第15話:届かない手②
湊の気持ちを考えて言い淀む。が、二人を包む空気が沈黙を許してくれなかった。
手の中のコーヒーカップがいつの間にか熱を失い、指の温度と同じになっている。隆司はカップを持ちあげると一気に飲み干し、そして大きく深呼吸をした。
「克也は昔から考え方や思想に一本筋が入った、意志の強い奴だった。高校時代から『自分は将来、警察官僚になって日本をもっと安全な国にしたい』って言ってたぐらいだしな」
昔を思い出すためか、はたまた湊の顔を見ないようにするためか、隆司は自分でも意識しないうちに瞳を閉じていた。
「最初は、克也の強さに同じ男として惹かれた。けどある時、俺はそんな克也に脆い部分を見つけたんだ」
暗闇に包まれた世界の中で、古い記憶を震える手で手繰りよせる。
「脆い部分?」
「ああ、あいつは高い理想と現実の壁にぶち当たって身動きが取れなくなると、自分の力の弱さを責めて自らを追い詰めるようになる。そうなると厄介でな。食事も睡眠も取らずに壁と戦おうとするんだ」
あれは確か、克也が生徒会長を務めていた時のこと。前年度に一部の生徒が不祥事を起こしたからという理由で、その年の修学旅行を中止すると学校が決めたことに生徒が反発。生徒会長だった克也に協力を求めてきたことがはじまりだった。
克也は修学旅行を実施して欲しいという生徒達の願いを叶えるべく、教師達に何度も嘆願した。しかし願いはなかなか認められず、克也は酷く落ちこんだ。自分には教師を説得するだけの力がないと、ならば何のための生徒会長なのだと。そう言って涙を零した。
「そんな姿を見て、守ってやりたいって思うようになったのがきっかけだったと思う」
「克也さんは本当に責任感が強いんですね」
「強いというより、強すぎだ。克也は決して人に頼ろうとしない。こちらから手を伸ばしても、絶対に手を取らない。だから俺は今日みたいに、何も知らない振りをして酒の相手になってやることしかできないんだ」
「今日? もしかして、克也さんが今日来たのも……」
湊の問いに、隆司はゆっくりと目を開く。それでも視線は前を向いたまま、湊の方には向けない。
「多分、仕事で何かあったんだろうな」
「見た限りじゃ、凄く元気そうだったのに」
「あいつ、頑固なうえに見栄っ張りなんだよ。俺やお前に、格好悪いところを見られたくなかったんだろ。でも、俺のところにきたってことは、相当ギリギリだったんだと思う」
だから、何も言わなくても分かるのだ。しかし、それでも昔に比べたらまだいいほうになった。
一番酷かったのは二人が大学を卒業し、それぞれの道を進んで二年ほど過ぎた頃。当時、隆司の前に現れた克也は、言葉にならないほど心も身体も衰弱していた。驚いた隆司は痩せ細った克也の腕を掴み、強引に病院へ連れて行こうとしたが、克也は頑なに首を縦に振らなかった。
頑固な克也は、何も理由を言わずに「隆司と一緒に酒を飲みたい」と言って、缶ビールをあけるだけ。そんな克也を見て、隆司は決めたのだ。根本的な部分で支えることができないのなら、支えられる部分だけを支えてやろうと。
「二人は、強い絆で結ばれてるんですね……」
歪な二人の関係を語り終えると、湊が消え入りそうな声でそう呟いた。
「ねぇ、隆司さんは克也さんに告白しないんですか?」
「なっ……」
まさか、湊の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。隆司は、驚愕して思わず湊の方を向いてしまう。
湊は愛情に対してもっと貪欲だと思っていた。自分の愛は、誰にも負けない。例え、想い人が他の人間を好きでも、必ず自分のほうを振りむかせると言い切る強さがあるのだと。だから湊の言葉に、隆司は意表を突かれたのだ。
しかし、視線を向けた先にあった湊の顔を見て、隆司は今の言葉が強がりからくるものだとすぐに気づく。
身体を震わせながら唇を噛み、眉を寄せる姿は泣くのを必死に堪えているようにしか見えない。どうしてそこまで辛そうな顔をしながらも尚、そんなことを聞こうとするのだ。
隆司は理解に苦しむのと同時に、胸が苦しくなった。
こんな湊の顔は、見たくない。
「……克也に告白するつもりはない」
「どうしてです?」
理由を問われ、隆司は口を閉ざす。
克也に告白しないのは、湊の存在が気になるから。本来ならそう答えるべきなのだろうが、隆司には言葉にすることができない。代わりに出たのは、昔、克也への告白を諦めた時の理由だった。
「あいつは日本の将来を背負おうって考えてる人間だ。そんな奴に男の俺が告白なんてしたら、迷惑に決まってるだろう。それに俺は克也の夢も理想も引っくるめた全てが大切だから……あいつが夢を掴む日まで支えてやれるだけで充分だ」
それは高校時代、克也と二人で恋愛について話した時のこと。その頃はまだ秘めた想いを伝えることも考えていた隆司が、好きな人間の好みが知りたいという純粋な気持ちで尋ねたところ、克也から返された決意は並の人間が想像できないぐらい強く、重たいものだった。
克也の夢は警察官僚になって、日本の未来を守ること。そのためなら、自分はどんなことでもする。例え私生活や自由を奪われたとしても、出世のために愛した人と結ばれないとしても、自分は官僚としての未来を選ぶ。克也は高校生の時点で、そう決めていたのだ。
そんな強い決意を固めた人間の邪魔が、隆司にできるはずがない。
「隆司さんがそこまで考えるぐらい、克也さんは魅力的な人間だということですよね」
納得した様子で告げると、湊は続けてフフッ、といつものように笑った。
「どうした? 今の話に、何かおかしいことでもあったか?」
「いえ、そういう意味で笑ったんじゃなくて……、僕じゃ克也さんには勝てないなぁって」
「は? さっきも他人とか他人じゃないとか似たようなこと言ってたが、勝つとか負けるとかそういうものじゃないだろ? お前はお前で、克也は克也なんだから」
湊と克也では見た目も、人間性も、歩んできた道も、そして進む道も全く違う。だからこそ克也には独りでも生きていける強さが、湊には他者から愛情を与えられることで輝くという魅力が生まれたのだ。そんな二人を並べて、優劣をつけろというほうがおかしい。
「もう……隆司さんって、頭良いのにそういうところは鈍いんだから」
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