第12話:二人と一人の溝①

 目の前には隆司と湊が二人で用意した料理と、克也が買ってきた酒のつまみが豊かに並んでいた。

 どうやら克也も湊の料理を気に入ったようで、先程からよく箸が動いている。追いこまれると食が細くなる克也でも、湊の料理ならきっと食べられるはず。そう踏んだ予測は見事に当たり、隆司は胸中で握った拳を天高く掲げた。  


「そっか、湊君も大変だったんだね。でも偉いなぁ、自立するために親元を飛び出すなんて、誰でもできることじゃないよ」


 コップに注いだビールに口をつけながら、克也がうんうんと頷く。


「格好良く言えばそうなりますけど、実際は自分の我儘を通しただけの身勝手者ですよ」


 箸を動かす克也の正面で、湊が照れたように笑う。

 湊の事情に関しては食事の用意をしていた時に『湊が同性愛者だということだけを隠して、あとは話そう』と、二人で示し合わせた。

 本来なら隠さずに告げたいはずだが、そうすると隆司に迷惑がかかるから嫌だと、湊自身が拒んだからだ。


「まぁ、その身勝手で隆司さんには凄く面倒をかけさせちゃって、申し訳ないんですけど」


 色鮮やかな野菜が混ざったポテトサラダを取り分けながら、湊が整った眉を八の字に垂らす。その言葉に、隆司は目を見開いた。


「お前……一応、面倒かけてるって自覚はあったんだな」

「酷い。僕だって常識ぐらい備えてますよ」

「常識が備わっている人間は、人の部屋に強引に転がりこまないけどな」


 鋭く突っこんでやると、湊がむぅっと唇を尖らせた。そんな二人のやりとりを見ていた克也が、クスクスと笑う。


「いいじゃない、僕だって一時期隆司の部屋に転がりこんだことあるんだし」

「え、克也さんが?」


 いきなり持ちだした過去の話に、湊が声をあげて驚く。


「うん。うちは医者の家系でね、大学受験の時、親に医学部以外は認めないって言われたんだ。でも僕はどうしても警察官僚になりたかったから、反発して家出したんだよ」


 あれは高校三年生の一月。確かセンター試験直前のことだった。

 受験ということで入所していた養護施設の施設長の計らいで離れの部屋を一人で使わせて貰っていた隆司のもとへ、突然克也が「家出してきたから、泊めて」と言って転がりこんできたのだ。

 制服と参考書、そして小学生の頃からいざという時のために溜めていたという貯金を持って。


「そ、それで?」


 家出という部分で共感したのだろう。湊が息を呑みながら話の続きを待つ。


「そのまま受験日まで帰らず居座って、入試テスト受けたんだ。で、後日、T大文一の合格通知叩きつけて、『認めてくれないなら、大学に行かずに就職してやる』って脅したら、さすがに認めてくれたよ」


 T大か、高卒で就職か。どちらかにしか進まないと言われたら、誰だって大学を選ぶだろう。克也の親は、そこまでの決意と結果を見せた息子にとうとう折れたのだ。


「す、ごい……。じ、じゃあ、試験の間はずっと隆司さんの部屋から帰らずに……?」

「そうだよ。確か二ヶ月ぐらいったかな。六畳一間の暖房もない部屋に居候させてもらってたんだ」


 克也が当時の隆司の部屋を思い出しながら、しみじみと語る。その言葉にやや棘を感じるのは、気のせいだろうか。


「暖房もない家で悪かったな。頼れるのは俺しかいないって泣きついてきたくせに、随分な言い方してくれる」


「ハハッ。ごめんごめん。でも、おかげでちゃんと集中できたし、無事に合格もできたから、隆司にはすごく感謝してるんだよ」


 隆司がいなかったら希望の進路にも進めなかった。克也は少し照れくさそうに、感謝の言葉を綴る。


「でも懐かしいなぁ。あの時は、二人で肩寄せ合って温めあいながら頑張ったよね。それに、毎日が修学旅行みたいで楽しかったし」


 一日中親友と一緒にいて、勿論勉強が目的だが、夜は毎晩「うちの担任が先週お見合いした」だの「クラスの奴が彼女をつくった」だのと高校生らしい話をした。

 どれも他愛もない話だったが、飽きることは決してなかったのを今でも覚えている。


「まぁ……な。毎日一枚しかない布団の取り合いしたのも、今じゃいい思い出だ」

「でしょう。だから、きっと湊君との生活も、何年後かには酒を飲みながら話し合ってるだろうと思うよ」

「何年後かにねぇ……」


 例えば五年後の未来を想像してみる。多分、その頃には湊だって正社員になっているだろうことは予想できるが、その他は何も思い浮かばない。

 その頃も、二人は同じ屋根の下で暮らしているのだろうか。


「ま、それは将来の楽しみにとっておくとして。でもよかったよね、隆司。湊君がここにきてくれて。湊君はいい子だし、隆司のために家のこと全部やってくれてるんでしょ? この年でここまでやってくれる子なんて、そうそういないよ」


 どうやら湊に対してすっかり好感を抱いてしまった克也が、兄のように柔らかな表情で見つめる。すると湊は、照れた様子ではい、と頷いた。

 いや、何故そこで湊が顔を赤くするのだ。突っこもうか悩んでいると、何を思ったのか克也が唐突に隆司の昔話を持ちだした。


「隆司もこれまで苦労してきたから、湊君の気持ちも分かるだろ? だからちゃんと支えてあげるんだよ」

「隆司さんが苦労を?」

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