第18話:空っぽの部屋、空っぽの心



 刑事という仕事は、私生活を優先することができない。何があっても事件が起きれば呼び出されるし、時には犯人が捕まるまで家に帰れなくなる。 

 湊がいなくなった日に起きた殺人事件は、犯人を特定するも逃走を許したため、隆司達は犯人の部屋の近くのアパートで張りこむことになった。それから三日後、張りこみの末に無事逮捕した犯人の聴取を終えて部屋に戻った時には、自宅を出てから四日が過ぎていた。


「ただいま……」


 玄関の扉を開けるのと一緒に、すっかり習慣になってしまっていた口癖が勝手に飛びでてくる。

しかし、隆司を出迎えてくれる声はない。

 いつも扉を開けると同時に、うるさいぐらいはしゃいだ湊が飛びついてきたのに。部屋中に、腹を刺激する料理の匂いが広がっていたのに。


 目の前には、何もない。


 そうだった。もう湊はここにいないのだった。気づくと、気分がどっと落ちこんだ。

 帰りを待つ人間がいない部屋は、酷く空虚なものだった。中に入った隆司を湊の代わりに出迎えたのは、冷え切った空気と、グチャグチャになった手紙だけ。隆司はその手紙を横目に荷物を置くとシャワーだけ浴び、何も食べることなくソファーに座った。


 昼から何も食べていないのに、食欲が全く湧かない。どうやら胃の調子が悪いらしいが、原因は張りこみ中に食べたコンビニ食だということが分かっているから放ってある。

昔は毎日コンビニ弁当や店屋物で暮らしていたというのに、湊の料理を食べてから身体が安い油を受けつけなくなった。

 二週間しか一緒に暮らしてないというのに、ここまで大きく体質が変わってしまっていたとは。


 部屋だってそうだ。湊がいないだけで、景色が全て灰色に見えた。この部屋はこんなに殺風景だっただろうか。もしかして知らない間に湊が色々置いていて、出て行くのと一緒に片づけたのだろうか。あと、テレビはいつも何を見ていたのか。思い出そうとしても、当たり前の光景が思い出せない。分かるのは何もかもが物足りないということだけ。


 つまり、それだけ湊が隆司の生活の一部になっていたということだ。隆司は、少しだけ身体を起こすと机の上の手紙を手にとる。握り締めたままの形で四日も放置していた手紙を開くと、湊からのメッセージをもう一度読んだ。


『想いは、言葉にして伝えなければ駄目』


 それはどこにでもある当然の言葉だが、今の隆司には何よりも胸に刺さった。

 自分は今まで、一つとして気持ちを言葉にしてこなかった。克也に対する気持ちも、湊への素直な気持ちも。

 多分、想いや願いを言葉にできないのは、子供の頃、一度に両親を失ったからだろう。願いを口にしても親は戻ってこない。寂しいと言っても、施設の先生達は忙しくてずっと一緒にいてくれない。そんな過去が、隆司に枷を嵌めたのだ。


 今までは、それでいいと思っていた。しかし――――湊が目の前からいなくなって、後悔してから初めて思い知った。例えどんな過去があったとしても、想いを閉じこめてしまったら何も伝わらないことを。


 湊にもう一度会って、今度はちゃんと想いを伝えたい。そう考えた隆司は、張りこみの休憩中に一度、湊が働くアルバイト先に電話をかけてみた。ところが湊は部屋を出た日に「住み込みで働きたい」と言ってきたものの、翌日からこなくなってしまったそうだ。

 湊は仕事が嫌になったからと逃げる男ではない。だがそれならば、今どこにいるのだろう。


「湊……」


 返事はないと分かっているのに、名を呼んでしまう。

 するとその時、まるで湊の代わりに返事でもするかのように、隆司の携帯が鳴った。湊かもしれないと淡い期待を抱いて携帯を手にするも、液晶画面に表示されていたのは勤務先の番号。隆司は一気に気分を降下させて電話に出る。


「はい、長谷部です」


 着信の内容は、事件発生の一報だった。

 こんな時に、連続で事件が起こるなんて。今回ほど、刑事という仕事に嫌気がさしたことはない。だが、気分が乗らないからと出動拒否なんてできない隆司はソファーから立ちあがると、置いたばかりの鞄を持って再び部屋を後にした。

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