第13話:二人と一人の溝②
酒は人を饒舌にする。その言葉を表すように次から次へと昔話を晒していく克也に、湊は鋭く反応し、食いついた。湊が隆司に恋をしていることを知らない克也は、身を乗りだす湊に、よくぞ聞いてくれと言わんばかりに語りだす。
「うん。隆司は幼い頃に両親を事故で亡くしててね、警察官になるまでずっと苦労してきたんだよ。必死にアルバイトして大学まで出て……。学生時代は本当に頑張ってたよね」
懐かしそうに語る克也の話を聞いて、湊がこちらに視線を向けてくる。隆司は、つまみとして用意した枝豆を手に取りながら当時のことを呟いた。
「別に働くことは嫌じゃなかったし、大学は授業料免除してもらってたから、そう苦労はしてないぞ」
「授業料免除っ? それって隆司さんが、ものすごく頭がよかったってことですよね?」
大学を出ている湊は、大学の授業料免除制度のことを知っているらしい。大学には高校時代の成績と、大学入試時の成績で授業料を免除してくれる制度がある。親のいない隆司は少しでも生活を楽にして、その分勉強に時間を使うため、授業料免除制度を利用していたのだ。
「隆司はできる男だよ。昇進試験だって一発合格だったし、この年で刑事課に配属されるぐらいだからね」
驚いている湊の前で、何故か克也が自分のことのように誇らしく語る。けれど、隆司は素直に喜ばない。それには理由があった。
「国家公務員一種合格して、なおかつ警察庁にあがったキャリア様に褒められても、あまり嬉しくないんだがな」
克也の言葉に嫌味がこめられていないのは、百も承知だ。だから隆司の返答にも毒はない。
何故ならこれは、二人の中で定番となったやりとりの一つ。簡単に言ってしまえば酔っ払いお得意のかけあいだからだ。
「それは隆司が『自分は捜査一課の刑事になりたい』って言って試験受けなかったからでしょう? 試験受けていれば、隆司だって合格してたはずだよ。隆司にはそれだけの能力があるんだから、さっさと警部補の試験も合格して、上にあがってきなよ」
「あまりプレッシャーかけるな。試験は克也が考えてるほど、易しいものじゃないんだぞ」
まるで明日にでも昇進しろと言わんばかりの克也に、隆司は眉間を揉む。
克也はいとも簡単なことのように言うが、同じ警察官でもキャリアとノンキャリアでは、出発の時点も違えば出世する早さも違う。克也のように入庁時から警部補の階級を与えられ、以降も試験なしで上にあがれるキャリアと違って、隆司は一階級ずつ難しい試験を受けなければ昇進できない。想像以上に厳しい道なのだ。
「隆司なら大丈夫だよ」
だが、それでも克也の自信は揺らがない。
「……根拠は?」
「警察官の勘、かな?」
「それを言うなら刑事だろ。しかも、お前刑事じゃないし」
「ははっ、そうだね。じゃあ、長年つきあってきた友人の勘ってことにしておいて」
「結局、根拠も何もないじゃないか」
いつも湊にするように深い溜息を吐ながらも、中に苦笑を含める。
「……でも、お前がそう言うなら、大丈夫なような気がしてきた」
克也は、これまでずっと自分で道を切り開いてきた強い男だ。そんな人間に太鼓判を押されると、不思議と自信が湧いてくる。
もしかしたら、次の試験はうまくいくかもしれない。そう思うと自然に笑みが生まれた。
「そうでしょ。だから早く試験合格して、本庁に来なよ。そしたらさ、いつか高校の時みたいに二人で並んで、一緒に仕事できるかもしれないし」
「ああ、そうだな。分かった、絶対に合格して必ず一課の刑事になってやる。――――――ん? どうした湊。妙に深刻そうな顔して……」
決意を告げる隆司の横で、湊が箸を持ったまま固まっていた。そういえば今の二人の会話を、まるでテニスの試合観戦のように首を左右に振りながら見ていたようだが、湊はその間一つも口を挟んでこなかった。
話好きの湊なら、割って入ってきてもおかしくないのに。
「T大……キャリア……捜査一課……」
二人を見つめながらブツブツと口元で何かを呟く湊の顔は、初め驚愕に染まっていたが、みるみる寂しそうな顔に変わっていった。
また、何か余計なことを考えたのだろうか。隆司の中に、不安が湧く。もしそれならば、下手に気持ちが落ちてしまう前に何か言ってやらなければ。しかし、そう思っているうちに克也が湊に話しかける。
「ね、湊君。隆司がちゃんと勉強を怠らないように、見張っておいてね。きっと君が隣にいれば大丈夫だと思うから」
「え? あっ、いや、あの……僕は役に立てるか……どうか……わかりませんが、できる限りは……」
唐突に話を振られ、湊があからさまな動揺を浮かべる。その態度で、隆司の中の不安が確定に変わった。
いつもの湊なら、「任せてください。僕が必ず合格させます」ぐらいの言葉をかえしているはず。それが出てこないのは余程のことだ。きっと自分は知らない間に、何かしてしまったのだろう。胸の奥が、チクリと痛む。
とにかく、どうにかして湊を元気づけなければ。焦りながら湊にかける言葉を探すが、考えても一向に気のきいた言葉が出てこない。
料理の礼なんて今ここで言ってもおかしなだけだし、ここで何を悩んでいるのか聞いても場をしらけさせるだけ。きっとそれは湊も望んでいない。ならどうすれば。隆司は焦燥で乾いた口を潤そうと、ビールを口に含んだ。
やや炭酸が抜けたビールが、喉を通る。それはまだ幾分か冷たさを残してはいたが、何故か最初に飲んだ時よりも苦みを強く感じた。
舌を包み込む不快な苦みに、隆司はふと思う。
あたかも「こんな大切な時に何も言えないなんて、お前はそれでも男か」と、間接的に責められているみたいだと。
だが、実際に何もできない自分は、誰かにそう責められても仕方がないと思うしかなかった。
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