第2話 王の末の子②


あ、これは長いお説教が始まるなと、アレクは悟った。


この婚約者が愛称のアレクではなく『アレクサンドラ』と呼ぶときは、怒りが限界近くまで溜まっているときだ。スーパーネチネチタイムの始まりを告げる鐘である。アレクは即座に聞き流す態勢へ移行した。


「殿下は私が何も気づかない愚か者だと思っているのでしょうか? それとも愚か者であってほしいという願望ですか? どちらにしろお応えすることはできませんね。貴女とあの男爵家の聖女が陰でこそこそ何をしているか私が知らないとお思いか? 


貴女は十二歳で安寧を捨てて民を守るために騎士団へ入り、散々馬鹿にされ蔑まれ邪魔者扱いされながらも、功績を上げて人望を得て、実力で副騎士団長まで登りつめたのですよ。それをあんな女の話を鵜呑みにして何もかも捨ててしまって! 


あの女が訪ねてきたその日に騎士団を辞めると団長へ話をしたそうですね? 私が何も知らないとお思いか? あいにくですが、騎士団長の弱みの一つや二つ握っているんですよ。当然でしょう、貴女の傍にいた男なのですから。


貴女は随分あの男を尊敬していたようですが、あの男は仕事ができるだけで女性関係のだらしなさは最悪でしたよ。仕事ができればいいというものではありません。


その点、私でしたら、その、女性に丁寧だと社交界でも評判なのですよ。私のような男を夫にしたいと考えるご令嬢や貴婦人は大勢いるのです。殿下は御存じないでしょうが、我が公爵家には未だに多くの釣書が届いています。それもこれも私の夫としての有望さを示す証拠でしょう。


ゴホン、とにかく、あの男が貴女を不当に扱ったときの保険として握っていた情報を、まさかあんな女の話を聞きだすために使うことになるとは思いませんでしたが、私は知っているんですよ」



今日も話が長いなあと思いながら、紅茶を一口飲む。王宮の紅茶は冷めてもおいしい。


話の大半は聞き流したが、元上司である騎士団長の話をしていたような気がする。


あの人は本当に女性関係が派手だった。仕事ができた上に容姿もよかったからだろう。自分も面食いなので女性たちの気持ちはわかる。



「いいですか、殿下? 私が問題視しているのは、貴女が騎士団を辞めたことではありません。貴女が辞めたいと思ったならいつ辞めてもいいのです。


しかし、あの聖女の胡散臭い話を聞いたその日に辞める決意を固めるというのはいかがなものでしょうか? まず身近な人間に相談してみてもよかったと思いませんか? 


魔物や浄化の話であるなら、なおさら、そういったことに詳しく、優秀で有能で、魔道具作りの天才と謳われる男が貴女の傍にいるではありませんか。私は婚約者ですよ? 真っ先に貴女に相談を受ける権利があると思うのですがいかがですか? 騎士団長には相談しておいて私にはなぜ事後報告なのですか? 非常に理解に苦しみます。


殿下は昔から婚約というものを軽視なさっておいでですが、婚約とは婚姻における契約であり、社会的にも重要視される関係なのです。軽い気持ちで解消などできるわけがないでしょう。残念でしたね。


こうなるのが嫌だったら貴女はあの屑を刺し殺そうとする私を止めるべきではなかったし、王宮へ連れて帰るべきでもなかったんですよ。公爵家で親殺しが起ころうと見て見ぬふりをすればよかったのに、貴女はよりにもよって婚約という首輪で私を繋いだのですから、責任は取っていただかないといけません。


いいですか、殿下? 昔からいうでしょう。拾った犬の面倒は最後まで見ろ、と。


ええ、ですが殿下、私は貴女の足を引っ張るような男ではありません。公爵家は掌握しましたし、魔道具開発によって富と名声も得ました。貴女が保護するべき犬ではなく、実績と能力を兼ね備えた貴女の未来の夫です。貴女が悩み事を抱えたときに『相談したいな』と感じるには最適の相手であると自負しています。


にも関わらず、貴女は、騎士団を辞めた件については事後報告しかしてくださらなかった。あの軽薄な騎士団長には話をしたというのに。


もしや殿下は、私が未来の夫であることをお忘れでしょうか? まさか未だに婚約解消ができると思っていらっしゃる? ははっ、貴女は本当にそういうところが忌々しいほど甘いですね。これは国王陛下が認めた婚約です。今さら逃げられるはずがないでしょう」



話はほとんど聞いていなかったが、婚約者殿がいきなり低い声で凄んできたので、アレクもさすがに顔を上げて彼を見た。


婚約者殿の闇色の瞳は、ぎらぎらと、こちらを食い殺さんばかりの激情を湛えている。


『すまない、話が長くて聞いていなかった』ともいえずに、アレクは誤魔化すように微笑んだ。婚約者殿が怯んだ顔をしたので、さらにニコニコ笑ってみせる。


別に作り笑いをしなくとも、婚約者殿を前にすると自然と笑みが浮かぶ。なんといっても眩い美形だからだ。婚約者殿はスーパーネチネチタイムですら、月の化身と称えられる美貌は揺らがない。アレクは面食いなので婚約者殿のことは普通に好きである。


「……っ、わかっています、貴女が、どうしても、絶対に、私との婚約を解消したいというなら私は……、ですがっ、私はまだ殿下の婚約者です。貴女が瘴気に当てられて苦しんでいるなら、私には知る権利があり、貴女を助けるために動く義務があるのです。


わかりますか、殿下? これは婚約者の義務であり責務です。これを蔑ろにしては国王陛下の私への心証も悪化することでしょう。


私が苦しむ貴女の元へ駆けつけてできる限りの手を尽くすというのは、これは断じて私の願望ではなく、果たすべき義務なのですよ。


だというのに殿下、婚約者である私には知らせの一つもないままあの聖女を呼び出すというのは、いったいどういうお考えなのでしょうか? 


よろしいですか、殿下? 殿下があの聖女の話を聞いて、魔物の出現を事前に防げるかもしれないという可能性に、ご自身の人生を賭けるだけの価値があると判断されたことについては、私は何も申し上げません。殿下がそう決められたのなら、私は婚約者としてお支えするだけです。ええ、それが婚約者の義務ですから。


ですが殿下は、この良くいっても夢物語のような、悪くいえば気が触れたような計画に、公爵家当主である私を巻き込むことはよろしくないと考えられたのでしょう? 王女とはいえ八番目の末の子であり、昔から問題児扱いされていた自分はともかく、とね? 


殿下の短絡的な思考など手に取るように分かります。殿下から婚約解消を持ち掛けられたときには、この絶望のままに世界を滅ぼしてやりたいとすら思いましたが、殿下が私の立場を憂慮されたのだろうことはすぐに気づいたので、作りかけていた破壊兵器も処分したのですよ。


しかし殿下、あまりにも言葉が足りなすぎるとは思われませんか? 殿下が口にするべきは「婚約は解消しよう」ではなく「きみの力を借りたいんだ」であるべきであったとは思われませんか?


 「わたしを助けてほしい」や「きみが必要だ」や「きみは頼りになる」や「きみを信頼している」や「きみと早く結婚したい」であるべきだったと思いませんか? 


私は思いますね。殿下は私に事情を説明して助力を請うべきです。なぜなら私は殿下の婚約者ですので。この世に二人といない貴女の婚約者です。未来の夫なのですよ。さらには地位も権力も実力も兼ね備えています。これほど頼る相手として最善の選択肢はありません。


にも関わらず殿下は、未だに私に何の話もせず、『殿下のお遊び騎士団』などという悪評が私にも通じると考えていらっしゃる。信じがたい話です。これは大きな過ちです。どうして婚約者たる私が貴女の口から何も聞けずに、己の情報網から情報を得て判断するしかないという境遇に追いやられているのですか? これはあまりにも不遇です。私は人生でこれほどの不遇をかこったことはありません。


殿下は私を巻き込みたくないとお考えなのでしょうが、そのような配慮は未来の夫たる婚約者相手には相応しくないと、どうしてご理解いただけないのでしょうか? 


常々申し上げておりますが、殿下にはもう少しご自分の立場をわきまえて行動していただきたい。この”行動”の内容について具体的に申し上げますと、有能で優秀な婚約者を頼るなどになります。


特に、調査先で魔物に遭遇し、瘴気に当てられてしまったときは、真っ先に私に連絡をするべきです。


いいですか、百万歩譲って、部下たちの前では強い騎士団長であろうとしたことについては何も申しません。まだ新設の騎士団で、部下たちも寄せ集めの者ばかりとなれば、貴女が強くある必要もあるでしょう。平気な振りをしたまま王宮へ戻ってきて、留守中の状況を把握するために宴を開いたことについても、五億万歩譲って目をつぶって差し上げましょう。


本心を申し上げるならさっさと休んでくれとしかいいようがありませんが、王宮内の女性たちしか知らぬことが数多くあることは私とて承知しております。


しかし、しかしです、殿下。


なぜ翌日に呼ぶのがあの女なのですか? 確かにあの聖女は人体に対する破格の浄化能力を有していますし、現在の一般的な魔道具ではあの女ほどの効力は持ちえないのも事実です。


しかし、それはあくまで一般的な話です。貴女の未来の夫である私は財力を持った天才です。人体の浄化に高い効果を発揮する魔道具をかき集めることもできますし、私自身が開発した物もいくつもあります。私は決して大地の浄化専門ではないのです。騎士団にいた頃の貴女が、瘴気に侵された土地やそこに住めなくなった人々について心を痛めていたから、婚約者として解決策を探っただけです。何なら今後は人体の浄化を専門としてもよいと考えています。


殿下にとって最も頼りになる相手が誰であるかおわかりですね? 

そう私です。


貴女にとって私こそが最も有能で優秀で優しくて格好良くて頼りになる最高の男であり、人生を共にする相手としてふさわしいはずです。あの女癖の悪い騎士団長や、か弱いのは見かけだけのしたたかな女狐聖女などより、私こそが貴女を護り支えることのできる人材です。いかがですか、殿下? いい加減、私の話をご理解いただけたでしょうか?」



紅茶のお代わりが欲しいなと思っていたアレクは、婚約者殿から発せられる音声が終了したことに気づいて、ハッと意識を現実に戻した。


凄みのあるオーラを放っている美貌の婚約者殿を見上げて、ここで何も聞いていなかったといったら鶏のようにキュッと締められるかもしれないと真剣に考える。婚約者殿は優雅さと高貴さを兼ね備えているが、実は結構過激なところがあるのだ。


婚約者殿の未来の妻になる人は大変だなと思うが、そのくらいの苦労はしてほしいとも思ってしまう。アレクは婚約者殿が好きであるし、いつか彼に愛を囁かれるのだろう誰かに嫉妬心もある。率直にいって羨ましい。自分なんて婚約者殿から長い長い説教しか囁かれたことがない。おかげですっかり聞き流すことと誤魔化すことが得意になった。


ひとまずアレクは婚約者殿を見上げて、にっこりと微笑んでごまかしの台詞をいった。


「ああ、よくわかったよ」


「───っ、本当ですか!? 今度こそ本当ですよね? 信じますからね? 責任を取ってくださいね?」

「わかった、わかった」

「今度こそ、ご自分の立場をわきまえて行動してくださいますね?」

「ああ、善処しよう」

「そっ……、それとですね。結婚式はいつになるのかと、陛下からせっつかれておりまして。いえ、私はいつまででもお待ちできますが、陛下がですね」

「わかった、父にはわたしから話をしておこう」


婚約解消する予定だとは何度も伝えてあるのにな、とは思いつつも、アレクは大きく頷く。


父のことは任せてくれという眼で見上げると、婚約者殿の白皙の美貌が朱に染まった。どうしたのだろうか。妙に嬉しそうだ。


「殿下」


婚約者殿はにいっと唇を引き上げて笑った。


「言質は取りましたからね」


婚約者殿はときどき怖い笑い方をする。







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