第7話 月島澪
明莉たちが正門前から去ったのち、僕と先生もその場を後にした。教室に戻ると、明莉が落ち着いた面持ちで腕を組み、黙って黒板に背をあずけていた。その明莉に、先生が話しかける。
「留守にしてすまなかった」
「いえ。問題ありません」
言ったのち、明莉が僕にちらと目を走らせてきた。
「でも、なぜ優也が一緒なんですか」
「俺の一存だ。高月に言っておきたい事、見せておきたい事があってな」
「そうですか」
納得しているのかいないのか。とにかく明莉は沈黙するが、その場面で――。今まで黙って席に座っていた月島さんが、先ほど先生に話しかけた月島さんが、もう我慢ができないという様子で立ち上がり感情に塗れた声を上げた。
「明莉さんっ! 先生もっ! な、なんで、こんなこと……するんですかっ! おかしいですっ! 正気に戻ってくださいっ!」
会話していた明莉と先生が、同時にそちらを向く。震えている教室も、みな怯えながら月島さんに注目した。
「あ、明莉さん……は、こんなことする人じゃないわ! いつもの、優しい本当の明莉さんに戻って!」
言葉が途切れ途切れで震えている。怖さに怯えながら叫んだのが、誰の目にもわかる抑揚だった。
「…………」
明莉が、黒板に背をあずけたまま、動くこともなく目線だけを月島さんに注ぐ。のち――。
「貴女が邪魔をするのはこれで二度目ね」
出した声は据わっていて、音程が冷えていた。
「それは……。私は、本当の明莉さんは……」
「本当の私?」
明莉が月島さんに問いかけた。
「本当の私って、どんなもの?」
その氷のように冷たい質問に、月島さんは困惑しながらも戸惑いながらも、なんとか恐怖と戦いながらという様子で返答する。
「そ、それは……。明るくて朗らかで誰にでも優しくて……」
「それが……本当の私……」
明莉が、可笑しいという調子で笑ってから、強い視線で月島さんを射抜く。
「なぜそんなことがわかるの? 想像したことある? 私が何を考えどんな思いで生きてきたのか」
「そ、それは……」
耐えられずに声を上げた月島さん。わかってもらえるかもと望みをつないでいたのだろうけど、思っていた以上に厳しい反応が返ってきたようで、右往左往している。
「月島さんは幸せに満ちていて、セカイに祝福されているのね……」
「え……」
月島さんはわからないという顔をした。意味不明のセリフに対する困惑でたじろいでいる月島さんを前に、明莉の表情がさらに冷たくなってゆく。
「私のことがわかるのね、月島さんには。誰にでも優しくていつも明るくて朗らかで……。私がどんな想いでそう『振舞っていた』のか、想像した事、ある?」
明莉の表情は冷え切っていた。その明莉が、壇を下りてゆっくりと月島さんに向かって歩き出す。
「すごいのね、月島さんは。何でも知っていて、本当の私がなんなのかもお見通し……。なら、そんな優しくて人想いの私が次に何をするのかわかる?」
明莉は、立ったまま震えている月島さんにまで達する。あ……あ……と声すら出せない月島さんの頬を片手でそっと撫でたのち、いきなりその唇を奪った。
驚愕と恐怖に打ち震える教室中の視線を集めながら、明莉は月島さんの口内を蹂躙する。じっくりとしたねっとりとしたディープキスを一分ほど続けてから、口を離す。月島さんは、そのまま腰を抜かしたように席に崩れ落ち、明莉はあくまで涼しい顔のままだ。
「どうかしら? 本当の私に犯された気分は? 私のことがわかった?」
「…………」
椅子上から明莉を見上げる月島さん。その顔は、何か未知の怪異を前にしているかのように恐怖の色に彩られていた。
「別に貴女のことが好きだというわけでもないし、性的な衝動に駆られているわけでもない。ただ、貴女がどう反応するのか見たかっただけ」
明莉は、ふふっと嗜虐的に笑った。のち、「さて……」と短くつぶやいてから、明莉はナイフをスカートのポケットから取り出した。刃渡り十センチ程の鋭利な形状をしたアーミーナイフだ。そして、それを月島さんの頬にピタリと当てる。
「や……やめ……」
「怖がることはないでしょ。本当の私は明るくて朗らかで優しい他人想いの生徒なんだから」
「ご、ごめん、なさい……すいません、申し訳ありません……でした……」
月島さんがナイフで頬を擦られながら、涙ながらの懇願をする。
「耳を落として……政府に送り付けてもいいのだけれど」
「おねがい、します。許して……ください。もう、余計なこと言って……逆らいませんから……」
月島さんの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、その表情が僕の胸に染みた。昨日までは、真面目一徹な風紀委員の月島さんだった。その目から涙が零れ落ちている。見た事もない弱々しい言葉と姿。
月島さんとはとても親しいというわけではない。でも、クラス委員の月島さんとはそれなりによく会話する仲で、僕と明莉を気にかけてくれていた月島さんのことは好意的に思っていた。だから、今の姿に心がビクンと跳ねる。
対照的に、明莉は冷たい表情をしている。こんなに冷えた明莉の顔は今まで見た事がなかった。
明莉は『振舞っていた』と言っていた。演技だったと。でも僕は、昨日までの明莉が全部全て偽物だとは思えなくて、明莉の殺人を見た今でも幼い頃から昨日までの明莉が最初から最後まで全部が偽りだとは思えなくて……。
そんなことを考えていると、ふと、明莉と目が合った。問いかける僕の目と、なに? 不満があるの? と冷えた視線を注いでくる明莉。僕は、勇気を振り絞って言葉を出した。
「明莉。やめて……ほしい……」
教室の空気が変わった。月島さんの顔に驚きが浮かぶ。
「…………」
僕を見つめている明莉の目が細くなって、僕はその視線に震えるけど、でも僕は喉を震わしながら続ける。
「今まで君に何があったのか。君がどう思って生きてきたのか。僕ごときにはわからないけど……。でも月島さんは昨日までみんな一緒の時間を過ごしてきた……仲間じゃないか……」
明莉が沈黙する。何かを思惑するような、自分の心の中に問いかけている様な面持ち。のち、明莉は返してきた。
「仲間……ね……」
明莉の音程は、半分その言葉を味わっているようで、半分嘲笑しているようで……。
「なら優也。貴方が月島澪の代わりになる?」
「それ……は……」
僕と明莉は、そこで再び視線を絡み合わせる。見つめ合って、目と目で会話をする。月島さんは目をつむって両手を握って祈りながら震えている。今までは知的で強気な委員長だった月島さん。その対比が、僕の背を推す。
「わかった。なる。僕が……代わりに、なる」
明莉が、目を見開いた。僕の返答が、想像していなかった不意打ち的なものだったのかもしれない。その真意を見抜こうという、僕に向けている真っ直ぐな視線をさらに強くする。
この緊張した場面で、一人、クラスに入ってきた。金髪ポニーテイルの女の子で、頭の後ろでまとめた髪がうなじから背にまで垂れている。
その女子生徒には見覚えがあった。学園でも有名な一年生のギャルで、平均的な身長体重のわりに凹凸が目立つ体躯の娘さん。くりくり目玉のネコを思わせる愛嬌のある面立ちとも相まって、上級生に大人気だという話だけど、肩に担いだショットガンみたいなものが……この子もまともでないと示していた。
その子が教室の様子を見回し、さらに僕らに目を当てる。
「なに? 明莉? どしたの?」
「サーヤ?」
「一年は終わったのか?」
今まで明莉の行動を黙ってみていた先生が声を挟んだ。
「終わったし。スレイブを配置して見張らせているから。まあ、モブで逆らうヤツなんていないでしょ」
その、入ってきた金髪ポニーテイルの一年生、サーヤさんは、こめかみに指を当てて明るくニコッと敬礼する。
「一年一組の小宮サーヤ。よろしくっ!」
クラスに自己紹介する様に、その小宮サーヤさんはニカっと白い歯を見せる。
僕と明莉の間に張ってあった緊張の糸が切れた。
「ふう」
明莉が大きく吐息して、身体を弛緩させる。
「丁度良かったわ、サーヤ。ちょっとやり過ぎちゃったというか……私も頭に血が上って我を忘れてたから」
明莉は、再び深呼吸をしてから教室の扉に向かい、出てゆくのかと思いきや、振り返って僕に向かってごく普通の調子で呼びかけてきた。
「優也。来て」
明莉はそれだけ言うと、僕の反応も確かめずに扉から出てゆく。明莉に従わないこともできたんだけど、でもここまで来たら最後まで決着をつけたいという思いも強くて……。僕は、明莉を追って教室を出た。
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