第11話:アオハルのナゲットソース


「じゃあ、隆司さんは冷蔵庫の中にあるポテトサラダと、浅倉さんが買ってきてくれたナゲットを、お皿に盛って貰えますか?」

「分かった。皿は……何でもいいのか?」

「ええ、料理が入る大きさなら何でもいいですよ」


 言われて隆司は、食器棚から適当な大きさの皿を探す。だが、すぐに手を止めざるを得なくなった。

 適当な皿と言っても、正直何を選んだらいいか分からない。食材が乗る大きさの皿は何枚か見当たるが、色も形も違う。これまで湊が作ってきた食事を頭に思い浮かべながら妥当なものを選ぶが、隆司にはどれが正解か全く分からなかった。

 今やキッチンは、完全に湊の聖域だ。知らない間に増えた調味料や、変わった皿の位置に戸惑う隆司はもはや、湊の指示を頼りにキッチンを動き回ることしかできない。

 とりあえず間違っていたら後で謝ろうと決め、盛りつけに入る。


「しかし……」


 手を動かしながら、隆司は呟いた。料理というものは、本当に大変なんだな、と。

 火を使えば時間との勝負、調味料の量を間違えれば食べ物ではなくなる。一つ一つの料理だって作る順番をきちんと考えておかないと、せっかくの料理が冷めてしまう。それらを全て計算しながら作る湊に、思わず感心してしまった。

 いつも帰ってきたらすぐに温かい料理が出てくるのは、湊がちゃんと考えてくれているからだろう。気づいた隆司の胸が、春風を受けたかのように温かくなる。

 これが、幸せな気分というものなのか。

 田島が言っていた言葉の意味が、分かった気がする。

 スラリと背筋を伸ばした姿でまな板の前に立ち、器用に野菜の皮を剥く湊の姿を見ながら、隆司は自然に笑みを零していた。


「ん? どうかしましたか?」

「あ、いや……言われた通り皿に盛ったんだが、これで良かったか?」


 立ったままじっと見ていた隆司に、気がついた湊が尋ねてくる。慌てて我を取り戻した隆司は、何もなかった顔でポテトサラダとナゲットを盛った皿を見せた。


「ええ、大丈夫です、じゃあ、それを食卓に持っていってもらえますか?」

「分かった。……あ、ナゲットのソースは?」

「ソースならここだよ」


 不意に隆司の背後から、克也の声が届いた。振り向くとソースが入ったプラスティックケースを両手に持った克也が、ニコニコと機嫌良さそうに笑いながら立っていた。隆司は克也の手の中にある二種類のソースに、懐かしい記憶を呼び起こされる。


「見たことあると思ったら……やっぱりこのナゲット、あの店のやつか!」

「そう。懐かしいでしょ? 急に思い出しちゃったから買ってきたんだ」


 克也がそう語るナゲットとは、二人が通っていた高校の目の前にある精肉店が作ったものだ。特別美味いというものではないが、安くて飽きが来ない味ということもあり、高校時代はよく食べていた。


「お昼とか、放課後残って勉強する時の必需品だったよね」

「ああ、腹が減ると何故か無性に食べたくなるんだよな。しかも店が校門の目の前にあるから、匂いが教室にまで入ってきて余計に。アレ、絶対に時間を計算して作ってるって、二人で言ってたっけな」

「そうそう。高校生の腹時計を完全に読んでるってね」


 二人で話している内に、どんどん当時の記憶が蘇ってくる。大学を出て警察官になってから、高校時代なんて遙か昔のことのように思っていたが、こうして話をしていると、十年前がまるでつい先日のような気がした。


「そういえばさ、ソース大戦争って覚えてる?」


 言いながら克也が持っていたソースの内の一つを、隆司に差しだす。すると目前まで迫った黄色いソースが、また一つ大きな記憶を呼び戻した。


「あー、あれだろ。このナゲットに合うのはバーベキューソースか、それともマスタードソースかってやつ。あの戦争は凄まじかったよな」

「そうそう。最初は僕達二人だけの戦いだったのに、いつの間にか学校中を巻きこんだ大論争になっちゃって。最終的には文化祭で討論大会まで開いちゃったっけね」

「ああ。でも結局克也が推したバーベキューソースに軍配があがって、俺は苦い思いをさせられたんだよな」


 大真面目にソースの魅力について語っていた当時の自分を思い出し、隆司は苦い顔をする。克也は逆に、あの討論会は楽しかったと大きく笑った。

 できることなら、思い出したくないが、あの時はかなり悔しかったことを隆司は覚えている。マスタードソースの魅力も十二分に伝えることができたし、克也との討論も負けてはいなかった。それなのに負けたということは、何かが克也に劣っていたのだろう。

 克也は昔から何事に関しても真摯に向かい、そして全力を尽くす男だった。たかがソースと考えず、どうしてその味が合うのか、とことん調べあげて討論する。きっとそういうところが、見ている者の目には魅力的に映ったのだろう。かくいう隆司も、あの頃の克也には何度も目を奪われた。


「勝ったって言っても、そんなに大差はついてなかったけどね。隆司の答弁だって説得力あったし、理に適ってもいた。だから僕も認めて……こうしてマスタードも買ってくるようになったんだよ」


 本人をよく表した秀麗な笑顔で、克也がふわりと笑う。その微笑みには、湊と違う美しさがあった。湊が高貴な美しさなら、克也は自然の美しさといったように。

 隆司は久々に見る克也の笑顔に、安堵の息を吐いた。仕事に追い詰められている時の克也は、なかなかこうして笑わない。一晩思いきり飲み明かして、漸く小さな微笑みが戻るぐらいだ。

 これも間に湊がここにいるおかげだろうか。考えながら隣を見遣ると、湊は隆司の横でぎこちない笑いを浮かべていた。


「湊? どうした?」

「え……? ああ、何でもありません。討論会なんて、凄いなって思ってただけです。……あ、浅倉さん、じゃあその有名なソース、頂けますか? お皿に移し替えますから」


 隆司に声をかけられた途端、いつも表情に戻った湊が克也に笑って手を伸ばす。


「ありがとう。それと僕のことは、隆司みたいに克也って呼んでくれればいいから。浅倉さんじゃ、何か堅苦しくて」

「分かりました。じゃあ、お言葉に甘えて克也さんって呼ばせて頂きますね」


 ソースを受け取った湊が、再び料理の準備に戻る。だが、やはり動きにぎこちなさが残っていて、隆司の首を傾げさせるのだった。




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