第5話 予感

 ある兵卒は、畏怖と憐憫の情の渦巻く心で敵に相対していた。敵というのも憚かられる。こちらの兵力は約五百、その内二十名ほどがウーシア兵器を佩用している。ウーシアを用いた兵器は、その製造にコストも時間もかかり、かつ国家間の軍縮条約でその保有量が制限されており、彼のような士官でもない兵卒には無論与えられていない。また、当然のことながらウーシア兵器を扱えるのはその才に恵まれたものだけである。この手に持つ、訓練をすれば誰でも使える銃とは訳が違う。


 


 監獄の駐在軍基地を囲む断崖の壁、その小窓から囚人たちを見下ろしながら、徒手空拳の囚人の四肢を、原始的な物理機構の銃でもって撃ち抜く。その一射ごとに、彼は良心の呵責を覚えるようだった。


 囚人らが瓦礫撤去の作業中であるにも関わらず、重機に乗ったまま居住区の外壁に戻って来たときは、偶に起こるストライキであろうと鷹を括っていた。が、彼らはそのまま、腐朽した建物を破壊するための巨大な鉄球を外壁に向けて浴びせはじめた。囚人らの数は三千。どうやらその半数が今回の暴動に参加しているようだったが、徐々に熱は伝播しているようにも見える。




 兵卒の名はハイト・コレード。

 まだレガロ帝国陸軍に籍を置いて二年にも満たない新兵で、階級は一等兵である。灰を被ったようなグレーの陸上戦闘服とヘルメットを着用し、銃を小脇にひしと構える。


 彼の実家は帝国の最も東、パミドール州に属する鄙びた農村、アンス村であった。第一次産業を主要産業とし、広大な牧草地帯の広がる州で、高い山脈で隣国と隔たれていることから、よく言えば牧歌的、あるいは退屈といえる故郷だった。行政的にはレガロ帝国に属する州となり、地方政府・議会も設置されているが、すでに形骸化され、実質は帝国から送り込まれる高等弁務官が全権を握っている。


 


 ハイドが家業の牧畜を継がず、きゅうを負って軍に入隊したのは、武勲を上げて故郷に学校を設置するためである。お世辞にも裕福とはいえない家庭の多いアンス村では、帝都はもとより、どの教育機関にも子供を入れる余裕はない。例外は、ウーシアへの適応が生後の悉皆検査、あるいは追加検査にて後天的に認められた者だけである。


 軍では必要最低限の教養を叩きこまれ、もし下士官以上に昇進することが叶えば、大学にも出向という形で入学できるかもしれない。そうなれば、片手で畜産農家を営み、余った時間で無償の学校を開設できる。それが細い糸で繋がった彼の人生の夢であった。




 そんなハイトは、目に迫る光景に打ちひしがれずにはいられなかった。眼下で理性を失ったかのように雄たけびを上げている青い囚人服の者たちは、彼が未来に手をさし伸ばそうとしていた類の人々だ。家庭や金銭に恵まれず、その結果、生きる選択肢が端から狭められている貧者。そうではないものもいるだろう。が、貧困と犯罪に強い相関があることなど自明であって、目を逸らすことはできない。




 ハイトが軍に入れたのも、父がなけなしの財をはたいて買い揃えた大陸文学全集や、数学、工学、法学の専門書があったからだ。それは彼にとって重要な資本となって、倍率の高い高等軍学校の門をくぐる助けとなった。




 父はハイトによく言ったものだった。




 「知識はそのままでは役立たない。かといって経験は運に任せるより他にない。だからこそ知恵は一塊の金より価値がある。それは生そのものだ。その身を巡る血潮のように、知識と経験の循環を止めるなよ、ハイト。生きることとは、考えることだ」




 その教えは、父の実行できなかったことだ。父は知識欲はあるが、行動力に乏しい。いつも窓辺で椅子に揺られながら、草を噛む牛のように、文字を歯ですりつぶして生きているような人だ。




 軍基地を囲む断崖の壁、その小窓から囚人たちを見下ろし、ハイトの放つ銃弾が、また一人の脚に穴を空ける。ハイトの心に絶望が、それは無情と呼称するべき絶望が、肺胞を潰す様にして痛む。




 「やめてくれ……もう、やめてくれよ」




 その願いが、遥か下の囚人たちに届くはずもない。震える指で放った善者の凶弾が、鉄球を操作する囚人を死へと追い立てた。その体が崩れる際に操作を誤ったのか、鉄球があらぬ方向に振れ、重機ごと横倒しになる。人の潰れる音が、ハイトには聞こえるようだった。




 「よくやった。ハイト一等兵。上等兵への昇進を具申してやろう」


 


 息の粗い上官が、冗談とも取れる口調で通信してくる。ハイトは「ありがとうございます」と、それだけを何とか絞り出して、嗚咽の止まらなくなった体を腹筋で抑え込める。




 暴動が起こってからまだ四半刻。それなのにもう一昼夜経ったかのように体が重い。時は飛ぶ、なる格言は逆もまた然りということだろう。これも父の言う知恵かと、皮肉に笑みを浮かべることも出来ない。




 ハイトのピアスが情報を伝える。




 「現在、エチカ・ミーニア少尉を筆頭執行官とした小隊が対象の背後から接近中。到着し次第、ウーシア兵器の使用を許可。ただし死者は最小限に」




 隊全体に同時に伝わった情報は、兵士たちを安堵させた。まず、ウーシア兵器の使用が許可されたこと。鉄馬・鉄槍・鉄剣。これを一度でも威嚇で用いれば、囚人たちも矛を収めるかもしれない。基本、対国家間でしか使用されない武器だ。これを持ち出されては、工事用の重機などあってないに等しい。




 ハイトも胸を撫で下ろし、隣で同じく銃を構えていた兵卒と目を合わせる。




 「これでもう……」と、その若い兵が口を動かしたとき、彼の腹部を細く長い槍が貫通していた。




 「な、んだ……?」




 兵士は驚愕に見開かれた目で自分の体を見下ろす。そしてゆっくりと再び持ち上げられた顔は、怯えと哀しみがぜになって、駆け寄ることも出来ないハイトをただただ見詰めていた。




 背中から突き出た槍の先端は、美しい刺繍のような繊細な造形で、滴る血と青い光が合わさって濃い紫に輝く。




 「これは、、、鉄槍、だって?そんな、そんなはずは……」


 「い、いやだ……死にたく、ない……」




 槍が、さきほどまでの光景は夢だったかのようにふっと消える。

 と同時に支えを失ったかのような兵士がうつ伏せに倒れ、狙撃用の小窓に上体をぶら下げた。




 ハイトは身を隠すこともせずに、佇立したまま混乱していた。囚人たちがウーシア兵器を持っているはずがない。その前提が今まさに崩れさった。二十人ほどしかいない軍の佩用者から奪ったのか、論理的にはそう考えるしかないと知りつつも、眼前の惨劇を信じることは出来なかった。


 ただ、信じがたい現実はどこにも去っていなかった。それどころかハイトの周りを雀躍じゃくやくとして駆け回るようだった。

 一瞬の静寂は、祈る間も兵士に与えなかった。突如としてあちこちから血しぶきがあがり、慟哭と呻き声が累乗する。一斉に花がつぼみから咲くように、鮮烈な赤い景色が広がる。ハイトの足元にもいつの間にか血だまりができていた。




 軍縮?コストがかかる?

 そうじゃない。

 そもそもウーシア兵器は量を必要としていないんだ。

 その事実がハイトの脚を折り、血だまりに膝を浸した。

 




 ハイトはゆっくりと首を回す。無味乾燥で崩壊した街並みと、夏の濃い晴天がぴったりと縫い合わさっている。その境目に浮かぶ鉄馬。若い男が騎乗している。男といっても青年のような体つき。




 己の死を覚悟するのに、時間はさほど擁しなかった。ただ、ハイトは言い知れぬ恐怖の中で、元来持っていた一握の聡明さだけ零さず残していた。




 「告ぐっ!敵はウーシア兵器……ウーシア、ウーシアです!至急、至急、警戒をっ!身を隠して!」




 ウーシア兵器の最も効率的で、最悪の利用方法は奇襲である。鉄槍も鉄剣も、基本的な特長は転送装置と何も変わらない。必要な場所に、瞬間的に移動する。ただそれだけだ。しかしその特性ゆえ奇襲に用いられると対処のしようがない。気付いたときには体を槍や剣が貫通している。ハイトはその知識を即座に行動に変えて報告したのだった。




 「知恵、か」




 父の言葉を今際いまわに思い出す。なんて色の無い人生なんだと、嘆くことで恐怖を和らげる。




 手に持つ頼りない銃を空に浮かぶ少年に向ける。その行為に意味はない。鉄馬に流れるウーシアは、照射された銃弾すら転移させてしまって、騎乗する人物に当たるはずもない。




 ただ、尊厳のために。もうすぐ潰える夢に最後まで己の忠誠を示すために。ハイトは静かに瞼を閉じた。

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