第5話 恋敵
王宮へ上がり、アレクサンドラの私室へ続く回廊をひとり歩く。
案内は断ったし、供の者も置いてきた。
ルキウスは公爵家当主だが、単身で行動することを好んでいた。他人が常に傍にいるなど息が詰まる。そう思うのは、名家の嫡男らしい育ち方をしていないからだろうか? ルキウスが傍にいて苦痛を感じないのは、ごく一部の身内とアレクサンドラだけだった。
初夏の日差しの中、風は花の香りを運んでくる。
ルキウスはうっかりとにやけてしまいそうになる顔面を引き締めて歩いていた。
そして前方から来る人影に気づいて、露骨に顔をしかめた。
無駄に輝く金の髪に、酷薄そうな青の瞳。女好きするだろう甘く端正な顔立ちに、胡散臭い微笑み。
第一騎士団団長のエドワード・ウィンターだ。アレクサンドラの元上司である。
「おや、エズモンド卿。こんなところで会うとは奇遇ですね」
胡散臭い優男という表現がぴったりな騎士団長は、わざわざ声をかけてくる。
ルキウスは舌打ちしたい気分だったが、顔には出さずに微笑んでみせた。
「お久しぶりですね。私のほうこそ、勇猛果敢で名高い騎士団長とこのように穏やかな場所でお会いするとは思いませんでした」
「ははっ、今日は陛下に呼ばれていましてね。エズモンド卿といつ以来でしたか……、ああ、第三騎士団が設立された頃にお会いして以来ですね」
その節はどうもと微笑まれて、ルキウスもにこやかに笑み返した。
前回会ったのは、ルキウスがアレクサンドラの情報を得るためにこの男をゆすったとき以来だ。
アレクサンドラは第三騎士団を設立した真の目的について、ルキウスには明かしてくれなかった。彼女が実現しようとしていることは、一つ間違えたら教会に異端扱いされる危険性があるとわかっていたからだ。
アレクサンドラは例によってルキウスを守るために沈黙を守り、事もあろうに婚約解消を提案してきた。ルキウスは凍り付いた眼差しでその申し出を拒否し、独自の情報網を駆使して事情を探った。エドワードを脅したのはその一環だ。
アレクサンドラはこの男の補佐役でもあったので、退職の際に事情を打ち明けていたのだ。まあ仕方がない。職務上の義務というものだ。たったそれだけの話だ。
断じてこの胡散臭い男を信頼し心を許しているなどということはない。まして頼りにしているなんてことはあり得ない。こんなたかが侯爵家の庶子という出自の騎士団長より、公爵家当主へ登りつめた自分のほうがはるかに権力も財力もある。アレクサンドラにとって頼りがいがある未来の夫だ。間違いない。
ルキウスは己の美貌を最大限に活用した麗しい笑みを浮かべて見せた。
「私はアレクサンドラ殿下に呼ばれているんですよ。おそらくは結婚式の相談がしたいのでしょう。あの方は昔からこういったことが苦手で、何かあるとすぐ私を呼ばれるんです」
困ったものですといいながら、自分たちの親密さと結婚間近であることをアピールしておく。立場を誇示しておくのは大切なことである。
しかし性格の悪い優男は怯んだ様子もなく、同感だというように頷いていった。
「アレクは格式張ったことが嫌いですからね。あいつは本当に、いつまでもそういうところが子供っぽくて。うちに入団してきた十二歳の頃からちっとも変わってないんですよ」
は? 十二歳のときから知っているという自慢か?
ルキウスの口元がわずかに引きつった。
ルキウスがアレクサンドラに出会ったのは彼女が十五歳のときである。
しかしこの優男はアレクサンドラが騎士団に入った当時からの先輩なので、ルキウスの知らない彼女を知っている。
せめて幼い頃の話を聞かせてほしいとアレクサンドラにねだったこともあったが、彼女は話したがらないかった。本人曰く「子供の頃は結構無茶をやっていたから……、思い出すと恥ずかしいんだよ」とのことだ。ルキウスは「殿下が無茶をされていないときなんてないのですから、何も恥ずかしがることはないでしょう」と返したが、怒られた挙句に何も教えてもらえなかった。
それなのに、婚約者の自分が知らないことを、この胡散臭い優男は知っている。改めて考えるとなんという理不尽だ。早急に改善を要求したい。調査によって情報を得ることは可能だが、こういうことはアレクサンドラから話してもらってこそ意味を持つのだ。
ルキウスは、その優れた頭脳を持って暴風雨のような思考を巡らせつつも、表面上はあくまで穏やかにいった。
「殿下は団長とはずいぶん歳が離れていらっしゃいますからね。子供の印象が強いと、なかなか変化に気づきにくいのではないでしょうか? 私などは歳が近いものですから、殿下が日々美しく成長されているのを感じてしまいますね」
「ええ、俺なんかはもう付き合いが長いですからね。アレクの子供じみたところも可愛く見えて、何でも許してしまうんですよ。甘やかすのはよくないと、自分でも思っているんですがね。その点、エズモンド卿はご立派ですよ。いつも殿下に厳しく接されていて」
ルキウスのこめかみにぴきぴきと青筋が浮かんだ。
この優男はアレクサンドラより七歳年上の二十九歳だ。いい歳をした男で、七歳も歳の差があるというのに、実はアレクサンドラに密かな好意があるのだ。
本人は隠しているしアレクサンドラは気づいていないが、ルキウスはとうに気づいている。信じられない話だ。七歳も年下の女性に横恋慕するなんて変態だ。
これが二歳差なら、歳の差なんてあってないようなものであり、もはや同い年といっても過言ではない。しかし七歳差は変態だ。変質者だ。牢屋にぶち込んでやりたい。ひとまず殿下の傍をうろつくべきではない。
ルキウスは心からそう思っているし、腹心の部下への手紙でもその旨を記載したが、返信は『俺の両親は十歳差ですけど今も仲の良い夫婦ですよ。大事なのは愛情と誠意です、ご当主』とのことだった。誰がそんなことを聞きたいといった? とルキウスは無言で手紙を燃やした。
腹心の部下の両親や、その他大勢のことなどルキウスは問題視していない。問題があるのはこの厭らしい下心を持った騎士団長だけだ。
ルキウスは可能な限り穏やかな口調でいった。
「ところで、団長。殿下はすでに第一騎士団を辞されて、今は第三騎士団団長を務める身です。いつまでも気安く愛称で呼ばれるのはいかがなものでしょうか? いえ、殿下は寛大な方ですから気にされないでしょうが……、団長は華やかな噂を数えきれないほどお持ちでしょう? もしも誤解で殿下が逆恨みされるようなことがあったらと、私は案じているのですよ。なんといっても、四年前には似たようなことがあったわけですから……」
心配でたまらないといわんばかりの憂いを帯びた顔をする。演技をする必要もない。心配でたまらないのは本心だ。
ルキウスが公爵家の自領で引継ぎをしている間に、アレクサンドラが大怪我を負ったあの一件。
あれはこのエドワード・ウィンターを庇った末のことだった。
エドワードは侯爵家の庶子で、正妻の子である異母兄と異母弟がいた。
異母弟は物静かな性格で腹違いの兄弟に何かを仕掛けることはなかったが、異母兄のリチャードはちがったらしい。エドワードを目の敵にして、なにかにつけて嫌がらせをしていた。
エドワードが成功しかければ足を引っ張り、友人を得れば相手の家へ圧力をかけ、夢を抱けばその邪魔をしたのだという。
異母兄といっても同い年だというのがまたリチャードを狂わせたのかもしれない。
エドワードに対する嫌がらせはもはや執着といってよく、二人の父親が亡くなってリチャードが侯爵家当主の椅子に座ると事態はますます悪化した。
騎士団内の同僚たちは薄々事情を察していたが、侯爵家に対してできることはなく、それは当時の団長ですら同じだった。
それを、アレクサンドラが公然と庇った。
王の子とはいえ、三人の兄と四人の姉を持つアレクサンドラに、権力と呼べるものはない。王家の威信ですら末の子となれば薄いベールのようなものだ。
───でも、盾になることはできるだろう?
アレクサンドラはそういった。
侯爵家当主を止められるほどの力はないが、盾になることはできる。この身を直接害するのは王家を侮るのと同じこと。第五王女の陰口ならいくらでも叩けるが、公の場で自分を侮辱することはできない。それが王族であるということだ。
───だから、盾になれる。
そう考えて当時上司だったエドワードを庇い続けたアレクサンドラは、とうとう狂ったリチャードの執着を弟から引きはがすことに成功した。
代わりに自分が標的になるという最悪の結末付きで。
アレクサンドラは非常に頑固で平然と無茶をやる人間だが、彼女は至極まともな人柄だ。だから彼女にはリチャードの歪みを理解できなかったし、甘く見てもいた。
リチャードは王家へ剣を向ける罪の重さより、侯爵家当主の地位よりも、何よりもアレクサンドラの絶望を求めた。挙句の果てにはそれが愛であるとすら口にした。
アレクサンドラが間一髪のところで助かったのは、彼女自身の強さに加えて、エドワードの必死の捜索と、ルキウスが渡していた試作品の魔道具があったからだ。
それでもアレクサンドラは大怪我を負った。
もし彼女が失われる事態になっていたら、ルキウスは憎悪の怪物になっていただろう。
実際、事情を聞いたルキウスは怒り狂った。牢に繋がれたリチャードはもちろん、エドワードも殺してやると叫んだ。しかしアレクサンドラは静かな瞳でルキウスを見つめていった。
───リチャード・ウィンターは捕まった。この先はわたしやきみの仕事じゃない。
───副団長は被害者だよ、ルキウス。
そこには確固たる意志があり、強さがあった。
アレクサンドラはエドワードを加害者側の人間として扱うことを認めなかった。
歯を食いしばったルキウスに、彼女はふと疲れたような息を吐き出して、まどろむように眼を閉じていった。
───ここで死ぬのかと思ったときに、頭に浮かんだのはきみの顔だった。どうしてだろうね。きみはもう立派な公爵家当主で、きみを支えてくれる人たちがいるとわかっていたのに。それでも……、どうしてだろう。もう一度きみに会いたいと思ったんだ……。叶ってよかった……。
ルキウスは何もいわなかった。
いえなかった。
耐えきれないほどに目が熱く、喉が熱く、胸が焼けるようだった。
ルキウスはアレクサンドラの手を握った。
彼女が眠りに落ちるまで、そして眠りに落ちた後も、ずっとそうやってそばにいた。
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