第6話:前に進むための涙②



「隆司さん、今から思いきり泣いてください」

「何を……」


 湊は、突然何を言いだすのだ。

 泣いたって撃たれた事実も、怪我も、どうすることもできないのに。ただ泣けばいいなどと言う安易さに苛立ちを覚えた隆司は、思わず湊を睨んだ。しかし、そこには睨んだ隆司のほうが逆にたじろいでしまうほど強く、真剣な目をした湊がいた。


「辛くてどうしたらいいか分からない時は、まず大声で泣いて混乱した感情に区切りをつけるんです。その後に、自分はどうするべきかを考える。――――僕はそうやって、僕のせいで亡くなったお祖母様の死を背負っていく覚悟を決めました」

「お前のせいで亡くなった……?」


 何の前触れもなく告げられた重すぎる告白に、隆司は瞠目した。だが湊は、そんな隆司を前にしても瞳を逸らすことはしなかった。


「前に、僕が家族に同性愛者だと告白した時の話しましたよね?」

「ああ、受け入れて貰えなかったんだよな?」

「はい。あの話なんですけど、実はもう少しだけ込み入った話があって…………告白した時、その場にお祖母様もいたんです」


 自分の性癖を家族の誰にも隠したくない。その思いが強かったからこそ、祖母も揃う場での告白を決めたのだと、湊は話す。


「でも、僕が告白したショックで、心臓が弱かったお祖母様が倒れてしまって」


 息を継ぐタイミングで、言葉がとまる。その一瞬、湊は眉を寄せ、わずかに唇を噛んでから再び言葉を紡いだ。


「そのまま……亡くなりました」


 最後の言葉だけが震える。ふと気づいて膝の上に乗る湊の手を見ると、爪が掌に食いこみ、肌の色が真っ白になるほど拳は強く握りしめられていた。

 一目見ただけで、話すのが辛いということが分かる。


「僕の選択は間違いでした。普通に考えれば同性愛者と打ち明けられてショックを受けない家族なんていないのに、あの頃の僕は家族なら絶対に受け入れてくれるだろうと信じて疑わなかったし、逆に隠し続けることの方が卑怯だと勝手に思いこんでいたんです」


 その話を耳にして、ふと隆司は湊から聞いた家族の話を思い出した。湊の家族は、昔から近所でも評判になるほど仲の良い家族だったそうだ。特に末っ子だった湊は、家族中の人間に愛されて育ったと。

 家族との思い出を話す湊を見て、まるでテレビドラマに出てくるような幸せな家族だと羨ましさを抱いたことを覚えている。

 多分、そんな理想的な家族だったからこそ、性癖を隠し続けることが苦しくなったのだろう。


「あの時は、僕も今の隆司さんみたいに自分を責めました。お祖母様が亡くなったのは……いえ、殺したのは僕だって」


 殺す、という言葉だけがやけに大きく響いた。それは、隆司が刑事という仕事をしているからだろうか。

 けれど湊の行為はどう考えても不可抗力だし、それは湊自身も分かっているはず。それでも『自分が殺した』と思っているのは、それだけ罪の意識が強いからだろう。

 湊がそう思う気持ちは、痛いほど分かった。隆司だってもし今日の事件で田島が命を落としていたら、寸分違わず同じことを言っていたはずだ。しかし人間というのはおかしなもので、自分に向ける感情と他人に向ける感情は全く別ものになる。田島に怪我を負わせた自分は許せないのに、湊のことはどうしても悪いと思えない。


「でもそれは偶然起こってしまった不幸なだけで、お前の家族だってそう思ってると思うが……」


 お前が殺したわけではない。遠回しだが慰めるも、湊は首を緩く横に振って否定した。 


「そんな風に言ってくれるなんて、隆司さんは本当に優しいですね。でも現実は真逆です。お祖母様が亡くなった後、僕は家族中に酷く責められました。兄には僕があんな話をしたからと批難され、母には泣かれ、父にも異常だから入院させると言われました」


 更に家族からの批難はそれだけで終わらず、湊は「お前は一族の恥だから、表に出るな」と言われ、結局祖母の葬儀にも参列させてもらえなかったと言う。


「さすがにあの時は、僕も命を絶とうかって考えました。僕がいると、きっと家族の邪魔になるって思って……」

「湊……」


 息を呑んで見つめる視線に気づいたのか、湊が顔を上げて隆司のほうを見る。そして、辛そうな色を濃く残したまま笑った


「大丈夫ですよ。僕の中じゃ、もう区切りがついている話ですから、今は死のうなんて少しも思ってません」

「お前は、どうやって自分の中で区切りをつけたんだ?」

「半ばヤケになったと言ったほうが正しいのかもしれません。どうせ死ぬんだったら、最後は不様にあがいてみようって。それで父に勘当を突きつけられたことをきっかけに、家を飛び出したんです」


 家を出た後、一人になった湊は冷静になって考えたそうだ。何故、自分は家族に認めてもらえなかったのか。そして、どうすれば家族は認めてくれるようになるのか。熟考した末に辿り着いた答えが、『一人前の人間になって、家族を認めさせてみせる』だったらしい。

 だから前の恋人の部屋で暮らしていた時も、アルバイトをすることを考えていた。


「いつか一人前になって家族に認めてもらうことができたら、改めてお祖母様のお墓の前に立って頭をさげるつもりです。それまで僕は……いいえ、それからもずっと、僕はお祖母様の死を背負って生きていきます」


 死を選ぶ前にあがく道を選び、そして最後まで祖母の死を背負う。そんな選択ができる湊が、今の隆司には眩しく見えた。

 実の話、湊という人間は呆れるぐらい楽天的で、きっとどれだけ世間になじんだところで坊ちゃん体質は変わらないのだろうとどこかで決めつけていた。強い決意を抱いていることは知っていても、まさかここまで重い十字架を背負って生きているとは思ってもみなかった。

 隆司は己の眼識の甘さを痛感し、頭を抱える。


「あ……ごめんなさい、隆司さん。辛い時に、楽しくない話しちゃって。でも――――」

「でも、俺に元気を取り戻して欲しくて話してくれたんだろう?」


 湊が何を言いたいのか、初めて先に悟ることができた隆司が先に言う。


「悪いな、俺が落ち込んだばかりに辛い過去を思い出させて」

「そんな……俺は大丈夫ですよ。さっきも言った通り、もう吹っ切れてますから」


 湊は、やはり笑って強い言葉を紡ぐ。

 恐らく湊は、言葉どおり本当に過去を乗り越えたのだろう。けれど、一つだけ嘘を吐いていることを隆司は見破った。


「無理するなよ。辛くないとか言いながら、今にも泣きそうな顔してるじゃないか」


 気持ちに決着はついているかもしれないが、だからといって辛い過去に感情が動かないわけがない。本当は泣き出してしまいそうなのに、それでも落ち込んでいる隆司を励まそうと必死に笑う。隆司には湊の裏側の気持ちが、手に取るように分かった。


「でも、泣きませんよ。僕はもう十分すぎるぐらい泣きましたから」

「強いな、お前は」

「そうです。僕は強い子です。思わず惚れちゃうでしょ?」

「そういうところがなければ、少しは評価も上がったんだがな」


 ふと、いつもの調子の湊に感化されたのか、いつの間にか感情が安定していたことに気づく。すると、この時を待っていたかのように鼻腔の奥がツンと痛んだ。


「前に進むために思いきり泣く、か……」

「ええ」

「なら、今日はお前の言葉に甘えて、肩貸してもらうか」


 隆司は、そう言ってすぐ隣にある湊の肩に頭を乗せる。それからすぐに、涙が込みあげてきた。

 ああ、こんなにも自分は泣きたかったんだと、変な納得がおりる。

 大人になると素直に泣けなくなるものだ。けれど同じ痛みを知る湊の前なら、どれだけ不様に泣いても笑われないと分かっているから、素直に感情を解放することができる。

 今の湊は、隆司に一番必要な人間だ。

 自分が纏う雨の匂いと、湊から漂う洗剤の優しい香りに包まれながら、隆司は思いきり泣いた。

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