#5 兎肉とボス猫

 さー、今日も今日とて1日以上生存していきましょう。

 目標が低すぎるとお思いか? ご案じめさるな、新たに拠点を見つけるというそもそもの目標は見失ってないので。

 また邪悪な村人もどきと遭遇するかもとおっかなびっくりでくくり罠を調べに行くと、胴体を罠にひっかけた兎がぐったりしていた。額から一角獣のように角が生えている。

 ここが人間の住む村か町かでなら、この兎は憐れみを誘うことだろう。けれど、この兎にそんな憐憫は通じまい。たぶん、兎が俺の視線から感じているのは恐怖とプレッシャーだけだ。

 兎は俺を見るともがきだしたが、俺は構わずその体を押さえつけて首にぐっと力を籠めた。


 ぺきっと軽い音がして、兎の体から力が抜ける。重みの増した体を持ち上げ、瞳を覗き込むと、散大していた。

 膝に乗せて感謝と冥福を祈る。

「いただきます」

 俺は柔らかい腹に牙を突き立て、一息に肉を食いちぎった。

 噛めば噛むほど鉄と糞尿が混じり合ったえずくような臭いが口いっぱいに広がっていく。だがここでは貴重な塩分だ。殺した兎のためにも、血の一滴たりとも無駄にはできない。


 ベリーを毟り取り、無心でほおばる。ベリーの香りが口の中の臭いを洗い流してくれる。うん、ホッとする。

 これは確証のない話・・・兎の栄養分はとても低いと聞く。兎を主食にしていた猟師が栄養失調で衰弱死したという話を聞くくらいだ。でもここは異世界なのでこの兎も異世界ナイズドされてるかもしれない。

 とにかく少しでもいいから歩くためのエネルギーが欲しい。また天候が変わるか敵と遭遇する前に、新たに安全な場所を見つけないといけない。


 兎を齧りながら、縄罠をほどいた。これはじいちゃんから教わったこと───自然を敬うこと。


 食べ物を手に入れたら感謝を捧げる。罠を作ったら成功しようと失敗しようと必ず壊して元通りにすること。誰だって自分に敬意を示してくれる相手を邪険にはできない。逆になんの誠意も向けないような人間には、自然は牙を剥く。

 クマに頭ブッ裂かれて死んだじいちゃん、見てる? じいちゃんに教えられたこと、ちゃんとみんな覚えてるよ。


 ぴと。

 と、

 足になにかが触れた。

 ───心臓が爆発するように跳ね回る。浮いた腰を押さえつけて震える視線を落とすと、

「・・・・猫じゃんよ」

 俺は汗の浮いた肉球を体にこすりつけながらあきれた。

 ブリティッシュショートヘアかな? って毛並みの、貫禄ある顔と体の猫だった。ただ普通の猫と違うのは、尻尾が二又に分かれていることと額の片側に2本の角が生えていることだ。

 噛みついて来るんじゃないかと思うと少しコワかったが、しばらく観察していると、その目当てがなんなのかなんとなくわかった。


「お前、腹減ってんのか」

 猫はじっと兎を見上げている。青色の瞳は何を考えているのかいまいちわからない。もしかして1人ならぬ1匹ぼっちなのか? 俺と同じように。

 俺は悩んだ末、兎の肉をひとかけ食いちぎると葉っぱを皿代わりにして、猫が食いやすいように置いた。


「・・・ほらよ」

 ああ、バカげているのはわかってる。でもこういうのは俺の勝手だ。気まぐれの親切くらい好きにさせてくれよ。

 猫はじっとてかる肉を見つめていたが、次の瞬間肉に食らいつくと、むしゃむしゃと咀嚼し始めた。

 兎肉を食いつくした俺は、歯の隙間に挟まった毛をほじりだしながらまじまじと小蛇を見つめた。

 黒に近い紺色の体表に、白いひし模様が胴を帯のように並んでいる。図鑑にも載ってた覚えがない柄だ。毒を持った動物は「ワシは毒持っとるんやぞワレ、危険やぞ、食ったら死ぬるぞ」と敵を脅すために派手な柄をしているものだ。この猫もそうなのだろうか。


 肉を食い終わった猫はしばらくの間物欲しげな目つきで俺を見上げていたが、諦めたのかプイとそっぽを向いて茂みに飛び込んだ。

「おいおい、ごちそうさまくらい言えよ」

 なんて、畜生相手に言ってもしょうがないことを口にする。

 まあ俺の立場は畜生以下なんだがな、ガハハ。

 ハァ。

 俺は尻を叩いて草切れを落とすと、当座の寝床を探しそうと考え───て、向けた頭が空を見る。







「・・・・木の上にすりゃいいじゃん・・・・」

 それに気づいたとき、頭の中が真っ白になった。頭上にあるじゃん、木の枝っていう安全地帯が! 例え寝づらいとか昇り降りが面倒とか、そういうリスクを抜きにしても高所という有利を取らない手はない! そんなことにも気づかないなんて、俺は大バカ者だ!

「こうしちゃおれん」

 俺は木に巻き付いていたツタを噛み切り、それを手足に巻いて足掛かり代わりにした。大義のためなら青臭さも脳天をぶち抜く苦さなんてのも気にもならないもんだ。

 そして、俺は木に飛びつき───


◇ ◇ ◇


「いってええ!! がア、畜生、糞いてえ!!」

 ───太い枝の上で俺は悶絶している。

 指先に赤と緑のどぎつい柄の蛇が噛みついていて、肉を食いちぎろうとするように俺の身もだえに合わせて細い体をぐりんぐりんとねじっているからだ。

「テメェ、クソがこの野郎、よくもやりやがったなッ!」

 頭に血が上るままに指から無理矢理蛇を剥がし、力任せにその胴体を引っ張った。

 ぶちぶちと蛇の体がちぎれていく。

 胴体が半ばちぎれながらも恐ろしい牙を向けてくる蛇を、俺は遥か真下にある地面へ叩きつけた。だが、そのころにはもう手遅れだった。

「・・・うあっ・・・くそ、まずいぞ・・・」

 頭がくらくらして、全身が重く痺れてくる。早く毒を吸い出さないと。いやもう回ってるんだから遅いんじゃないか? あの蛇、どんだけ毒が強いんだよ。 いやいやそんなこと考えてる場合じゃなくて・・・

 ごぼごぼと涎の泡が口からこぼれる。俺は地面を見下ろし──ああ、死ぬほど痛いんだろうなあ──そう思いながら、枝から体を投げ出した。


 本日の俺、樹上からの転落死。

 ずんぐりむっくりの体でえっちらおっちら登った結果がこれですかそうですか。

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