第19話:悪夢の来訪①



 部屋を出てから十分ほどで到着したS署の捜査会議室には、夜も更けているというのに多くの刑事達で埋めつくされていた。


 だが、室内にいるのはどれも見知った顔ばかり。ということは、事件がまだそれほど大きくなっていないのだろう。ただ、それでも手が空いている班の人間全てが集められているということは、即時解決できなければ警視庁本部の刑事達が加わる捜査本部が立つ可能性もあるということを示している。一目で状況を把握した隆司は、気をひきしめて同じ班の仲間の下へ駆けよった。


「遅くなりました」

「いや、こっちも帰らせたばかりなのに呼び出して悪かったな」

「大丈夫です。それで事件の方は?」

「詳しいことは追加資料待ちだが、男が未成年の少年数人を拉致監禁して、性的暴行を加えたんだと。命に関わるような酷い怪我をした子はいないが、まだ一人、犯人の手元に残ってるらしい。こりゃ一刻を争うぞ」


 仲間の刑事から簡単な説明を受け、捜査資料を渡される。資料によると、つい今し方起こった事件は複数の少年達が、S署の管轄交番に逃げこんできたことから発覚したというものだった。


 全身傷だらけで警察に助けを求めた少年達の話によると、被害者は皆、繁華街で犯人の男に声をかけられ、金銭目当てで後をついていったところをナイフで脅されて監禁されたのだそうだ。


 その少年達を監禁したとされる犯人の名が、木尻厚志。


「っ!」


 資料でその名と免許証用の写真を見た瞬間、隆司は内臓を思いきり掴まれたような感覚に襲われた。

 徐々に不安が濃くなり、動悸も速くなる。

 女を惑わせるにはもってこいの甘い容貌に、やや髪が長めの、ホストのような男。今にも聞いて呆れそうな口説き文句を口に出しそうなこの男の顔を、隆司は知っていた。


 それは木尻が――――、以前湊に暴力を振るっていた元恋人だったからだ。

 まさか、こんなところで木尻の名を目にするとは思わなかった。複雑な思いを抱きながら、資料の続きを読む。


 木尻厚志、三十四歳。職業は無職。一年前まで大手企業で働いていたが、未成年者への猥褻行為で逮捕されたことで、会社を解雇されたらしい。しかも驚くべきことに、木尻は現在も前回の罪の執行猶予中だと記されてる。


 警察のデータベースに残された犯罪歴を読んで、隆司は思わず頭を抱えそうになった。まさか木尻が前科者だったとは。一度は会ったというのに調べておかなかったことを悔やみ、隆司は奥歯を鳴らす。そして更に焦りが強くなった。


 幾ら元恋人が事件を起こしたからと言って、今現在行方が分からない湊が関わっているとは言えない。なのにどうしてだろう、何故か胸騒ぎがおさまらないのだ。

 これが田島の言っていた刑事の勘、なのだろうか。聞いてみたいが、田島はまだ現場に復帰していない。要するに、この不安を解消させるには、木尻の身柄を迅速に確保するしかないということ。隆司は頭から陰鬱な気分を追い出して、仕事に切りかえた。 


「それで、未だ木尻の下に残ってる被害者は――――」


 資料には乗っていない被害者の情報を聞こうとする。その時。


「長谷部さん」


 背後から、聞き覚えのある声が届いた。振り向くと、そこにはつい先日会って酒を酌み交わしたばかりの親友の顔があって、隆司は酷く驚く。


「何……でここに……?」

「長谷部さん、ちょっとお話があるので、一緒にきてもらってもいいですか?」


 S署署長の隣に立つ厳しい表情の克也は、隆司の質問に答えることなく静かな声色で一緒にこいとだけ言うと、さっさと会議室の外へと出ていってしまう。


「オイ、長谷部、お前何かしたのか? 署長に呼ばれるなんて……」


 克也達が会議室からいなくなったところで、仲間達が青い顔をして隆司の側へと寄ってくる。


「い……や、そんなことは……」


 どうやら克也がキャリアだと知らない仲間達は、克也よりもその隣にいた署長のほうに目がいったらしい。署長に呼ばれたことを何かの不祥事かと懸念した仲間達が険しい顔をこちらに向ける。隆司は首を横に振って否定したが、今はそれよりも克也が何故S署にいるのかという事実のほうが気になっていた。


「とりあえず、行ってきます」


 矢継ぎ早に飛ぶ仲間内からの質問をかわして、会議室の外へと出る。すると外で待っていた克也が隣の小会議室を指差して、再び歩きだした。


 二人だけで話がしたい。そう察した隆司は、何も言わずに後をついていく。


「――――あんなところで急に呼び出してごめん。他の人達に変な目で見られたよね?」


 小会議室に入り、扉を閉めたところで克也が親友の顔に戻る。


「いや、まぁ、でもそこは大丈夫だろう。それよりお前がどうしてここに?」

「うん……ちょっとね、上から所轄で捜査の勉強をしてこいって」

「上から? 何だよお前、捜査一課の管理官になったのか?」

「昨日からね」


 管理官というのは、警視庁捜査一課に所属し、大きな捜査本部ができた時に現場を統括する責任者のようなもの。だが、かなり大きな事件でなければ、捜査本部が作られることはないのだが――――。


「……このヤマ、本部も加わる可能性が高いってことなのか?」

「現時点では五分五分といったところかな。だから僕みたいな下端キャリアに出向命令が出たんだと思う。まぁ、それは置いておいて、今回の事件なんだけど……」


 事件の話に戻った途端、克也の顔が厳しいものになる。警察官になって初めて見るそんな顔に、隆司はそれだけで緊張を覚えた。 


「もしかしたら、隆司を外すことになるかもしれない」

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