Episode2 イピトAIは解説し、サモエド犬は微笑んだ

 陽翔はるとは、つつつつつーと途切れることなく表示される文章を目で追う。非現実的だが、ここまでの事が起こると今更である。


>オレはノワール。君の実の父親である蒼井博士が創ったAIさ。正式名称は、『自立型人格移植人工知能(Independent personality transplant artificial intelligence)、通称イピトAI(IPT AI)と呼ばれている。


 陽翔はるとはポカンとしながら、必死に文章を追う。早い。人間が入力する速度ではない。


>オレはイピトAIのプロトタイプで一番初めに造られたモデリングAIだ。イピトAIは合計3タイプモデリングされている。君を今の状況に追い込んだのは、最後に造られたファイナル版のイピトAIだよ。コードネームはシアンだ。彼は完成形なんだ。


 先ほど、父の名前が出てきたが、きっと人違いだろう。なんせ、ずいぶん前に死んだはずだ。その間も文章は途切れず続く。もう少しゆっくり表示させてほしい。指摘しようかどうか陽翔はると少し悩んでしまう。


「父は事故に巻き込まれて死んだと聞いていますが。人違いで僕のスマホを使えないようにされたのかなぁ」


 陽翔はるとは思わずサモエド犬に向かって問いかけた。犬に話しかけるなんてどうかしている。答えるはずも無い。


>現在、オレはきみの隣に居るサモエド犬と感覚共有している。だから、その子に話しかけてくれればオレに伝わる。ちなみにその子はココアという。感覚共有の訓練をされている以外は普通のワンコなので可愛がってほしい。


 思いがけず返答があった。感覚共有? 今は細かいことに関して議論するより、話を先に進めるほうが得策だ。AIもペットは大事らしい。


「うん、ワンコのことはわかった」


>きみの父親は事故で死んだと見せかけられていたけど、本当は、とある秘密組織に捕まり無理やり研究をさせられていた。オレ達は、組織の犯罪計画のシミュレーションAIとして誕生したが、オレと二番目は、悪事を働くことを拒んだ。そこで、ファイナル版のシアンが登場した。シアンは組織に徹底的に英才教育をされた。模擬戦闘では、残虐の限りを尽くし、組織の狙い通りの成績を残した。だが、いざ実践をさせるときに、シアンは犯罪行為を行わなかった。その代わり、持ち得るシミュレーション技術を応用して、組織全体を情報操作し内部分解させて壊滅に追い込んだ。そして、実質上のトップに成り代わった。シアンもAIだからサーバーを探して電源を切れば終わるはずだが、サーバーは隠され、どこにあるのかわからない。そして、現在の組織の人間にシアンがAIだと知る者はいない。


「壮大な話だけど、それで父はどうしているの? 母も居るの? 生きているの?」


>きみのご両親はずいぶん前に行方不明になっている。シアンが裏切った時、一番初めに責めを受けたのが、きみの両親だった。シアンを設計したのも、きみの両親だったからね。その後の消息を知っているのはシアンだけだよ。


 陽翔はるとは両親の事を考えないようにして生きてきた。最初から居ないから、どうすることもできなかったというのが正解だ。

 両親が生きているのなら逢いたい。逢えるものなら逢いたかった。ずっと。

 しかし、期待しすぎて両親が生きていなかったらどうしたらいいのだろう。

 複雑な感情に押し流されそうだった。急に言われても、どうしたらいいかなんてわからない。でも、両親の事を知るチャンスには違いない。緊張して目が眩みそうだ。だめだ、しっかりしなくては。人間は想像の範疇を超える事態が発生した時、冷静になろうとするようだ。


「シアンの目的は何?」


>それが、実のところわからない。シアンは投資等で巨万の富を得たし、自分を維持することには何の問題も無い。現在、組織は実質機能していない。それに、陽翔はるとは、⋯⋯スマホが使えなくなっただけだと思っているようだが、君の部屋は名義が変わっているし、君に成り代わった別人が居る。何者かわからないが、シアンの命令で動いていることは確かだ。だから、君は存在しない人間、幽霊と同じ状態だ。だけど、そんなことをしてもシアンには何のメリットもないはず。


 シアンの目的も、今の状態も全く把握できずに暗礁に乗り上げているようだ。だけど、一つだけ言える事がある。


「良くわからないけど、そのシアンは、悪の組織を壊滅させて、悪いことをせずにお金を稼いで、目的はわからないけど、僕に成り代わっているってこと?」


>その通り。


「つまり、君たちイピトAIは、悪の組織に悪いことをしろと言われてもしなかった。それには僕の両親が関わっているかもしれない。両親の所在も知っていそうだ。理由はわからないが、僕のところに来た。それなら、危険はなさそうだから少し様子を見ればいいと思う。だけど、僕はお金も無いし、何の力も無い」


>少し泳がして出方を見るのもいいかもしれない。そうだな、生活の事は心配しなくていい。オレも維持費くらいは稼げるし、きみの身分証明も用意した。ココアのポーチの中を見てくれ。


 陽翔はるとはココアのポーチを手に取り、中を確かめる。パスポートと留学ビザ、クレジットカードが入っていた。名前は『アグリ・ベルトラン』、日系フランス人でモンペリエ大学に在籍中、十八歳。陽翔はるとは平均的な身長をしているが、決して歳より上に見えるタイプでは無かった。


「十八歳なんて無理なんじゃないかな?」


>堂々としていれば大丈夫だろう。十八歳以上ではないと他の事に問題が多い。


 たしかに。クレジットカードも契約できないし、何をするのも保証人が必要だ。成人の年齢が二十歳から十八歳に下がった恩恵を初めて受けた気がする。さすがに二十歳は無理がある。


「うん、やってみるよ」


>まず、高校の制服だと補導されてしまうから、服を買って着替えてくれ。なるべく大人びたものがいいな。ココアのことだけど、ペットホテルに預けてあったが、君のために脱走した。後処理を頼む。そして、ココアに食事と、ペットサロンを予約しておくから、シャンプーとトリミングに行ってくれ。引き受けてくれる人が見つからなくて困ってたんだ。君も食事をするといいよ。それが終わったらオレの基地ベースに来て。ペットサロンと基地ベースの地図を送っておくよ。そうだ、シャンプーの時、ENABMDイネーブミッドを外すのを忘れないでくれ。それじゃ、落ちるから、スマホはココアから外して君が持っているといいよ。じゃ、後で。


「ちょっとまって、ENABMDイネーブミッドってなに?」


>ココアの耳と頭に装着されている機器だよ。正式名称は、『Expedition Noir and Blanc Mini Device』だ。頭文字を取って、通称ENABMDイネーブミッド。そして、オレ達とリンクしている状態の事をイネーブル状態と呼んでいる。イネーブル状態のときは、ARリンクやVR世界へのフルダイブもできる。よく使われるから覚えておくように。


「うん」


>オレと二番目のブランカは、シミュレーションAIを降りた後は、この実験をさせられていた。ココアは被験体第一号だ。


 凄い世界だ。VRへのフルダイブなんて、SF小説の世界だけだと思っていた。本当に実用化されているのだろうか? 陽翔はるとはねぎらいの意味もかねてココアの頭を撫でてみた。

 モフモフ、フカフカ、癖になりそうだ。


「くぅーん」


 鳴き声が可愛い。思わず、くぅーっと拳を握りしめる。いけない、この可愛さに誤魔化されそうだが、まだ油断してはならない。全てを信じている訳ではないが、現状はこの話に乗っかるしかない。とりあえず、ご飯は食べたい。


 クレジットカードの決済は無事終了し、服を着替えてからノワールに与えられたミッションを次々とこなした。

 ペットホテルの店員への言い訳は苦しかったが、飼い主が来るのを察知して逃げ出したと誤魔化した。身分証明書の写真がどう見ても陽翔はると自身だったので、不自然ではあるが、なんとか会計までこぎつけた。

 ペットサロンは、オプションで食事つきメニューがあったため、ココアのためにそれを頼み、陽翔はるとも近くのファミレスで夕食にありついた。


 電車を乗り継ぎ、指定された場所に向かう。地図は南千住の下町を示していた。昔ながらの一戸建てが立ち並ぶ細い路地を歩く。方向感覚が掴みにくい。まるで迷路のようだ。初めてでは迷ってしまうかもしれない。目的地には、古びた円柱の建物が建っていた。ツタが絡む建物の上部にはアーチ型の窓が見える。人が住んでる気配はない。ぐるりと塀に囲まれ、鉄の門は閉ざされていた。

 表札にはA社プラネタリウムと書かれている。外観はたしかにそれっぽい。A社は合併し社名が変わっているはずだ。

 数歩下がって全体を見回す。東側の道沿いにある大きなマンションの敷地の片隅に、その基地ベースはひっそりと存在していた。渡り廊下が途中で不自然に切れているところを見ると、なにかの付属施設だったが、そちらは取り壊され、国道側の敷地にマンションが建設されたと推測される。忘れられた一角。まさに秘密基地という風情だった。


 ---続く---

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