第20話:悪夢の来訪②


「俺を? 何でだっ?」


 何の前触れもなく捜査から外されると言われ、驚愕した隆司は覚えず叫んでしまう。しかし克也のほうは予想がついていたのか、目の前で声を荒げてもさほど驚かなかった。 


「……ついさっき、木尻に監禁されてる被害者のことが分かったんだけど、それがどうやら湊君……みたいなんだ」


 克也の口から湊の名が飛びでた瞬間、心臓が止まりそうになった。

 捜査に参加できないかもしれないという動揺や怒りが、一瞬でどこかに消え去る。


「み、なと……だと?」


 まさか、嫌な胸騒ぎがこんな形で当たってしまうなんて。

 胃の辺りが熱く痛み、ギュッと締まる。気を抜けば震えて、足下から崩れそうになった。


「そう。被害者の少年達を木尻から逃がしたのが、湊君らしくて……」


 これは事情聴取をした少年達から聞きだしたばかりの情報だと、克也はまだ一部の人間しか知らされていない真相を語った。

 木尻が少年達を金で集め、監禁しはじめたのは約二週間前。時期としては、ちょうど湊と別れたあとだ。


 それから二週間後、いきなり木尻が「ずっと探していた子が、やっと見つかった」と言いながら、無理矢理といった様子で連れてきたのが湊だったそうだ。その後、木尻の目は完全に湊へと向き、少年達の監視は弱まった。その隙をついて、湊が少年達を逃がしたらしい。


「聴取で湊君の名前が出てきたって聞いた時は、驚いたよ。人違いだって思いたかったけど、容姿も僕が知ってる彼と同じだったから……」


 と、克也が苦しそうに語る。

 一度湊に会っている克也が言うのだから、ほぼ間違いないだろう。そして湊が事件に関わっているというのであれば、隆司を捜査班から外すと言った理由も納得できる。


 警察官には、身内や知り合いが関わる事件の捜査に、加わってはいけないという決まりがある。今はまだ二人の関係を知るのは克也だけだが、これが知れ渡ったら隆司は捜査から外されるだろう。


「俺も……間違いないと思う。あいつは……木尻は、湊の昔の恋人だからな」

「木尻が、湊君の元恋人?」


 隆司が告げた事実に、克也が知性的な瞳を大きく見開いて驚愕する。


「ああ……あいつは、男しか愛せない性癖を批難されて実家を追い出された後、繁華街を歩いてた時に声をかけられて木尻と出会ったらしい。それから一緒に暮らしていたんだが、嫉妬深い木尻の軟禁や暴力がはじまって、逃げだしたところを助けたのが俺だったんだ」


 本当は掘りかえしたくない過去だが、今は急を要している。隆司は苦汁を飲みこんで、二人の関係と湊が自分の下で暮らすようになった経緯を克也に語った。

 真実を知った克也の顔が、困惑に染まる。


「ちょっと待って、木尻と湊君の間に暴力事件があったなんて、記録には残ってなかったよ?」

「湊がどうしても事件化して欲しくないって言うから、俺が木尻に口頭で厳重注意して終わったんだ」

「それ以後の二人の様子は?」

「木尻のほうが湊のことをどう思っているのかは分からないが、二人は会っていない。それは湊から聞いてる」


 確かに二人は恋人同士だったが、木尻が湊の一番の願いである就労を禁じたことで、湊の心は離れてしまった。以前、何気ない会話で木尻のことどう思っているのか聞いた時、気持ちはもうないと言っていたから、湊から会いにいくことはないだろう。


 隆司がそう語ると、克也は唇に手を当てて少しの間考えこんだ。だが、その顔がみるみるうちに険しくなる。


「…………なら、早めに事件にケリをつけないと、湊君が危ないかもしれない」

「危ない? それは湊が人質を逃がしたからか?」

「それもあるけど、もしかしたら木尻がまだ湊君に執着を持っているかもしれない。その執着が愛情でいるうちはいいけど、何かをきっかけに憎しみに変わったら……」


 克也は皆まで言わなかった。きっと、隆司の心情を考えたのだろう。けれど隆司の頭には、はっきりとした言葉が浮かんでいた。

 木尻が湊を殺すかもしれない、と。


「くそっ!」


 怒りが瞬時に頂点まで登りつめる。なのに指の先からジワリジワリと身体が冷えていくのが分かった。

 湊はまだ無事なのだろうか。木尻に傷つけられていないだろうか。それに、例え無事だとしても湊は暴力による心的外傷を抱えた人間だ。そんな湊が大元の原因である木尻から暴力を受け続ければ、心がもたない。

 今の状況を想像しようとすると、悪い考えしか浮かばなくて、余計に焦燥が濃くなった。血管が破れそうなぐらい早く心臓が鳴り、喉もカラカラになっていく。


「……木尻は、どこにいる?」

「K町のホテルらしいけど……隆司、何を考えてるの?」

「湊を、助けに行く」


 いてもたってもいられなくなった隆司は、怪訝な顔をする克也を背に部屋から出ようとする。


 しかし、すぐに克也によって腕を掴まれ、足を止められた。


「待って、まさか一人で行く気じゃないよね? 現場のことは君の方がよく分かってると思うけど、事件化した以上、単独行動は処分の対象になるよ」


 刑事の単独行動は禁止されている。しかも、被害者が刑事の知り合いとなれば、私情を持ちこんだとされて隆司は懲戒を受けることになるだろう。そうなれば捜査一課に行く夢はおろか、刑事ではいられなくなる。いや、それだけならまだいいほうだ。ことによっては警察官自体を辞めなければならない恐れも、十分でてくる。


 しかし――――。


「分かってる。だがそれでも……」


 今は一人の男として湊を救いたい。それが刑事として失格だとしても、その思いは譲れなかった。


「刑事としての人生よりも、彼を取るの?」


 克也の顔が親友から、警察官僚の顔になる。

 恐らく、湊を取って勝手な行動をするなら、相応の覚悟を決めろと言っているのだろう。


「ああ。俺にとって、あいつは――――夢よりも大切な存在なんだ」


 自ら選んだ選択に、わずかの迷いもない。共に警察官として歩もうと約束した友の手を、隆司はやんわりと退ける。すると克也はフウッと息を吐き、「しょうがないな」と笑った。


「長谷部隆司巡査部長。貴方には現時点をもって、当事件の捜査から外れてもらいます。事件が終わるまで自宅待機するように」


 管理官として克也が命令を下す。しかし、指示を言いきった後の克也の顔には、どこか悪戯を考える子供のような色が浮かんでいた。


「ただ…………もしも、家に帰る途中で木尻を見つけて、現行犯逮捕しなきゃいけないような状況になっちゃったら……それは仕方ないよね」


 ニコリと含んだ笑みを見せた克也が漏らした言葉に、隆司は瞠目する。


「克也、それって……」


 現行犯逮捕なら、捜査を外された刑事でも行動が正当化されるし、警察の体裁も保てる。

 まさか克也が単独行動を許してくれるとは思わなかった。驚いて見つめていると、克也は辛そうな表情を浮かべて、隆司の知らない湊の話を語った。 


「……実はね、この間の飲み会の翌日、湊君が僕を本庁まで訪ねてきたんだ」

「湊が?」


 飲み会の翌日ということは、隆司の部屋を出ていった直後だ。


「うん。それでね、彼は僕に『隆司さんは、克也さんのことを心から大切に思ってますから、どうか克也さんももっと隆司さんに心を開いて、思いきり頼ってあげてください』ってお願いしてきたんだ」

「あいつ……克也にまで余計なことを」


 置いていった手紙といい、どうして本人が望んでないことばかりするのだ。隆司は眉を寄せて、溜息を吐く。


「その話を聞いたとき、湊君は本当にいい子で……心底隆司のこと好きなんだなって思ったんだ。そんな湊君と、これまで何も言わずに僕を支えてくれた親友の頼みだもの。聞かないわけにはいかないでしょ?」

「でも、本当にいいのか……?」


 湊を守るために仕事を棄てる覚悟を決めた隆司と違って、克也は将来の日本を背負う人間だ。ここで巻きこんで、もしも克也が出世の道から外れてしまったら。そう思うと、二の足を踏みそうになる。 


「大丈夫だよ。もし上が何か言ってきたら、噛みついてやるから。いつもの嫌味の仕返しができる、いい機会だよ」


 ニコリと笑う克也の顔には、負ける気はないと書いてある。克也がその気ならば、自分も全力でいくしかないだろう。


「悪い。なるべく、お前に迷惑かけないよう動くから」

「信じてる。それと――――必ず、湊君を助けるんだよ」

「勿論だ」


 二人で大きく頷き合い、拳を合わせる。

 それからすぐに走りだした隆司の目は、迷いなど一切ない、強く、そして澄みきった色をしていた。

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