4.疲弊
ここのところ私は精神的に疲弊しているといえるだろう。誰にも相談できない、いよいよ幻覚や幻聴が出てきたのかも知れないと思うと私は頭がおかしくなったと論じられるだけだから。
私は幽霊なんてものは信じていない、あんなものは頭がおかしくなった人が己を肯定するために幽霊等と呼ぶんだ、だから幽霊は幻覚。現実なんかではない。
それにこの家でそれが起きているのは、見えているのは、いつだって私だけ、せめて家族が見ていたなら他の可能性を見いだせたかもしれないが『壊れた私』だった私なのだ、だから幻覚や幻聴か悪夢でしかない。科学的に考えてもそう。
あの日以降、私は1人になってしまう日には時間を潰し極力ひとりの時間が続かないように気をつけている。母はそのことを言及してこない、年頃の娘が遊びふけって見えているのかもしれない。
あれはすでに玄関の内側にいる、もう戸の外側ではなく家まで入っている。次はどこにそう考えてしまうだけでゾッとする背筋に冷たいものが、と。
玄関を開くもちろん誰も居ない、居るわけがない。それでも私にはその事実がより怖い。いつか、「おかえり」なんて聞こえてくるんじゃないかとか。頭を横に振る、こんな考えは馬鹿げている頭から追い出してしまわなければ。「ただいま」なんてもう言えなかった、少なくとも母が先に帰る日以外は。素足が触れた廊下がほんのり生暖かい、気分は最悪だ。もうじき夏になるそれだけのことだと言い聞かせる。しかし妙な考えが掻き消せないここは直接日が当たらない、だから日に当たって日だまりのような温かいなんてことはあり得ない。それにこれは日だまりというより人のいた後のような温さ。立ちすくんで動けない。大きく深呼吸をして急ぎ足で階段を駆け上がる、自室に体を滑り込ませドアを閉める。ここにはまだ、入って来ないはずだと、いう謎の考えによって私は胸を撫で下ろす。何故そう思ったのかはわからない、何の根拠もない。誰かが居る状況にのみあれが起き、あれが動く、まるでだるまさんが転んだみたく。そう言う考えが過っていた。
「ただいま」
母の声がして玄関を開け閉めする音が響く。
「おかえり」とだけ軽い返事をして私は、部屋の机で勉強を再開していた。リビングへ足音がする、キッチンで物音が響く。最近はいつもこんな感じだ、特に意味はない。
「ただいま」
玄関を開ける物音と母の声がした、下を覗き込む母の姿だ。
「いつ外に? どっか行ってきたの」
体が急激に冷たくなっていく、私は平静なふりをして
「今帰ってきたとこだけど」
足場が崩されたような気分だった、母が心配する目がこちらに
「大丈夫? 顔色悪いよ」
言葉がすり抜けていく、私は母より先にリビングを確かめる。もちろん誰も居やしない。そう、そんなはずはない。頭を殴られた気分でどうにも自分を形作る土台がぐらついている、はしごを外されたような不安。そんなはずがない。さっき帰って来たはずの母は誰なのか? 今帰って来た母は本当に本物なのか?
「ねぇ、調子悪いの?」
母は私を心配している。あからさまに変な私のことを。ここには母のふりをした何かがいる、そしてついにリビングとキッチンへの侵入をはたしてしまった。息を吸っても吸ってもうまく息ができない。そしてそれとは別に私のふりをしているやつもいる。視界が安定しない。その時私はおそらく倒れた気がした、母が慌ててどこかへ電話をかけているのを私は最後に聞いた。
見慣れない天井、眩しい照明。鼻につく薬の匂い。ああ倒れた私は病院のベッドにでも運ばれたのだろうか。何も出来やしないのに、苛立ちが私の中にある。過呼吸で倒れたのかそれともいや、どうだっていい。帰らなくては、何処に?
「あかりちゃん」「大丈夫か?」そんな声が扉が開くと同時に降ってくる両親だ。
「勉強夢中で睡眠削っちゃったみたい、ごめん」
口をついて出たのは嘘、あんなものは幻覚だ、幻聴だ。話せばまたおかしくなった、壊れたそう判断するのだろう。だから睡眠が浅くなっていた理由はそれっぽくしただけのでたらめ。幸いすぐに帰ることはできた、大丈夫まだ。私は壊れてなんかいない、大丈夫。遅めの食事を済ませて早々と私は部屋にこもった。両親は食事中もじろじろこちらを見ていた、たぶん心配している。
その心配が私をやけに苛立たせている。今日の私はなんだか変だ、いつもは苛立ちを覚えたりしない心配してくれることに胸を痛めることはあれど。
心の底で私はもうどうにもならない、と思っていた。
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