3.真似
あれから数週間は過ぎただろうか。新生活、新慣れない環境に、敏感になりすぎていたのだと結論づけていた。それくらい私は充実した高校生活をしていて元の明るい性格で過ごせる交友関係を始めることができていたから。思ったほどここの人達は悪くない、温かく朗らか。もっとよそ者への当たりが強いんじゃとか、よそ者と従来から住んでいた住民の間に確執があるんじゃないかとか、根も葉もない噂話がすぐに回ってなんて馬鹿げたことを想像していた。私にそう考えさせたのはいじめの影響だったのかもしれなかった。それにここらは移住してくる人が多い、おそらくは行政の補助だとかが功をなしている、もちろん土地の風土もよろしい、穏和なこの土地は住み良い。出て行く理由なんて今のところ思い付かない。ファミリー世帯も多くて疎外感もない。同級生の中にも同じように家族で移住してきた子もいたから馴染みやすかった。過去に住んでた場所のことを聞こうとする野暮な人が居ない。素晴らしい場所。私の住むエリアは特にファミリー世帯が多く私達家族も歓迎されていた。
郵便物を手に玄関の鍵を開け私は帰宅、今日は学校が短縮授業で帰りが早く、母はまだ帰っていない。玄関を片手で閉め玄関の上に荷物を滑らすように下ろす。そろそろ暑さが気になって来る、片足ずつスニーカーに手をかけてゆっくり脱ぎ端に揃えて。私は1度洗面所のある右手廊下をゆっくり足を向け進む、洗面所は廊下のすぐ右手側玄関からの導線を考えおそらくその位置に有るんだろう。洗面所をくぐると両手を水と洗剤でごしごし洗ってしまう。これでも大分ごしごし洗わないようになったほうだ、前は駆り立てられたように無心に洗い皮膚が荒れることもあった。そう思うと私は精神的問題は改善されつつあるのかもしれない、口から笑みがこぼれる。手洗いをそこそこに洗面所を出ると廊下を左に進み玄関へ戻りカバンだけを持って階段に足をかける心地よい音だ。二階へ上がると自室に入り、荷物をそっと投げ出し着替える。ほっとしてベッドに体を投げ出す。休憩をそこそこにスマホだけを手に取り一階のリビングに戻りリビングテーブルでくつろぐ。もう少ししたらご飯を炊いておこう。メッセージを適当に目を通してチェックする。母親からは何も来ていないから通常通りなのだろう。頬杖をついて、ついつい両足を浮かせぶらぶらさせる。安心感からか疲れからなのか気づけば眠りこくっていた。
ふと肩に手を乗せられたような感覚で目が覚めた、母が帰ってきたのか寝過ぎた、と。しかしながら誰も居ない、やけに静かに感じる、体が少しだけダルい。勘違いだったようだ母の姿はない、では誰が? 息を押し殺し固唾を飲む、時計の音以外の物音はしない。気のせいだったかと思いつつもざわついた。頭が鉛のように重く思考がままならない。寂しいんだろうか。
「あーかーりちゃん、あーけーて」
どんどんと戸を叩く音がする。
「お母さん?」
トントンッ、
「あーかーりちゃん、あーけーてぇ」
トントンットントンッ、
「あーかーりちゃん、あーけーてぇ」
ドンドンッ、ドンドンッ。先ほどより戸を叩く音が強くなっている。
「あーかーりちゃん、あーけーてぇ」
先ほどまで母の声だと思っていた声はずっと同じ声で同じ言葉を吐いている。
母ならそもそも鍵を持っているのに何故鍵を開け入って来ないんだろう。
「あーあぁー、あーーーかーりちゃん」
ノイズじみた声が壊れたように私の名前を呼ぶ。体が動かないことに今更気づいた。
「あーーけーーてぇー」
間延びしたテープみたいだと思った、その間も戸を叩く音が響くドンドンッ⋯⋯ドンドンッ⋯⋯。
「⋯⋯」声を出そうとして音が漏れるだけだと気づいて魚みたく口をパクパクさせる私は、きっと滑稽。
「あーけーて、あーけーて、あーけーて」
トントンッ⋯⋯ドンドンッドンドンッ⋯⋯。
ひたすら息を潜める、もしこちらに気づいたらどうなるんだろうかと思うと冷や汗が止まらない。返事をしてはならない直感がそう告げていた。
「あーかーりちゃん、あーかーりちゃん、ぁあーかーりちゃん」
トントンッ⋯⋯トントンッ⋯⋯ドンッ⋯⋯ドンッ!!
もしかすると、それは家の誰かが返事をしなければ家に入ることができないのかもしれないそう感じた。
「はーーい、どうぞ」
私じゃない私の体からでたはずのない、私の声が突然返事をした。私はリビングの隅に隠れ両手で口をふさいで静かに息を押し殺す。
ガチャリ⋯⋯、鍵の開く音が響く。気配が玄関の中へ滑り込んでくる。
時間が流れるのが遅く感じる、どれくらいしてもそれはそれ以上何もしなかった。
ガチャガチャ⋯⋯。物音が再びする。息を飲む、足音がこちらへ近づいてくる。
「どしたの? 何してるのびっくりした」
上を見上げると母が目を丸くしてこちらを見ている。
「お母さん、ご飯炊き忘れちゃった。寝ちゃってたみたい」
とっさにそう言って、母親に謝罪する。あまり心配させたくはなかった。せっかく母は『壊れた私』からやっと解放され落ち着いている、私のせいでこれ以上ああなってほしくない。
「それはいいけど。大丈夫?」
「ほんとに?」と母は念押しに聞いてくるのを私は「大丈夫、寝ぼけてたみたい」とだけ告げ自室に戻っていた。背中の後ろでドアを閉めたことを確認すると、疲れがどっとあふれドアにもたれかかりへなへなと座り込んだ。
その後私を呼びに母はドアをノックし、降りて食事をしている最中も味がしなかった。適当に会話に相づちし何の味も感じれない食事を無理やり流し込んだ。
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