誤魔化しですわ

@20070630

誤魔化しですわ

 肌寒い日の夜。ここは自殺の名所。見渡す限り深い霧に包まれた樹林である。歩いていたAさんは、そんな物騒な場所にもかかわらず別の人影を見つけた。頬のやせこけ、髭を切るのも放置してホコリだらけの服を着た男が一人。きっと彼も自殺を目的に着ているのだろうと判断したAさんは、男性に声をかけた。

「もしもし、あなたも、ここへいらっしゃって……ご自身で命を絶たれるのですか?心中苦しいでしょうけれど、少しお話をしません?最後に誰かとお話をしたくって……」

 Aさんの姿を見て、男は答えた。

「ああ。自分は、ここに来る大多数の人の目的とは、少し違うのです。人を殺しに来たのです」

「それはまた、どうしてですか」

「……驚かないのですね。貴女は自殺するつもりだったのでしょう?ならば自分に任せてもらえませんでしょうか」

 そう言って男は、麻縄を手に取っていた。今まで虚勢を張って平静を装っていたAさんは、耐えきれずに小さな悲鳴を上げた。

「い、嫌です。他のだれかに殺されてしまうのは嫌。私にはあなたの気持ちが理解できないわ。ここに来たなら、あなたは自殺する予定ではないのですか?」

「そうですね。いつか死ぬときは自殺が良いと思ってます。そういう意味では自殺の予定はあります。ですが、同時に誰かを殺してみたい」

「やはり、あなたの気持ちは理解できません。ですが逆に、私はあなたのことが知りたくなりました。元々は今日で終える命です。事情によっては、出来るだけ楽に殺して下されば、お願いしましょう」

「左様ですか。とても重大な理由なのです。さあ早く」

「その理由が知りたいのですよ。少しお話をしましょう。ささ、あちらの木の根辺りで」

 Aさんは手で指した方の木の根に座り、男には隣に座るように手で指示した。男は、よっぽど早くAさんを殺してみたいのか、腰を下ろすとすぐに話し始めた。

「今まで自分は、短いながらも、これまでの人生でそれなりに多くの学問を修めました。ノーベル賞ももう飽きました。この世の全てを体験してみたいのです。あと残っている数少ないことの一つが、――殺してみたい。できれば女性が良いんです。ですが、殺人というものは世間が許してくれません。それに何よりも、罪のない人を殺してしまったら私が罪悪感に耐えられない。でも、それ以上に知的好奇心には逆らえないのです。どうか自分にあなたの自殺の『手助け』、させていただけませんでしょうか」

「まあ、私だって何の罪もない女ですわ。そして、罪悪感がない殺人もできるというのに、あなたは自殺願望と他殺願望を勘違いしていますよ。世の中を探せば私のように誰かに愛されたかった人なんて山のようにいるでしょう」

「本当ですか。罪悪感のない殺人が、出来るというのですか」

 男は目の色を変えてAさんの肩を掴んで無理やり目を合わせてきた。

「ええ、出来ますとも。罪悪感がない殺人とは、悪人を殺せばいいのです」

「ですが、そこまでの悪人なんて一体、どこにいるというのです」

「いますとも、一番の悪党を殺してしまえば、罪悪感なんてみじんもわかないでしょうね。そういうわけで今回は、Fホールディングスの副社長が良いですわ。彼は社長の立場欲しさに病院に金を積み、入院中の現社長を死なせようとしておりますの。気に入らない人はもう二度と会わないようにと言って金で家族ごと脅すのです。まだまだありますが、今日一日では彼の悪行をとても語り切れそうにありません」

「そんなことをしようとしているのですか……。けれど、『彼』ですか……。男は、あまり気乗りしない」

 その言葉だけで、Aさんの心臓がはねた。副社長を殺すのが気に食わないのなら、目の前にいて女である、自分を殺そうとしてしまうかもしれない。

「何も悪人がそいつだけという訳ではありません。その婚約者であるN氏も同様です。副社長の悪行を知ってて見逃しているだけでも相当なものなのですけれど、元々いた婚約者から副社長を寝取ったそうなのですわ」

「それはいい。その妻も一緒に殺してしまおう。いや、むしろそっちの方が良い。ついでに余裕があれば副社長も殺してみよう。思えば罪悪感が無ければ男でもそう気にしない。感謝するよ。そしてすまなかった。貴女は貴女のやりたいように死んでくれ。貴女はとても義侠心に恵まれている」

「そうですか。……いえ、こちらもあなたのやる気を浴びせられて、まだ生きる希望が見えてきたというものですわ。そちらもどうか、やりたい事をしっかりなさって下さい」

「ありがとう。名前も知らぬ人」

 男はその場を後にした。あそこまで頭のおかしく、賢い人だ、きっと警察に捕まると分かっていても副社長夫婦を殺して逃げ切る計画を考えてしまうだろう。Aさんは霧で男が見えなくなった後もその場で男の背中を見送っていた。


「あなたが悪いのですよ、私ではなくあの女を選んだから」

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