第14話:届かない手①



 挽きたてのコーヒーの香りは、飲みすぎで鈍くなった頭を起こすのに丁度よかった。

 久々に気持ちよく酒を呑んだ後、すっかり元気になった克也をタクシーが捕まえられるところまで送って帰ってくると、部屋中に香ばしい豆の香りが充満していた。勿論、それは湊が隆司の帰る頃を見計らってコーヒーを入れておいてくれたからだ。しかもコーヒーが出された時にはもう、散在していたビールの缶や皿が片づけられていて、快適に寛げる環境になっていた。


 さすがは湊だ、と良すぎる手際に感心ながら隆司はリビングのソファーに腰かける。


「湊、お前もコーヒー飲まないか?」

「ええ、お皿洗い終わったら頂きます」


 コーヒーに誘う隆司に、キッチンカウンターの向こう側に立つ湊が柔らかな笑みを浮かべながら答える。隆司は机の上に用意されたコーヒーを手にして口をつけると、チラリと視線だけで湊を見遣った。

 結局あの後、隆司は湊に何一つ気のきいた言葉をかけてやれなかった。今の湊は元気そうに見えるが、実際はどうなのだろうか。コーヒーを楽しむ素振りを見せつつ、じっくりと湊の顔を窺う。


 しかし、その途中――――不意に隆司はハッと我に戻って目を見開いた。

 どうして、自分はこんなにも湊のことばかり心配しているのだ。これまでの自分なら今頃、久々に克也と同じ時を過ごせたことに大きな幸せを感じている頃だ。なのに、今はその幸せよりも湊のことに意識を向けている。

 まさか、自分はいつの間にか湊のことを好きになっていたとでも言うのか。


「隆司さん、片づけ終わりました」


 考えていたところで、片づけを終えた湊から声がかかる。


「ん? あ……ああ、ありがとう。今日は急に悪かったな。疲れただろう?」


 突然、耳に湊の声が滑りこんできたことに驚きつつも、すぐに平常心を取り戻してこたえる。


「いいえ、平気ですよ。克也さんとも飲めて楽しかったですし」

「そう言ってくれると助かる」


 言いながら、隆司は無意識に湊の顔を見つめた。


「どう……しました? 僕の顔に何かついてます?」


 隆司の目の前にいる湊は、不思議そうに首を傾げてから顔に手を当てる。

 その一つ一つの仕草にも目を離せず、見入ってしまう自分がいた。きっとこんな気持ちになっていることを湊に気づかれでもしたら、また「僕を抱きたくなりました?」なんて言われることだろう。


 しかし今、冗談でも湊にそんなことを言われて、自分は平静を保てるだろうか。思考を巡らせた末、隆司は見事に撃沈する。

 どうやら今の隆司の内側では、それぐらい湊が大きな存在になっているらしい。しかし、そのことを湊は知らない。だからこそ下手なことをしでかさないよう、十分注意をしておかなくては。隆司が誰にも気づかれない場所で気を引きしめる。すると、急に湊が隆司の服の袖を引っ張ってきた。


「ねぇ、隆司さん。一つ、聞いてもいいですか?」

「ん?」

「隆司さんて、その……克也さんのこと、好きなんですよね。勿論……恋愛感情として」

 

 湊が確信を持った顔で、こちらを見つめる。

 出し抜けに言われた言葉に、隆司は指先がわずかも震えないほど固まった。それから数秒、瞬きすら忘れてしまう。

 瞬間、真っ白になった頭に巡ったのは、何故か湊が淡雪のごとく消えてしまうような、そんな恐怖だった。


「何、で……」

「フフッ、僕を誰だと思ってるんです。同性に対する恋愛のエキスパートですよ?」


 唇に人差し指をあて、さながら決めポーズでもきめているかのように自慢気に話す。


「今まで何人もの男の人に、恋してきました。勿論、その大半が叶わない恋でしたけど……。でも、だからこそ分かるんです。隆司さんが、克也さんに秘めた想いを抱いているのが」


 ふと向ける視線の柔らかさだったり、言葉の温かさだったりと、小さなことからでも分かるのだと湊は言う。

 隆司自身、今夜の克也にそういった感情を向けたつもりはない。これまでだって、一度も克也の話題をだしたこともなければ、素振りを見せたこともなかった。

 けれど――――湊が見抜いたように、少し前まで克也へ秘めた想いを抱いていたことは事実だ。その感情をきっぱりと捨てたと言いきれない今、隆司は湊の質問を否定することができなかった。


「湊……」


 こちらを見る湊の視線が、あまりにも真っ直ぐで。

 隆司は真実を湊に隠し通すことはできないと、直感で悟った。


「高校の時……からだ」


 湊をみることができない状態で、ポツリと告げる。


「そうですか……」


 わずかの沈黙が走った。

 二人は目を合わさないまま、それぞれ黙りこむ。

 湊に、きちんと謝らなければ。

 今日までずっと湊からの好意を無下にしてきたくせに、実は自分も同性相手に恋をしていただなんて、馬鹿にしていたと責められても文句は言えない。


「湊、あの……」


 意を決した隆司が口を開く。しかし謝罪を述べようとした矢先に、湊が喋りだした。


「隆司さんから見た克也さんて、どんな人なんですか?」

「え……?」

「克也さんのどんなところを好きになったのか。ねぇ、教えてくださいよ」


 真っ直ぐに聞かれて、隆司は悩んだ。

 克也を好きになった理由を、湊に話してしまってもいいのだろうか。それで湊は悲しまないだろうか。

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