第6話 野心家の聖女


そんな過去があるので、ルキウスは心の底からこの優男の騎士団長が嫌いだ。


だいたい、かつては女好きしそうな甘い笑みの下に、この世のすべてを呪うような眼を隠し持っていたくせに、今ではすっかり温かな瞳になってアレクサンドラを見つめているというのはどういうことだ。


世界中の人間が一人残らず息絶えればいいと呪うような眼をしていただろうが。


自分も世界も滅んでしまえと願っていただろうが。




今さら何を『優しくて気のいいお兄さん』みたいな立ち位置に収まろうとしているのだ!




アレクサンドラの頼れるお兄さんポジションに立つのはこのルキウスだ。


二歳年下というのはもはや誤差の範疇なので問題ない。自分は愛する婚約者であり、頼れるお兄さんでもある。


そう腹心の部下への手紙へ書いたら『そこは両立不可能ではありませんか? お兄さんなのに愛する婚約者ってキモくないです? あとご当主が殿下より二歳年下なのは覆しようのない事実ですから、潔く諦めてください』と返ってきた。


腹心の部下が不遜すぎる。


べつにルキウスだって真のお兄さんになりたいわけではない。だいたい真のお兄さんというなら血縁上の兄がアレクサンドラには三人もいる。


ルキウスはただ、エドワードに『頼れる男』という立ち位置を許したくないだけだ。そこにいるべきは未来の夫、つまりはルキウスである。


そうとも、自分は婚約者なのだ。


エドワードなど所詮元上司にすぎない。今となっては赤の他人だ。


それなのにアレクサンドラときたら、未だにこの男のことを親しみのこもった口調で「団長」と呼ぶのだ。


まさかアレクサンドラの好みは年上なのか? いやいやそんなはずがない。そんなことがあったらルキウスは時間遡行の魔道具作りに人生を費やすしかなくなってしまう。


だいたいアレクサンドラは年齢で相手を選ぶような人間ではない。大切なのは中身だ。その点自分は権力も財力も兼ね備えた男で、たぐいまれな美貌まで有している。未来の夫として完璧だ。


しかしアレクサンドラは一度もこの顔面にうっとりしてくれたことはない。おそらく見慣れてしまっているからだ。彼女の好みから外れているなんてことはあり得ない。


だがアレクサンドラはエドワードについては「団長は格好良いよね」と褒めたことがある。一度だけのことだ。何かの気の迷いだったにちがいないが、それでもルキウスは悔しさのあまり眠れなかった。


ルキウスは万人に褒め称えられる美貌だが、月の化身のようと謳われることからしてもわかるように、どこか人間離れした雰囲気を持っている。


一方でエドワードは、女癖が悪いと聞いたら万人が納得するような、たれ目に甘い顔立ちと、異性を惑わす空気を纏っている男である。


まさか彼女の好みはああいう顔なのか。いやそんなはずはない。彼女は内面を見抜く人だ。エドワードが甘やかな微笑みの下ですべてを呪っていることなど、とうに気づいていたはずだ。あんな屈折していて歪んでいる男など、彼女が好きになるはずがない。


ただしその論で行くと自分も相応しくないことになってしまうのだが、そこは人間性をカバーできるほどの地位・権力・財力があるから大丈夫だ。さらに今後も成長が見込まれるという、非常に有望性の高い人材だ。アレクサンドラの夫にぴったりである。


瞬きよりも短い間に、優秀な頭脳でつらつらとそう考えて、ルキウスは自信を取り戻した。




過去の事件をあてこすった発言によって、エドワードは眼差しを暗くしている。


ぜひそのまま世界を呪う旅にでも出てアレクサンドラの前から消えてくれと願っていると、エドワードは陰のある眼差しのままいった。


「エズモンド卿のいう通りです。俺は本当にアレクに申し訳なくて……、責任を取らせてほしいと頼んだことも何度もあったのですが」


「あの事件は団長のせいではありませんよ。あなたは被害者でしょう。取るべき責任など存在しません」


ルキウスは即座に手のひらを返した。


「ええ、アレクにもそういわれてしまいました。いや、お恥ずかしい。ああいうときは、あいつのほうがよっぽど大人ですね」


エドワードは照れたように首に手をやった。


そして、唇だけで笑った。


「アレクは恩人です。俺は決めているんですよ、エズモンド卿。誰かが彼女の意志を踏みにじろうとするなら、俺はどんな手段を使ってもその敵を排除しようとね」


エドワードの笑っていない瞳がルキウスを射抜く。


(なるほど?)


この男が声をかけてきたのは、それがいいたかったのか。


そう納得してから、ルキウスは鼻で笑った。


ルキウスはアレクサンドラの外堀を埋めて結婚を実現させようとしているが、そのことをこの男に非難されようと敵意を向けられようと何の痛痒も感じない。敵と認定されたところでどうでもいい。だいたいルキウスにとってエドワードはとうに敵だ。


ルキウスを裁くことができるのも止めることができるのもアレクサンドラだけだ。


彼女が鋼の意志を持って「きみとは結婚できないよ」というならルキウスは引き下がるしかない。あがくことも抗うこともできない。彼女が揺るぎない意志を持って望むなら。


ちなみに以前軽い口調で「そろそろ婚約解消しようか?」といわれたことはあるが、あれは軽すぎたしルキウスを巻き込まないための提案だった。だからルキウスは断固たる拒否を返した。



ルキウスは隙のない笑みを浮かべていった。


「殿下が第三騎士団団長となった今では、第一騎士団の団長にとっては赤の他人といえるほど関わりがないというのに、それほど心を砕いてくださるとはありがたいことです。殿下の夫として礼をいわせてください」


「とんでもない。アレクにとっては弟のような存在であるエズモンド卿が傍にいてくださることに、俺こそ感謝を申し上げたいところです。関わりのない異性ではあいつも意識してしまうでしょうが、弟相手なら安心できるでしょうから」


「何か誤解があるようですが、私はアレクサンドラ殿下の夫ですよ? あの方と人生を共に歩む唯一の男です」


「おや、発言には注意したほうがいいですよ、エズモンド卿。まだ婚約者の身にすぎないでしょう? それも訳ありのね。君がウィンター家に詳しいように、俺もエズモンド家のことはそれなりに知っているんですよ」


「ははっ、その割には情報が古いようですね。公爵家が結婚式の準備に向けて動いていることもご存じないとは」


「意に沿わない婚姻を強制させられそうになった花嫁が、他の人間の手を取って式の当日に姿を消す。そんな演劇をご覧になったことはありますか、エズモンド卿?」


「そうですねえ、迷っているところです。その発言を宣戦布告と見なして、我が公爵家の全力を挙げてあなたを叩き潰すかどうか」


「これは参ったな。なにか誤解があるようです。俺はただ忠告しただけですよ、エズモンド卿。───どこぞの聖女殿の動向には注意を払っておいたほうがいい、とね」


エドワードは含みのある笑みを浮かべてそういった。





ルキウスは苛々と王宮の廊下を歩いていた。

不機嫌さを表に出すような真似はしないが、内心は大荒れだ。


エドワードの狙いはわかっている。あの優男は自分を聖女への抑止力として使いたいのだ。いっそ共倒れになってくれたら最高だとでも思っているのだろう。第三騎士団設立の本当の事情をルキウスに明かしたのもそのためだ。


単に脅しに屈したわけではない。

あの男はアレクサンドラにとって不利になる情報なら拷問にかけられようと吐かない。


エドワードはアレクサンドラのためなら笑って死ぬ男だ。


ルキウスはちがう。ルキウスはアレクサンドラのためには死なない。手をもがれようと足を失おうと、這いずってでも生き延びてアレクサンドラのもとへ帰る。


だってアレクサンドラは自分が死ぬと悲しむのだ。


彼女を泣かせはしない。彼女を置いていきはしない。それが夫としての務めだ。

だからルキウスは、あんな身の内に破滅願望を飼っているような男より、はるかに彼女の夫としてふさわしいのだ。そう自負している。




しかしあの聖女と呼ばれるロフェ男爵家の一人娘リティ・ロフェは、ある意味ではエドワードより厄介だった。


エドワードは七歳も年下のアレクサンドラへ想いを寄せる変態だが、彼女を利用する気はまったくない。


だが、リティ・ロフェはちがう。


桜色の髪と瞳を持ち、小柄で華奢で可愛らしく、誰からも愛される聖女様。


それがリティ・ロフェへの一般的な評価だろう。

ルキウスも教会絡みの式典で何度か顔を合わせたことがある。


上目遣いでこちらを見上げてくる大きな瞳に、くるくると変わる表情、誰にでも平等に優しい聖女様。


その可憐な仕草を見ただけで、アレクサンドラには近づけたくないと思ったものだ。


教会の上層部を占める老人方は、みな、リティ・ロフェを孫娘のように可愛がっているのだという。健気であどけなく、この世の汚れを知らない愛らしい娘。そういって溺愛しているらしい。


ルキウスはそれを聞いたとき、まるで小動物に対する可愛がり方のようだと思った。手のひらに乗せて愛でて、けれど意思疎通を図ることはない。なぜなら相手の言葉が理解できないから。


本物の小動物ならそれもやむを得まい。


だが、相手は人間だ。


あの女が笑顔の下に何を隠し持っているか、都合の良い耳しか持たない年寄りどもは、その権力の座を追われるまで気づかないのだろうか?


いや、追われるそのときになってもまだ認められないかもしれない。




愛らしいだけだと思ってその鳴き声にも耳を傾けなかった存在が、確固たる意志と憎悪を抱いて、教会の頂点を目指し突き進んでいることなど。




───可憐な仕草は芝居。愛らしさは武器。弱く見せるのは相手の隙を誘うため。




───微笑みは猛毒で、実際のところ自分を取り囲む男どものことなど豚にしか見えていない。




───いつかお前たちの首を残らず刈り取って犬の餌にしてやろう。その日までせいぜい肉を蓄えておけばいい。




……あれはそういう考えの聖女だと、ルキウスは最初から気づいていた。


とはいえ、式典であいさつを交わす程度の関係であったときは、特に何も思うことはなかった。


教皇を始めとした老人どもが、孫のようだと語る口で抑圧の息を吐き出しているのを眺めては、あの聖女が教皇の座を手にするのは、さて、十年後か二十年後か……と考えたくらいだ。


あの聖女はいつか、年寄りどもの首を一つ残らず刈り取って、血塗れの椅子に座り、心からの笑みを浮かべるのだろう。


そう予測できていたが、ルキウスにリティ・ロフェの野心を阻む理由はなかった。いずれ教会は大きく揺れ動くだろうから、王家と公爵家と、何よりアレクサンドラが巻き込まれないように手を打っていこうとは思った。その程度だった。


そう、リティ・ロフェが、アレクサンドラを利用するために近づくまでは。


いいや正確にいうなら、あの頑固者のアレクサンドラが、人々を守ることができるならという理由でリティ・ロフェの手を取ってしまうまでは!













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