第3話 所在
エチカ・ミーニア少佐は困惑していた。
第三騎兵師団の営舎から転移して、分霊海に面するパミドール海上警備隊基地港。
聖ジェファールズ豪華客船は、近くのヤーモン港から出て、分霊海上にある遊楽島・モッペル経済国管轄のミチル島に向かう途中の海上にあるという。
船に直接転移することは不可能のため、ここからは海上警備隊の船で移動するしかない。
が、問題はそこにない。
「どんなに優秀な兵でも、クソな上官の下では無能も良いところ。そんなの基本でしょ」
「お言葉ですが、エチカ少佐はその例にあてはまりません」
「そう?あのミラリロも、アイリスも無様に負けたとなれば、こいつのせい以外に論理的な理由がある?」
「単純に相手が強かったのでは?」
「へぇ、今、あなたはこいつも含めて、まぁこいつはいいけど、帝国の優秀な二人の兵士を馬鹿にしたことになるけど?」
「時には冷静な戦力分析も必要です。そして、相手より弱かったことが、それを指摘することが、そのまま負けた兵の誇りを傷つける意味にはなりません」
ユト・クーニア上級大尉と、クラン・イミノル伍長が互いに背中を向けあって言い合っている。
警備隊基地のカフェテリア。
船の準備を待つ間、二人掛けのテーブル。
エチカ、エンテラールとイミノル伍長、クーニア上級大尉とクヘルス二等兵がそれぞれ組になって座る。
イミノル伍長が、厳しい眼差しで向かいのエチカを睨むようにしながら、己の背の方に向かって、
「エチカ少佐は優秀です。私の命を救っていただきましたから」
「へぇ、そのこと話していいんだ?」
クーニア上級大尉が、嘲笑を交えてそう言う。エチカには、イミノル伍長の顔の奥、彼女の背中越しに、その唇がにやりと開くのが見えるようだった。
それを聞いたイミノル伍長の緑の瞳が撓み、大きく怪しい光を帯びる。
エチカは二人の間を取り持とうと口を開きかけるが、
「どういう意味ですか、それ」
「ノラン・イミノル。私のかわいい部下を殺したのは、そちらの席のお二人だったと記憶してるけど?」
初めから、クーニア上級大尉はそこを終着点に据えて会話を運んでいたのだろう。かつての部下であるノラン・イミノル、それから同郷の親友、ミラリロ・バッケニア。二人とも、エチカの失態で彼女が失った大切な人たちだ。
彼女は、イミノル伍長を餌に、エチカを責めているのだ。
イミノル伍長は自分の胸元を抑え、きょろきょろと落ち着きのない様子で、
「、、、、、、言っていいことと、悪いことがありますよ。クーニア上級大尉」
「そう?あなたもさっき言ってたでしょ。冷静な分析がどうとか。客観的に見れば、あれはあなたとエチカ、二人の実力不足と怠慢が招いたこと」
イミノル伍長はエチカにしか聞こえないボリュームで、「、、、、、、ふざけるなよ」と、貧乏ゆすりをしがら呟く。
エチカには、どうにもイミノル伍長の様子がおかしいように見えて口が迷っていた。
普段の彼女なら、自分が悪い、責任は私にある、と相手の意見を過剰なまでに受入れ、こう口論になることがないタイプだったはずだ。
それはあの日の事件を契機として、彼女に身についた考え方の癖だ。
だが、今はかつてからの上司に売り言葉に買い言葉で食ってかかっている。
『傷は、一時的に塞がります、、、、、、。ですが、、、感情は増幅されています、、、、、、抑えて、、、、、、一番大事な気持ちを、、、忘れずに、、、』
憂虞の鳴器の隊長の言葉。
それはこのことを言っていたのだろうか。
「無能な兵が有能な兵を殺す。立場があればなおさら、その被害は大きくなる。なんなら、ここであなたもエチカも、私が殺した方が帝国のためかもね」
それは明らかに冗談と挑発の声音だった。
だが、イミノル伍長の瞳孔は異常を示して開き、手はわなわなと震え、息苦しそうに呼吸が荒くなる。そして、ウーシアの波長が瞬間、漏れる。
「クラン!!!!」
エチカの咄嗟の叫びと同時に、何かが落ちる音が、会話以外に音のないフェテリアの静寂を割る。
「ああ、しまったな」
クヘルス二等兵が、禿げあがった頭を掻きながら、頼りない手の動きで軍服の胸のあたりを払う。
「大丈夫ですか、クヘルス二等兵」
と、クーニア上級大尉が席を立って落ちた水筒を拾う。
「おお、ありがとうな。最近はこれが言うこと聞かなくてな」
クヘルス二等兵は自分の右手を左手で叩いて示す。
クーニアは少し困った顔をして、
「お酒、やめた方が。それに任務前です」
「ごもっともだがなぁ、、、ほれ、これから行くのは、あの
「そんなことはありません。私がいますから」
クーニア上級大尉は、少しだけ姿勢を正して宣言した。
クヘルス二等兵は、椅子に座ったまま、酒で濡れた手を不格好に空中に浮かべたまま、その顔を下から覗き込むようにして、
「それは心強い」
「ええ、ですから___」
「だがな、兵士の命はいったい、どこにあるんだろうな」
「え?」
「自分のここか?それとも上官の頭の中か?それとも皇帝の掌か?あるいはこの大地か?」
クヘルス二等兵は、自分の濡れた軍服、その心臓の位置を叩きながら言った。
その場にいた皆の表情が一瞬止まる。
戦力になるかも疑わしい、老兵の思いの外はっきりした口調に困惑する。
「儂にも分からんから、怯えててもよかろう。それに、この世で聞く最後の若い女たちの会話が、香辛料と油たっぷりの胃に重たいステーキみたいじゃかなわん。どうせなら砂糖をまぶしたイチゴのようなものにしてくれんか?」
老兵はくくくと笑いながら、
「まぁ、最後の大便にでも行ってくるとしよう。死体は少しでも軽く、綺麗な方が良いからな」
千鳥足でだらだらと去るその背中は、ここにいる誰よりも小さいものだった。
英傑の黄昏 屋代湊 @karakkaze
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