが、それが血反吐を吐くような努力によって保たれているものであることを、子供たちは皆知っている。観劇に出かけて帰宅が夜更けになったとしたら、真っ先に肌の手入れをし入浴をして早々に寝るはずだ。多少の問題なら翌朝に回すだろう。


「夜中に対処などしないわ。心と体の美に悪いもの」と、常日頃からそう子供たちにいっているような母親が、こんな夜更けに駆け込んでくるなど、まさか隣国が同盟を破棄して攻めてきたのか? それとも魔物の大軍が出没したか───!? 


とっさに剣を掴んだアレクサンドラに、母親は外出用のドレス姿のまま、扇をびしりと突きつけていった。


「おまえ、どうして先にお母様に報告しないの!」


アレクサンドラの頭上に疑問符が浮かんだ。


「よそのご婦人からエズモンド公爵家が当主の結婚式の準備を進めていると聞かされて、お母様がどれほど冷や汗をかいたかわかる!?」


「えっ、結婚するんですか、ルキウスが? 相手はどなたです?」


「おまえよ!!」


アレクサンドラの頭上に疑問符が乱舞した。


「エズモンド卿は『結婚式の支度はすべて公爵家で持つ』といったのかもしれませんけどね。だとしても、その言葉を鵜呑みにして何もしないでいる子がいますか! 何をしていいのかわからなかったのならまずお母様に相談なさい! いくらすでに婚約しているとはいえ結婚するとなったら山のような準備があるの! おまえだってお兄様やお姉様の支度がたいへんだったことくらい覚えているでしょう!」


「あの、母上、なにか誤解があるようですが」


「エズモンド卿は昔からおまえにべた惚れだったから『何もしなくて構いません。すべて私に任せてください』なぁんていったのかもしれませんけどね、アレクサンドラ」


王妃は凄味のある声を低く響かせてから、胸をそらせるほど深く息を吸い込み、ドラゴンが火炎を吐き出すかの如くいった。


「おまえだって大人なのだからわかるでしょう! 新婦の家が何もしなくてよい式なんて存在しないの! ましてお前は王族なのよ!? 教会や晩餐会の手配はあちらが引き受けてくれるとしても、おまえの花嫁衣装はどうするの!? ドレスはエズモンド卿と二人で決めたいというなら構わないけれど、それでもあちらの家にすべて任せるわけにはいかないわよ。我が家の招待客のリストはこちらで作らないといけないし、贈答品はあちらの家と相談して、わたくしとお父様の当日の装いも早急に決めて手配しなくちゃいけないわ。それにお前の嫁いだお姉様たちにも知らせを出して出席できるか確認しないと、あぁもう、今秋に挙式予定ですって!? とても時間が足りないわよ。どうしておまえはもっと早くにいわないの!」


「落ち着いてください、母上。ひとまずどうぞソファに座って、紅茶でもどうぞ」


有能な侍女は、すでにローテーブルの上に用意してくれている。


アレクサンドラは、頭が痛いといわんばかりに額に手を当てている母親をソファへ導き、自分は向かい側に座った。


そしてきっぱりといった。


「母上、わたしに結婚の予定はありません。エズモンド家が式の準備を進めているとしても、ルキウスの結婚相手はわたしではありません。失礼ですが、母上に話をされたご婦人がなにか勘違いされているのだと思います」


「勘違いなはずがないでしょう。ここに来る前に、お父様にだって確認を取ったのよ。おまえとエズモンド卿の結婚を認めているとおっしゃっていたわ。もう、あの人もあの人よ。どうしてわたくしにそれを早く───……」


そこで王妃は異変を察したかのように言葉を止めた。


アレクサンドラは頬を引きつらせながらも、精一杯のにこやかさで母親に尋ねた。


「陛下が、結婚を認めたと、そうおっしゃったんですか?」


その一言で、王妃はおおよその状況を察したというように、短く天を仰いだ。


「あぁ……、そういうこと……」


「陛下にお話を伺ってまいります」


「まあまあ、待ちなさい、アレクサンドラ」


王妃はこちらへ視線を戻すと、表情を一変させて、慈母のように微笑んだ。


「エズモンド卿は国内随一の好物件よ。おまえの夫にぴったりだと、お母様は思うの」


「婚約は一時的なものだと最初からお話してありますよね?」


「あら、一時的なものというには、七年は長すぎるんじゃなくて?」


アレクサンドラは小さく言葉に詰まった。


こればかりは母親が正しい。かりそめの婚約というのは七年も続けるものではないだろう。


しかし、言い訳をさせてもらえるなら、アレクサンドラとて婚約解消しようと思ったことは今まで何度もあったのだ。けれど、毎回タイミングが悪くて、口に出せないままずるずると七年も経ってしまった。









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