2.Writer & Killer.

 翌日のブレンド社の社長室は緊張感に包まれていた。

社長のスターゲイジーがどっかり座った前には、未春とニム、向かい合わせてペトラとラッセルが座っている。単なる作戦確認に過ぎなかった筈だが、のっけからコーヒーテーブルを挟んで火花を散らす二名が居た。

「当初の予定通り、私はベルリンまでは同行する。ニムの隣席は確保したけれど、私は機内では別の場所に座るから」

当初の予定を変えて来た喪服の麗人に、作家は事も無げに挙手した。

「ペトラ、それはつまり、航空機内は安全ってことかい?」

咎める調子で尋ねたニムを麗人は帽子の下から面倒臭そうに見てから頷いた。

「あんたと未春がベルリンに居るのを”見た”以上、到達できることは間違いない」

「それはそうだけど……航空機で着くとは限らないじゃないか。君が居たから無事に着く可能性もあるだろ?」

「私が”見る”のは数分後から近日中の出来事なのは知ってるわね? あんた達の航空機が撃墜されようが、ハイジャックに遭おうが、二、三日後には着くのが決まっているし、そこに私の姿は無かった。あんたには充分な保障だと思うけれど」

「どこが?」

恐れている割に猛然と歯向かうニムを、戦々恐々といった顔でスターゲイジーとラッセルが見ていたが、ペトラは面倒臭そうにしながらも質問にはきちんと答えた。

「先に説明した通り、あんたの隣に座る坊やは一流よ。あんたという目が良いだけのお荷物を抱えても軍隊と戦えるレベルのね」

この麗人が云うには相当の賛辞に、当の未春は目を瞬かせて彼女を見つめ、今度は鼻を鳴らしたニムに移った。

「彼を疑うわけじゃないけどね――ペトラ、備えあればって言うだろ? 君は予定を変えるのを嫌がる方じゃないか」

スターゲイジーとラッセルがハラハラした視線を送るが、作家は気にしなかった。すると今度はペトラが鼻を鳴らすので、未春はそっちを見た。

「人の手を借りて威張れるあんたが口を挟むことじゃない。その坊やのフィクション並の高い再生能力は、盾としてならブラックよりも上。それでも何か文句が?」

皆の視線がサッとニムに移る。彼は嘆かわし気に両手を挙げた。

「僕より若い青年を盾にしろって? ペトラ、そこまで非人道的になるのは児童書の読者に申し訳が立たないよ」

「読者はあんたの見栄も五体も気にしないわ」

「別に僕は心配してもらおうって言ってるんじゃない」

「そこまで私におりをしてほしいっていうの?」

「そんな恐ろしい事を頼むわけないだろ……僕は彼が一流でも、一人に託す案件じゃあないと言いたいわけで――」

一通り視線を往復させたところで、ふっと大きい手が挙がった。

「おい、お前らの主張はわかった。ちょっと落ち着け」

勇気ある割り込みを果たしたスターゲイジーの一言に、両者は挑戦的な顔をちらちらと見合わせ、ひとまず口を閉ざした。

「悪いなミハル、お前を同席させたのは、こいつらの言いたいことをわかってもらいたかったからだ」

未春は互いにムッとしている両者を見て、こくりと頷いた。

「わかります。俺はどちらでも構いません」

「おお、聞いたか。お前ら――これが大人オトナの意見ってもんだぜ」

押し黙る男女を眺め、異論が出ないことを認めると、スターゲイジーは頷いた。

「よし、埒が明かん時は俺の意見を優先するのがウチのやり方だ。――ニム、ひとまずペトラの意見通りに行動しろ。ペトラも”想定外”の事態が起きた場合は臨機応変に作戦を変えろ。いいな?」

『……Yes, boss』

伊達にブレンド社のボスではないらしい。やや不安げな面持ちの作家が頷き、麗人も帽子の下で静かに頷いた。

「ボス、アクシデントの内容によっては、レベッカとの約束に反することになるけれど」

「俺はお前の判断を信用している。それが約束を反故ほごにするなら仕方ねえ、俺の名も好きに使っていい。……ああ、ミハルは使うんならトオルの名にしろよ。ドイツで下手に俺の名を出すとテレビ塔に吊るされちまうからな」

ジョークか本気かわからない言葉に未春が頷くと、話はそれで済んだらしい。

「ありがとうございます」

殊勝に頭を下げた未春に嫌な顔をする者は居なかったが、当の青年は首を捻った。

「どうして、スターゲイジーはそこまで協力してくれるんですか?」

「フフン、俺に打算がえとはお前も思うまい。今は協力した方が、都合が良い――それだけだぜ?」

悪党らしい笑みを浮かべた紳士に、未春は少しだけ笑った。

その合間を縫うようにラッセルが新しいお茶を注いで回ってから言った。

「……そうだ、未春。頼まれていた件の都合がつきました。出立前に会いに行ってみますか?」

「いいんですか」

はっとした様子の青年に、紳士はにこやかにカップを押しやりながら微笑んだ。

「勿論です。”彼も”不出来な弟子ですから、失礼なことを申し上げると思いますが」

「構いません。お願いします」

「では、一服したら参りましょう」

頷いた青年の聴力をよくわかっていないニムが、コソコソとペトラに話しかけた。

「彼、誰に会いに行くの?」

「あんたが新作のモデルにしようとした奴よ」

何に対してか呆れた調子で返した麗人に、作家は合点がいった顔で肩をすくめ、スターゲイジーは茶を含んでからニヤニヤ笑った。

「全く、悪党ってのは奇想天外だよなあ、ニム」

「ええ、まったく」

作家は良い香りのお茶に向かいながらしかつめらしく頷いた。

「まさか、会いに行こうとしている”ハル”もああいうタイプかい?」

わりと本気で嫌そうな様子の作家に、未春は目元以外はぴくりともせずに瞬いた。

「会ったこと無いんですか?」

ハルトはアメリカでの活動中、イギリスにも来ていたと言っていた。当時、ブラックはまだブレンド社に居なかった様だが、ニムは赤子の頃からロンドン在住と聞いている。正確には、彼は赤ん坊の段階でブレンド社の入り口に放置され、スターゲイジーらに保護されて育ったのだから、面識が有ってもおかしくないのだが。

「無いと思うけど」

回答を求めるように作家が他の三人を振り返ると、スターゲイジーが顎髭を撫でた。

「会ってねえ……かもな……?」

ボスに疑問符を投げかけられたラッセルが首を捻り、視線がペトラに渡ったところで、彼女は帽子のつばを摘まんで軽く直してから言った。

「私もニムも、今回のようにいつもロンドンに居るわけじゃない。フライクーゲルの来訪に合わせて退散したのではないにしろ、作家になってからのニムが社に来ることは稀よ。わざわざ挨拶をする意味も無い」

「まあ、殺し屋とお近づきになりたいと言ったことはないからね。でも、彼がこっちに来てまで会いたいんだ、良い人なんだろう?」

何故か、未春も含めて妙な沈黙が落ちた。まずいことでも言ったかという顔になる作家に未春は小首を傾げた。

「ハルちゃんは、良い人というか……ちょっと口やかましい理屈屋なんです」

「ああ、ハルに理屈屋とは言い得て妙ですね」

可笑しそうにラッセルが言うと、目を瞬かせた作家に向いた。

「安心したまえ、ニム。ハルは君が想像する悪党ほどひどくはない。理知的な若者だし、読書家だ。話が合うと思うよ」

「それは有難い。何といっても殺し屋ですからね。口を滑らせて殺されては堪らない」

本気で言っているのだろう作家は怖がっているのか気にしていないのか謎だった。なんだか可笑しくて未春は口元を綻ばせたが、麗人は鼻を鳴らした。

「あんたは相手が殺し屋じゃなくても殺されかねないものね」

反抗するかと思いきや、ニムはしみじみと頷いた。

「そうとも……この取材が上手くいかなかったら、編集長のネクタイで締め上げられるか、ペンで目玉を突かれるかもしれない」

彼が契約する出版社には、猟奇殺人鬼でも居るのだろうか?

とりあえず、この作家の命は守ってやらねば。過激派編集者と付き合っているらしい男を眺めながら、未春は笑わない様に気を付けて胸に誓った。




 アットホームなブレンド社から一転、栗毛の欧米人と向かい合ったのは、クリアなアクリル板を挟んでの面会室だった。

ラッセルに伴われてやってきたそこは、ブレンド社からも程近い普通のオフィスビルに入っていた一室だ。警察署でも刑務所でもない――にも関わらず、そうとしか思えない設備は向かいの部屋にも扉が有り、警備は立っていなかったが、監視カメラが付いている。強いて言えば室内はテレビで見るようなそれに比べて明るく、床は普通のオフィスさながらの清潔なカーペットが敷かれ、間接照明はのんびりくつろげるリビングに有りそうな光を灯していた。相手が座っていた椅子に至っては、しっかりした革が艶めく上等の一人掛けソファーだ。

未春の方も、貧相なパイプ椅子などではない、DOUBLE・CROSSダブル・クロスに並んでいそうなゆったりした背もたれと肘掛けの付いた椅子である。

先に座っていた若い欧米人は、椅子の上で首を捻った。その左目に眼帯が付いている以外、スーツにネクタイという普通のビジネスマンに見えた。

「誰だっけ?」

出会い頭にそう言った男は、こちらが何か言う前に理解したように頷いた。

「あ、わかった。ハルと一緒に居た日本人か。なんだっけ、フレディが言ってた……」

十条じゅうじょう未春みはるです」

きちんと名乗ったつもりだったが、男は不快げに眉を寄せた。

「今、言うところだったのに」

子供っぽく不貞腐れた様子に未春が目を瞬かせると、傍らに腰掛けているラッセルが可笑しそうに肩を揺らして笑った。

「笑わないでよ、ラッセル!」

サッと振り向いてのますます幼い反応に、良いから続けるようにと指示され、男はムッとした顔で振り向いた。

「君の事は知ってたよ。ハルに懐いてる日本支部の殺し屋だ。キラー・マシーンとか、ブレイド・ウォーカーだとか、あだ名が色々有るナイフ使いだろ?」

誤ってはいないので素直に頷くと、男は検証結果に満足するように椅子にもたれた。

「僕に何の用?」

「ハルちゃん……野々ののハルトのことを聞きたいんです」

再び、男は眉を寄せた。

「僕が誰か、知ってるよね?」

「はい。だから呼んでもらいました。ミスター・リーフ」

――ジョゼフ・リーフ。ハルトと同じ北米支部のBGM教育施設マグノリア・ハウス出身の男だ。アマデウスが『かくれんぼの天才』と称し、木の葉を隠すなら森の意と、本名を掛け合わせた『リーフマン』のあだ名を持つ。

「ハルの事って、何を? 彼が僕に意地悪した話? それとも犬をけしかけた話?」

「はい。そういう話です。ハルトが子供の頃の話……マグノリア・ハウスで過ごしたときと、貴方たちを殺そうとした時のことを聞きたい」

ジョークのつもりだったのか、ジョゼフが怪訝な顔になる。

「なんでそんなこと聞きたいのさ?」

「知らないからです」

こちらもジョークかと思うほど、未春の言葉は簡素で平坦だった。

「俺は野々ハルトを知らないから、知りたい。それだけです」

「ふーん……」

ジョゼフは首を捻り、特徴の薄い茶色の目で未春をじろじろ眺め回した。

「じゃあ、先に断るけどさ、僕が彼について知ってることはあんまり無いよ。僕はハルに嫌われていたからね。というか、彼はみんな嫌いだったと思う」

「みんな……」

「君は僕らのこと、イカレた殺人鬼だと思ってるんでしょ? 確かに今はそう言われても仕方ない。僕はすれ違っただけで、こいつは居なくていいなって思ったら列車の前に突き飛ばせるし、それについて何とも思わない。でも、最初からそうだったわけじゃない。ハルは僕らがその辺りの子供と変わらない時から嫌いだった」

ジョゼフは椅子にもたれて、一見そうとわからない特殊な右手と普通の左手とを組み合わせ、遠い場所を見るように話し始めた。穏やかな様子は、驚くほど安易に人を殺せるシリアルキラーには見えない――彼はどうやら、大人しく話を聞いてもらうのが好きらしい。

「マグノリア・ハウスは、ミスター・アマデウスが有望な子供を集めて、殺し屋にする為に作った施設。それはBGM内でも表向きの話。この施設で何より重要だったのは、ハルとフレディ……グレイト・スミスの血統である二人を、彼に対抗できる存在に育てること」

グレイト・スミス。本名エドワード・スミス。未春も最近知った名だ。

BGMの祖である世界最高峰のスパイ。だが、弟子であるアマデウスやスターゲイジーらと反目し、現在は行方不明――ただし、とおる曰く、世界には彼が動き出した気配がある。それはBGMが目指す『世界を滞りなく回す』方針の真逆である『世界を滞らせる』を目的にしているという。

その意図は、未春にはよくわからない。わかるのは、悪党と悪党が意見をたがえ、大きな争いに発展するということと、その渦中には、ハルトが居るということ。

ハルト本人はエドワードとの関係性を理解していなかったようだが、彼もまたグレイト・スミスの孫だ。この謎の男がまだ米国軍人だった頃、未春が世話になった守村恵子もりむらけいことの間にゆたかという男児を儲けたが、彼はその妊娠を知らずにアメリカに帰国し、後にドイツに渡ったらしい。

一方、恵子は国際結婚も珍しい時代にアメリカ人と関係したことで両親に勘当され、豊は赤ん坊の段階で取り上げられてしまう。やがて彼は野々家に婿入りし、そこで産まれたのがハルトである。

この一連の紆余曲折が、結果的にハルトの存在をエドワードから隠し、先に気付いたアマデウスが手を回してマグノリア・ハウスに迎え入れた。

……アマデウスが、ハルトの両親の死にどこまで関わっていたかは不明だが、彼が手に掛けた可能性は信じ難い。

あの陽気なアメリカ人は、心からハルトのことを大切にしている気がするからだ。

それとも本当は違っていて……自分も騙されているのだろうか。

ぼんやりと思い馳せる中、ジョゼフは続けた。

「他の連中は二人の相手というか、練習台というか……ま、捨て駒みたいなものだったんだろうね」

我が事を哀れむように首を振ると、今度は不遜に鼻を鳴らした。

「僕もこの事実に気付いたのは、最近のことなんだ。フレディが特別なのは皆知っていたし、グレイト・スミスっていうとんでもない男が祖父なのもおいおい知った。けれど、ハルのことは『フレディがやたらに構う相手』としか思ってなかったよ。他の連中もそうだったと思うし、ハル本人も知らなかったんじゃないかな。だから僕らは指示されるまま腕を磨いただけ。校外学習もあったけど、基本的にあの施設での日常はそればっかり。普通の学校じゃあやらない講習や訓練に明け暮れた」

「部屋割りが変わる話や、サイレン・イベントの話は聞きました」

「ああ、有ったね。懐かしいな。面白くも何ともなかったけどさ」

本当につまらなそうに言うと、ハルトの所為で失われた故に人工である右手の指を繰った。

「ハルのことを話すなら、僕らの中で頭角を現したメンバーは知っておいた方がいいか。もちろん、僕も入って八名居る」

ジョゼフは施設で育った二十七人中、自分を含めた猛者の名をすらすらと挙げた。

フレディが人智を超えた天才なのはともかく、自身を優秀と疑わないこの男も明晰なのだろう。きっと、マグノリア・ハウスに在籍した者は”最低限”が世間で言う所の”優秀”だったに違いない。施設での大まかな総合成績順に、と、ジョゼフは自らのかくれんぼの天才『リーフマン』の位置を伏せて言った。


1.最強の頭脳『全知オムニス』フレディ・ダンヒル

2.高精度の遠距離狙撃手『スナイパー』リチャード・イーストン

3.冷静沈着な統率者『賢者ワイズマン』テッド・クロズビー

4.近接戦闘最強『フィストカフス』マンフリー・ランド

5.ITと機械工学の秀才『技師エンジニア』ケネス・ロックウェル

6.空間把握の雄『ホークアイ』オイゲン・リドル

7.見えない手を持つ者『インビジブル』チャールズ・フォックス


「ハルちゃんは入ってないんですね……」

意外そうに言った未春に、当然だと言わんばかりにジョゼフは頷いた。

「ハルの『魔法の弾丸フライクーゲル』ってあだ名は、ミスターがぼやきはじめて広まっていたけど、当時はまだ定着していなかったよ。さっきも言った通り、『フレディがやたらに構う相手』が、ハル」

「ハルちゃ……ハルトは、優秀じゃなかったんですか?」

本人もそう言っていたが、何となくショックを受けつつ訊ねると、ジョゼフは怪訝な顔をした。

「なんでそうなるのさ。僕らの中に、優秀じゃない奴なんて一人も居なかったよ」

「一人も?」

「そうだよ。極端なミスを指摘されない限り、僕らの施設での成績ってのは全員がオールA+と言っていいんじゃないかな。ハルは低評価も取ってたけど」

あっけらかんと言うジョゼフの言葉に嘘は無さそうだった。

「僕を含めた八人は、その上で、個人のポテンシャルだの、対戦成績なんかに基づいたランク付けの上位ってこと。……ひとつ妙な事を挙げるなら、ハルは今挙げたメンバー全員に、各々の得意分野で勝った経験がある唯一の男なんだ」

気怠そうに答えた男の腑に落ちない様子からして、それはとても意外なことらしい。

全部聞く気かという面倒臭そうな顔に頷くと、それでもジョゼフはすらすら答えた。

「ハルはね……フレディさえ一度も負かせなかったマンフリーを57回目の近接戦闘訓練で柔道みたいな技で組まずに倒した。103回目のサバイバルでオイゲンやケネスより正確に地図と配置を覚えた。77回目と95回目の対峙戦ではテッドより上手に隊を率いて圧勝した。27回目と38回目の潜伏では僕より後に見つかった。命中率なら誰も敵わないリチャードには魔法の弾丸は一度も撃てなかったし、あの弾丸を八割以上命中させたのはハルだけ。チャールズの”すり替え”や”イカサマ”をフレディ以外で見抜いたのもハルだけ。チェスとブラック・ジャックでフレディに一度でも勝った奴もハル以外に居ないよ」

「よく、覚えていますね」

感心した様子が嬉しかったのか、ジョゼフは幾らか得意げな顔で首を振った。

「これは意外なことだったから覚えていたんだ。データは大事だろ? 偶然とか言う奴も居たけどね、上位の者ほど、ハルが妙なのには気付いていたさ。当のハルはいつも手を抜いてるみたいに、本気で取り組まない感じだったけど」

「得意な射撃も……?」

「射撃ねえ……”頑張って当てようとはしていなかった”って感じだね。八人を負かした後だって、それで満足したような具合で、張り合っていないもの」

首を捻り、そういえばと呟いた。

「でも、担当教官のジュライは、ハルの才能に早く気付いていたんじゃないかな」

「ジュライ?」

「うん。銃に関する訓練を担当した男だ。一人が好きな者同士、同じテーブルで一言も喋らないで向かい合ってるのを見たことがあるよ……ジュライっていうのは、自分について『七月生まれ』ってことしか話さなかったから付いたあだ名で、本名は知らない。『全て、背景にて事を成せ』とかいう口癖がある偏屈な男だったけど、ミスターが教官に選んだだけあって、銃の腕は良かった。フレディやケネスは受刑者だって言ってたな……僕は興味が無かったから知らないけど、ブレンド社は詳しいんじゃないの?」

目を向けられたラッセルは優雅に腰掛けた姿で微笑んだ。

「今、開示できる情報でお答えするなら、ジョゼフが言う通り、彼は『七月生まれ』のジュライ。当時で三十代後半のアメリカ人だ。元・海軍特殊部隊所属。除隊後にある事件を起こして刑務所送りになった。マグノリア・ハウスに居た頃も”記録上は”服役中です」

「ラッセルも会ったことが?」

「ええ。私も彼らに近接戦闘訓練とマナーを教えた一人ですから。銃に関わることはよく話す男でしたが、それ以外は無口――というより、無愛想が正しいかもしれない。偏屈といえばそうだが、この業界には偏屈な人間ばかりだからね」

自らもそうであるように言う紳士に、肘掛けに頬杖付いたジョゼフは栗色の髪を弄いながら言った。

「ジュライは、ラッセルより奇怪だったよ」

「はて、それは褒められているのかな?」

肩をすくめて苦笑した紳士は、片手を伸べて先を促した。

「今の話で思い出したけど……、ハルはよく、中庭に面したテラス席に居たよ。寒いのが苦手なくせに、ガラス一枚挟んだら外のそこで、テーブルに課題を広げたり、本を読んだりしてたっけ。フレディも寒いのが苦手だったから、彼を避ける為だったらしいけど、そこで一緒に居るのも何度か見たことある」

ハルトが、寒々しくも静かなテラス席にぽつんと居る様は容易に想像が出来た。

彼のフレディに関する述懐からしても、避ける為というのはよくわかる。


――訓練でも自由時間でも付いて来るし、人の身の回りのもんを勝手に持ち出して自分のと交換するし、使用済みの薬莢だの、オイルで汚れた手袋も拾ってやがった――


フレディの心情がどうあろうと、これはストーカー以外の何でもない。

今さらながら、ハルトが共同生活に抵抗を感じるのは無理もないことだ。一緒に暮らす連中を敵だと思っての生活、急にサイレンで叩き起こされる訓練、自由時間にも付いて回る賢いストーカー。人と関わることは面倒であり、億劫である――彼が導き出した答えは、この生活から派生したと言っても難が無い。

「貴方から見て、ハルトはどういう性格でしたか?」

「面倒臭がりで無愛想な一匹狼。クールにしてるけど、ホントは負けず嫌い」

兼ねてより思っていた事なのだろう、早いレスポンスから出たそれは的を射ていると未春は思った。

「僕の意見もいいけど、ラッセルに聞いてごらんよ。彼はハルがマンフリーを倒した時に、組まないで倒す方法を助言した男なんだから」

片手を伸べるジョゼフに言われた通りに未春が振り返ると、ラッセルはスターゲイジーのように顎を撫でた。

「負けず嫌いかどうかはともかく、見下されるのはしょうに合わなかった印象はある。マンフリーは君たちの中でも自尊心が高い方だったし、何かしゃくさわることが有ったのではないかな。自主トレーニングを頼まれた際も、理由は言わなかったが、『舐められたくない』とは言っていた」

――舐められたくない。

「すごく、ハルちゃんらしいと思います」

「フフ……ということは、ハルも思ったより変わっていないんだね」

そうなんだろうなと漠然と納得しながら、未春はジョゼフの話に耳を傾けた。イタズラで仕掛けた砂糖水を飲んでむせたハルトが恐ろしい目で睨んだこと、しょっちゅう一人で食事をしていたこと、褒められてもちっとも嬉しそうにしなかったこと、ジョゼフは気怠そうにしながらもよく喋った。その頃には未春にもわかった。

――この男は、おだてれば木に登るタイプだ。

ハルトが「フレディにくっ付いて回っていた」と言った通り、『かくれんぼ』の才能には権力の傘に入るための人間観察にも優れるのだろう。他者を演じる為に明香あすかが行う観察とは別の、関係性や能力、自身の保身に特化した視点を持っている。まあ、ジョゼフの場合、イタズラ好きという一面が反感を買っていた可能性もあるが……そこには、未春の知らないハルトがちらほらと居た。

ジョゼフが個人的に快く思っていなかったのもあるだろうが、マグノリア・ハウスに居る時のハルトは、DOUBLE・CROSSに居るハルトとは別物だ。

今は周囲に対し、何年も前からそこに居た様な親密さを覚えさせる彼は、この施設ではどちらかというと好かれていないし、好かれようともしていない。

その上、ハルトが犬をけしかけた話はジョゼフの中で人生のワースト3に入る出来事に等しいらしい。怪我こそ負っていないものの、ハルトがこっそり手懐けた、猟犬の中の猟犬たる大型のシェパードに追われて噛まれたおかげで、彼は未だに”嫌いではないが”犬が苦手らしい。この遠慮のないところは現在の悪に対しての姿勢と似ているが、当時はまだ同じ施設に育った同胞であり、明快な敵同士ではない。

それなのに、攻撃の手を躊躇わなかった。相手が同種だと理解した上でか、単にイタズラへの報復なのか、それとも……ハルトの内面がそうさせたのか。

「最後に、僕らを殺そうとした時の話だったね」

普通なら気楽に話すことでもないだろうが、ジョゼフは人工の右手をさすりながら言った。

「僕らはマグノリア・ハウスを出た後、短い間、アメリカを中心に散り散りに活動したんだ。ハルはミスターが連れて行ったから、彼の得意技を伝授するか、ジョンみたいに秘書にする気かと思ってた。それから――そんなに経たない頃……一番最初に、ヘンリーって奴がオーダー以外の殺しをやったのがきっかけ」

ハルトが言っていた、ヘンリー・マーチか。

アマデウスが秘密裏に捕獲し、後日、ハルトに執着していた聖景三ひじりけいぞうとの取引に使用したことで、日本で『亡霊』の名で事件を起こすことになった男だ。さららを始め、穂積ほづみ実乃里みのり、自身の人生にも影響を与えることになった男について、ジョゼフは天気の話でもするように気軽に言った。

「往来で子供を殴った男の顔面をいきなりグチャグチャにしたって聞いたよ。僕も聞いた時には『なんでそんなこと』って思ったけどさ、しょうがないよね、『要らないな』って思ったんなら、そいつは死んで良かったんだよ」

「要らない……」

「そうさ。僕らはそういう判断ができるように育ったもの。――例えば、皆が気持ちよく飲んでるパブで、難癖付けて騒ぎ出す奴なんざ、クズだろ? 花壇を踏む奴もそうだし、痴漢に性暴力者、詐欺師も、そこらにゴミを捨てる奴も居なくていいものさ。如何にもマトモに生きてる顔した連中が常識を破るから、世の中おかしくなるんだし」

急に流れ出た毒のような悪意に、未春は身を強張らせた。

――それは一理有っても、違う。

同時に、彼の言い分は純粋で残酷だ。とても短絡的で、明快な悪意と信念に裏付けられているが為に、説得の余地がない――それは十の価値観にも似て見えた。そして、ほんの少し前の自分は、何とも思わなかったことでもある。

自身に近しい者以外、どこで誰が誰を殺そうが、関係ない。その”誰”が自分であろうとも、関係ない。

未春が少し身震いする中、ジョゼフは気付かぬ様子で指を繰った。

「ヘンリーの後は……あまり順番は関係ないかな。どいつもこいつもプライベートで殺し始めたから。テッドはヘイトスピーチの集会に毒入りエールか何かを振舞って、百人ぐらいを帰宅途中にぶっ倒れるようにしてたし、ケネスは悪徳企業の役員全員のスキャンダルを晒して自殺に追い込んだ。狙撃名手のリチャードなんて凄かったね、バイク乗り回してたギャングの頭をバンバンバン! バイクが玉突きながらすっ飛んでって、まとめて炎上したってさ」

隣のラッセルが嘆かわし気に首を振る。聞いてはいたが、未春も言葉が出なかった。

つまり、マグノリア・ハウスは罪の意識を持たないバケモノを一気に二十六人、世に放ったということだ。ハルト以外の、全員。

正確には、フレディもハルトと同様にシリアルキラー化はしていないらしいが、目の前のジョゼフはその一面がある。彼は既に自身の『要る・要らない』の判断で何人――いや、何十名もの人間を殺しているし、最近もロンドンで連続殺人を起こした。その行為に関して、彼に反省の色は全くない。先程言った通り、殺人の判断材料には、咎められるだろう迷惑行為や非道な部分もあるだろうが、即座に命を奪う行為が正しいとは言えない。

彼らがあまりにも安易にその極論に達してしまったのは、強すぎる力を持った故なのだろうか? それとも、倫理に関しての教育が甘かったのだろうか?

同じ教育を受けて何故……ハルトはシリアルキラー化しなかったのか?

アマデウスの傍に居たから?

訊ねた時、ハルト自身もわからないと言っていた。多分、今後……そうなるかもしれないという怯えと、自らの内側に警戒心と不信感を抱いて。

「ハルがあいつらを始末した方法は、殆どが『魔法の弾丸』って聞いてるよ。僕が追われた時もそうだったからね。彼は近くには居なかった筈なのに、弾丸は僕の手に着弾した。フレディが居なかったら、殺されていたと思う」

「ハルちゃ……ハルトの跳弾射撃は、銃の腕が良い人も倒せたんですか」

「腕は関係ないさ。撃ち合ったって銃弾で銃弾は防げないだろ? 空間把握に強いオイゲンが倒されたときは驚いたけど、そのぐらい……ハルの跳弾射撃は射程が広く、名前の通りの魔法じみた射撃なんだ。それに、彼がグレイト・スミスの関係者なら、『幸運』っていう神様みたいな性質があるから、それもあるんじゃないの」

幸運。そんな曖昧なもので跳弾の精度が上がる?

にわかに信じ難いが、現にハルトはフレディとジョゼフ、一時的に匿われたヘンリー以外の二十三名を殺害済みだ。そのやり口は、近付かないで行う跳弾による銃撃。

「知ってるのはそのぐらい。僕が逃亡しながら治療を続ける間にハルは僕とフレディ以外を射殺して、名実共にミスターのお気に入りになっていた。まあ、ミスターは施設に居た頃からハルがお気に入りだったようだけどね……」

「とても参考になりました」

頭を下げた未春に、ジョゼフは「そうかい」と割合、機嫌よく言った。

「ハルも日本人なんだから、君ぐらい礼儀正しいといいのに」

「おや、それはハルの教育係として聞き捨てならないね」

すかさず笑みを差し込んでくる紳士に、ジョゼフは肩をすくめた。

「意地悪だなあ、ラッセルは」

ふっと栗毛の前髪を吹かすと、彼は片眼で未春をじっと見つめた。

「君は……ハルのことが好きなんでしょ?」

未春が戸惑いつつも頷くと、彼はつまらなそうに唇を尖らせた。

「だったら一つ教えてあげるよ。……ハルはね、”関係”を持つのが嫌いなんだ」

何故か、ブラックに掴み掛かった時のハルトが思い出されてぎくりとした。


――未来の話なんかするな。

――殺した分だけ痛い目を見て死ぬのが相場なんだ。

――なんで俺がお前の為に生きる未来を選ぶんだ?


あまりにも、殺し屋として完成しているハルトの言い分は、可能な限り、早く地獄に落としてほしいと望むようだった。

目の前の自由奔放な男とは明快に異なる、奇妙な使命感と自虐的な思想。

さららに気を遣い、倉子くらこ力也りきやの話に真摯に付き合い、猫と一緒に眠り、食事を同じテーブルで囲みながら……殺される未来を見ている。

今の彼が自殺という選択肢を選ばないのは、フレディが生きているのが大きいだろう。必ず殺す――そう思い定めた彼が亡くなったら、ハルトは……?

いや、落ち着こう……ハルトは「俺がお前の”家族”だからか?」と聞いてくれた。

そうだと言うと、「わかった」とも「無理するな」とも言ってくれた。

先月の不調の際には、四の五の言いながらも傍に居てくれたし、一緒に寝てくれた。

あの優しい部分は、きっと……ハルトの本質だ。その筈だ。

「……”関係”とは、家族や友達ということですか?」

「そう。反対にね、”関係ない人”には甘いんだ。ハルは”僕ら”と”関係ない人”が関わるのを嫌がってた。スターゲイジーの訓練とかで、一般人と関わる校外実習があったんだけど、ハルはしょっちゅう陰で嫌そうにしてたっけ。けっこう女子供に人気が有ったのに生意気だよねえ。なんだか知らないけど、いつまでも、誰とも、”関係ない”ままで居たいってぼやいてた――君がハルを好きなら、関わり過ぎない方が大事にしてもらえるかもよ」

「関わり過ぎない方が……」

「あのフレディに好かれて嫌そうにしていたんだもの。確かに彼の洗脳は怖いけれど、好かれてるんだから有利なだけなのにさ。ハルはホント、変わってる」

どうやら、ジョゼフはフレディのストーカー行為はさほど気にならないようだ。損得勘定やお国柄も有るのかもしれないと思いながら、未春は曖昧に頷いた。

「……ありがとうございました。また、話を聞きにきてもいいですか」

「物好きだなあ……僕はいいよ。君はハルと違って礼儀正しいから」

ラッセルが含み笑いをしていたが、未春はお望みの丁寧なお辞儀をして退出した。

どうやってその場を退去するのか気になったが、ジョゼフは怠そうに軽く片手を振るだけで、椅子から立とうとはしなかった。

帰り際、ビルを出ながら、紳士は面白そうに言った。

「ジョゼフはああ言いましたが、未春は少し、ハルに似ていますね」

「俺が……ハルちゃんにですか?」

「ええ。相手を刺激せず、低く構えて有用な情報を引き出す……これはハルも得意だった理性有る行動です。一般的には当たり前だが、殺し屋として育った者にこれは難しい。悪党を相手にする時は特に」

少し解る気がした。

ジョゼフは他を圧倒する力を持ち、自身の才能も理解している。

故に不遜であるし、傲慢でもある。権力や経済力もそうだが、力というものは有ればあるほど、人を尊大にするし、盲目にする。十が未春の育成に苦心し、様々な回り道や異常な生活を求めたのは、そうならない為でもあった。

ハルトは、舐められるのは嫌だと言う一方、自身をあまり評価しない。

脱落とか、元・エリートとか言われると反論したが、かといって実力や戦功をひけらかしたり、傲岸不遜になることはない。知らないことは素直に知らないと言い、カルチャーショックには外国人さながらに驚いた。

ラーメン屋で食券と替え玉のシステムに「No kiddingマジかよ!」と叫んでいた姿、「パトカー」を「ポリスカー」と呼び、「壁ドン」を「壁のマフィア」と訳したときの胡乱げな顔が、懐かしく感じて少し切なくなる。

「ジョゼフは、ああいうタイプで良かったです。ハルちゃんみたいな相手だと、あんなに喋らなかったかもしれない」

嘘も吐いたかも、と些か薄情な一言を付け加えたが、ラッセルは反論しなかった。

「私もそう思う」

「……ジョゼフは、ブレンド社で働いているんですよね?」

「弊社での活動は、彼にとってはトレーニングだ。リハビリとも言うかな。BGM向きの方を担当させるのが、ボスの意向だよ」

穏便なブレンド社の影の部分を見る気がして、頬を撫でる夜気が冷たく感じた。

「彼を迎え入れたのは……グレイト・スミスと戦う為……ですか?」

「それは、私の口から言える枠を超えてしまう」

ブレンド社らしい返答を返すと、紳士は優しく微笑んだ。

「何でも教えられなくてすまないが、前にもお伝えした通り、焦らない事です。我々は世界的な策謀の上に居るが、落ち着いていれば、危険を回避することも、準備を進めることもできる。今日、貴方がジョゼフの話を聞いたのも、役に立つ日が来る筈」

「はい……ありがとうございます」

「さあ、帰って旅支度をしておこう。ディナーはボスが奢るそうですよ」

凄いボリュームの夕飯が出てきそうだと思いながら、未春は頷いた。

整然とした建物の並びと穏やかな灯りに彩られたロンドンの夜景は綺麗だった。

澄んだ空気に白い息を吐き、あの寒がりは何をしているのかと考えた。

――単純に嫌いだし……嫌な事を思い出すんだよ。

あの日のように、嫌な思い出に忌々し気な溜息を吐いているのだろうか。




 ドイツの首都・ベルリンはロンドンよりも一時間先の夜に在った。

ドイツが東西に分かれていた時代、両国を分断する壁が在った都である。

現在は行政の中心地にして、メディア、芸術、交通、産業分野なども本拠地の多い同国最大の都市だ。およそ二十八年もの年月、ドイツ分断と東西冷戦の象徴だった155kmにも及ぶ壁は1989年に撤去作業が始まり、その後は広大な空き地に姿を変え、4kmもの桜並木になったり、再開発が進んだ中心部は、年間一千万を超える観光客が訪れる町として発展を続けている。

重厚感ある建物が居並び、整備された道路と石畳の街路樹は美しく、高架下の落書きなぞはしょっちゅう目に留まるものの、夜間もビルや商業施設の近代的な光や、シックな照明が照らすミュージック・クラブやディスコなどが見られ、スッと町中から飛び抜けたテレビ塔は夜景に映え、夜通し楽しめるナイトライフ地としても名高い。

――ただし、治安については賛否両論。

人口や観光客の多さもあるが、犯罪件数ならば国内で1、2位を争う地域だ。

「退去を命じます」

ベルリンのミッテ地区東部を走るトール通りのバーで、若い女は事務的に言った。

エンターテイメントの中心地からは少々外れたこの場所は、大通りに同じような建物が軒を連ねる中、幾つかのバーやレストランがある。

夜を楽しむつもりだった客が息を潜める中、クールな目鼻立ちと、ひし形のボブカットに整えたブロンドが愛らしくもある白人女性は、この時分に灰色のスーツを着込み、腕組みをして睨みを利かせていた。それに向かい合っていたのは、白人系のスキンヘッドの若者たちだ。如何にもアウトローといった三人の只中には、怯えた顔で声を失っている若い女が二人居た。アラブかユダヤか、中東系のはっきりした目元や眉をした二人は顔を強張らせ、身を縮めている。

「ラファエラ嬢よ、お客に対して随分な言い様じゃないか?」

白人女性のしかめっ面にニヤニヤと言ったのは、スキンヘッドの一人だ。

ラファエラと呼ばれた女は眉を吊り上げ、厳しい声を出した。

「当方にとってのお客様とは、礼節を重んじる紳士淑女を指します。勤勉且つ実直たる我が国の国民性をおとしめる者に、配慮は必要ありません」

「ハッ……悪党の癖によく言うぜ。おい、お前らだってわかってるんだろ? こんな薄汚ねえ移民共をもてなす店は悪だ!」

小突かれた女がびくりと震え、ラファエラはスッと目を細めた。

「此処にはあなた方のような不届き者は一人も居ません。もう一度言います、退去なさい。こころざし次第では、ゴミ屑にも生きる価値があるでしょう」

にべもない女の声に、一人の男が持っていた瓶をガシャン!と机に叩き付けた。悲鳴が響き、グシャグシャになった瓶から半分ほどあったろう中身がこぼれ、ビールの匂いがむっと立ち込める。眉ひとつ動かさなかった女に、おぞましいガラスの凶器を向けた男が、狂気に粘る目で唸った。

「ラファエラぁ……いい加減、お前ら”女共”は目障りなんだ。俺が礼儀を躾けてやろう」

女は依然、腕を組んだまま溜息を吐いた。

「あなた方は、我が国の恥だわ」

男が怒りに沸騰した腕で凶器を振り上げる手前、女は組んでいた手をゆったりほどき、片手に持っていた小さな真鍮のベルを軽く鳴らした。

刹那、暴力的な破裂音が響いた。悲鳴が上がる。が、ラファエラは何もしていない。にも関わらず、男らの頭部は吹き飛び、或いは弾け、ある者はきょとんとしたまま、ある者は苦悶に歪み、ある者は愕然とした表情で倒れた。血濡れた床に飛び退きつつ、恐怖で声も出ない女たちの周囲で、スキンヘッドの男たちは一瞬にしてむくろと化していた。客も騒然とし、今頃になって頭を押さえたり身を屈める者が居たが、それ以上は何も起きなかった。

店内に流れていた、おっとりとしたクラシックだけが響き渡る。

「お騒がせ致しました」

女が改めてベルを鳴らすと、奥から作業着を纏ったスタッフらが現れた。作業帽ワークキャップを目深にかぶり、無言で遺体に歩み寄った彼らをよそに、女は店内を見渡し、まったく動じることなく言った。

「……申し訳ありませんが、此処は片付けねばなりません。この後も楽しまれる方は奥の席をご案内いたします。お帰りならば、今夜の代金はお構いなく」

客は顔を見合わせ、皆それぞれに席を立ったが、常連らしき一人が、遺体への作業を眺めているラファエラに近寄った。

「ラ、ラファエラ嬢……さっきのは――銃撃かい? 新しい御身内かね?」

年かさの男のややかすれた問いに、孫か娘ほどの女はにこりともせずに応じた。

「……身内ではありません。雇っているというのが妥当かと思います」

「ほう……そうかね。しかし、どういう仕掛けだい? 私には、見えないところから弾丸が飛んできたように見えたが」

「そう見えたのでしたら、素晴らしい視力ですわ」

冷たくも滑らかに微笑む女は、それ以上は喋る気は無い様だった。ガタガタ震えている二人の女に歩み寄り、ひざまずいて何やら優しく声を掛け始める。

この店は、BGMドイツ支部が利用する場だ。公然とは活動しない彼らの荒っぽい行動が見られる場でもあり、彼らに許された悪党が情報交換や交流をする場でもある。先程の連中は、ここ最近、ドイツBGM代表のレベッカの秘書であるラファエラに突っかかっていた若造たちで、恐らく過激なネオナチだ。今夜は何処からかさらってきた移民系だろう――二人の女を伴い、何か難癖を付けに来た様だが……殺されるとは思っていなかったらしい。

常連客も、ラファエラが手を下すのを見たことはない。或いは彼女の為に雇われたのだろうか。

深追いを避けた客は奥に向かいながら、ちらりと遺体を盗み見た。

三人は一様に頭部を撃ち抜かれているが、目の前に立っていたのはラファエラだけだ。弾の当たった方向からして、奥から撃つ他ないが――無理だ。通路は二人が並んでぎりぎり通れる間隔こそあるが、角度が合わないし、そもそも彼らの前に立っていたラファエラが邪魔になる。

遺体の口が動いたのなら、真っ先に訊ねただろう。


一体、どこから撃った?と。




 「あ、おはよう、未春」

翌朝の空港で顔を合わせた作家は、親し気にコートを纏った片手を上げた。

「おはようございます。――『レディ』は一緒じゃないんですか?」

てっきり同行していると思った喪服の麗人は見当たらない。目立つという理由で、スターゲイジーもオフィスの前で挨拶しただけだ。送ってくれたラッセルが可笑しそうに口元に手をやって微笑んだ。

「彼女が出先でニムと一緒に居るのは、ごく稀な事だよ」

「そう。家にはしょっちゅうコーヒーを所望しに来るってのに……今日も『足が遅い』ってさっさと行っちゃったよ。何処かで一服してるんじゃないかな」

いつものことさ、と彼は笑った。

仲が良いのか悪いのか量り兼ねるが……いや、多分、仲が良いのだろう。

もう作戦は始まっていると言ってもいい中、彼女がニムの傍を離れるということは、此処はまだ安全圏内らしい。

「ラッセル、お世話になりました」

紳士に倣うように丁寧にお辞儀をすると、彼は穏やかに会釈を返した。

「また、お越し下さい。いつでも歓迎しますよ」

「はい。今度はハルちゃんと一緒に来ます」

「それは楽しみだ。ハルが私を見てどんな顔をするのかも含めて」

気を付けて、と微笑んだ紳士と別れ、未春とニムは他の客と同じようにスーツケースを引きながら歩いて行った。コートやダウンを纏った利用客は多いが、ビジネスマンや家族連れなど、危険そうな人物は見当たらない。

「レディには怒られると思うけど、実はちょっとワクワクしてるんだ」

ニムがこっそり言った一言に、未春は両眼の琥珀色アンバーを瞬かせた。

「どうしてですか?」

「現役の殺し屋と旅するなんて、凄い体験じゃないか」

子供みたいに声を弾ませる作家に、現役殺し屋は改めて目を瞬かせた。

ふと、思い出すのは昨夜、ブラックから掛かって来た電話だ。

〈先生と行くと聞いた〉

体に流れ込んでくる彼の低い声は面白そうでもあり、気の毒そうでもあった。

〈未春、先生は優しくて面白いし、色々なことを知っているが……少々、そそっかしい所があるんだ〉

「そそっかしい……」

出会ったばかりの作家が、いきなりペトラにまくし立てて平手打ちを食らった姿を思い浮かべていると、こちらの想像を見た様にブラックは言った。

〈純粋で大らかだから、悪人に対しても寛大なところがある。それも含めて、トラブルに巻き込まれやすい〉

「騙されたりもする?」

〈あるだろうな。女子供が相手の時は特に〉

経験済みらしい調子で答えるブラックは、心配性の親のように続けた。

〈それと……好きなものには盲目的なところがあるんだ。しかも、先生は望遠鏡並に目が良い。今は冬だから、珍しい昆虫に遭遇する可能性は少ないと思うが、書籍や植物、彼にとって面白いものは防ぎようがない。危険に気付かずに引き寄せられてしまうことがあるかもしれない〉

そういえば、ブラックは以前、親しい作家について話した際、スターゲイジーのクリスプに食用タランチュラを仕込んだとか、新種の甲虫を探しに行って遭難したなどと言っていた。ニム・ハーバーのことに違いない。こんな人物、二人も三人も居ないだろう。

「俺が、気を付けてあげればいいんだね?」

電話の向こうで、彼は苦笑したようだった。

〈そうしてくれると有難いが――俺が言いたいのは、先生の動きに気を取られて無理をしないでほしいんだ〉

トラブルメイカーという言葉が浮かんだが、ブラックが心配してくれている嬉しさですぐに消えた。確かにあの作家は危なっかしい感じはするが、嫌な人間ではない。むしろ、好ましい人物だ。

「俺は大丈夫。先生の事はちゃんと守るよ」

〈ありがとう。旅の無事を祈る〉

温かな声が胸に染みるのを思い出していると、不意に後方で甲高い声が響いた。

「何だろ?」

すぐに振り向いた作家が、「あ」と続けざまに声を上げた。

未春も振り返ると、遥か後方――利用客やスタッフの往来の中、一人の少女が一目散に駆けていく背が見えた。その娘を指差し、若い女が叫んでいる。外国人なのか、ややクセのある英語で言った。

「ス……スリよ! あの子! 早く捕まえて!」

空港スタッフや警備が走り出すのが見えたが、少女の方が早い。今、走れば追いつくかと思いながら、スーツケースから手を離した時、その手を作家がきゅっと掴んだ。

見下ろした先に静かな森が瞬いた。

「違う、未春――あの子じゃない。こっちに来る子だ」

「えっ」

「多分、三人以上のグループ犯行だ。盗ったのも別の子だし、逃げた子は何も持っていない。ネイビーのコートを着た白人系の子だ――僕じゃあ逃がしてしまうと思うから、君が捕まえてくれるかい? あ、でも……乱暴しないであげてね」

驚きつつも頷いた。望遠鏡並という森のようなグリーンアイは伊達ではないらしい。

騒ぎを気にする様子もなくこちらに歩いて来たのは、スリをやるとは思えない、櫛の通った金髪をした身綺麗な印象の女の子だ。

すれ違いざまにスッと腕を掴むと、警戒はしていたのだろう、魚が勢いよく逃げるように腕を引いたが、万力の如き怪力には無駄だった。

「な、何するの?」

未春を見上げた目は思ってもみない美男に驚いたが、すぐにキッと鋭くなった。その顔を覗き込むように、ニムは目線を下げて小声で言った。

「あの女性から、何か盗ったろう?」

「……何のこと?」

「僕が返してあげるから。こんな事しちゃダメだよ」

人違いなら声を上げればいいところを、少女は唇を引き結んで押し黙った。その様子を見たニムはいそいそとポケットから名刺を出すと、優しい声と共に差し出した。

「僕はこれから行くところがあるからさ、困ったことがあるなら此処に行ってみて。これを見せれば相談に乗ってくれるはず……ああ、そうだ、交通費も要るよね」

未春が無言で見つめる中、またいそいそと財布を取り出し、札と名刺のセットを掴まれている小さな手に握らせた。

「心配しなくても”君たち”を捕まえる気はない。でも、こちらの美男は腕が立つ。返した方が得策だよ」

「……」

少女はしばし、優しい森を見つめると、観念したのか、それとも説得が心に響いたか、無言でポケットから財布を取り出してニムに手渡した。

「ありがとう」

犯罪者に礼を述べた作家は中身が抜かれていないのを確認して頷いた。

「うん、大丈夫だ。離してあげて」

未春が感心しながら手を離すと、少女はぶんと腕を引き、掴まれていた箇所を押さえながら嫌そうにじろじろ見た。良かったら一緒に返しに行くかいとニムが声を掛けた時だった。

Owオウッッ!!」

総毛立って悲鳴を上げたニムの靴を少女の靴が力任せに踏みつけていた。

「余計なお世話!」

未春がポカンとする中、少女は捨て台詞を残して踵を返している。

「うぐぅぅ……なかなか見所のある攻撃だ……」

両眼の森を潤ませながらへたり込むニムの靴を未春が見下ろす。

「……大丈夫ですか?」

「ウン、That's okay, that's okay……」

「捕まえます?」

「いや、それは僕らの仕事じゃない……財布は返してくれたし、名刺は持っていったし、オーライさ」

やれやれと言いながらも笑顔になる作家を見て、未春は少女が去った方を見た。

「名刺は……悪用されないでしょうか?」

「ああ、大丈夫だよ。僕はブレンド社は非常勤扱いだからね。あの名刺にはナイトが居ないんだ」

「えっ、そうなんですか」

ナイトとは、ブラックが見せてくれたブレンド社の名刺裏に施された細工だ。本物の証として、ブラックライトで照らすと、裏に『星を見上げる騎士』の紋章とBLENDの社名が浮かび上がる。これは代表のスターゲイジーがスパイ時代の戦功で、王室からナイトの称号を得ていることに由来するという。国内警察などの協定機関が、何かと怪しい行動が多いブレンド社の身分を確認する際に利用するもので、名刺以上の価値はないが、スタッフによっては強い権限を持つことがあると聞いた。

「仮にあの子が社に来たら、僕の名刺に社員は納得してくれるし、悪用しようものならこれは偽物だとシラを切れるってわけ」

なるほど。……つまり、そのパターンが必要なほど、この作家はこうしたシチュエーションに出会すということか。妙に得心がいった中、作家が拾ったていで財布を返却すると、女性は驚きつつも礼を述べた。幸い、仲間だと疑われることもなくひと段落し、二人は足早に手続きに向かった。

「まだ余裕があるけど、レディに見つかるとうるさいからね」

急かしてすまないと謝る作家に、未春は首を振った。

「大丈夫です、先生」

「え、ニムでいいよ? 君までそう呼ばなくても……」

「いえ、先生の方がしっくりきます」

「うーむ、君が良いなら良いけど……どうも僕が呼ばせてるみたいで落ち着かないなあ……」

ぼやく作家の言うことは正しい。彼が威圧的に命じるからではなく、自然と呼びたくさせるのだ。きっと、ブラックもそうだろう。

早くもこの作家を好きになり始めながら、未春は言った。

「あの子たち、ブレンド社に来るといいですね」

「フフ、そうだね。またボスに怒られちゃうけど」

「スターゲイジーは怒るんですか」

「そうとも。『ニム、うちは託児所じゃねえんだぞ!』ってね。とか何とか言いながら、ちゃんと手配してくれるのがウチのボスなんだ」

ブレンド社は悪の面が薄い……そう思っていると、作家は確と付け加えた。

「子供たちの暮らしもそうだけどさ、若者を使い回してた犯罪組織を潰すとこまでやるんだから、ホント、ちゃんとやるんだよねえ……ウチのボスは」

ハッピータウンとか言ってる人とあんまり変わらないなと思い直し、未春は先を急いだ。

なんだか、不思議な旅になりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

BGM 4 -Ladies of metropolis- sou @so40

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ