第4話 鉄馬

 ユミトルド地下牢獄。

 地下とは便宜上、あるいは過去の呼称の名残りであり、当の牢獄自体は地上にある。先代の皇帝の時代、度重なる失言によりその威光が一時弱まったときだった。罪人といえど人間を地下で生活させることへの反対を唱える人権派の意見を一部受け入れ、地上へと移設された。が、名称だけは保守体制派の目もあり、のらりくらりと変えずに現在まで至る。




 強烈な日差しに中味はなく、ただひたすら目に眩しい。あるはずの熱がないのは、ひとえに疾走する鉄馬の生む鋭い風のためであった。自然界の馬を模したそれは、鈍色にびいろに日差しを反射させながら、四つの脚で滑らかに空を掻いている。聞き慣れた蹄鉄ていてつの音はなく、代わりに氷塊を破砕はさいしたような、清廉とした駆動音が僅かにするのみ。




 今は地上から小柄な女性一人分ほどの高さを、三匹の鉄馬が並んで駆けている。そのかたちは馬そのものだが、しかし生物ゆえの偶然がもたらす多様さはそこに感じられず、頭から尾まで無骨で無機質な素材で構成され、全てが機能的に連結し、無駄がない。



 機能的か、とエチカは冷たい手綱を握りながら思う。移動のための兵器、それならば必ずしも馬に似せる必然はない。ただ、威厳や品格を周囲に、朝敵ちょうてきに顕示せんとする、そのことまでを考慮するなら、それは正しく機能的であった。




 鉄馬には血管に似た筋が体に浮いており、蒼く脈動している。その光の跡が轍となって、鉄馬の駆けた後に幽かに残余する。




 地下牢獄は鬱蒼とした草木が廃墟に絡みつく街の最奥にある。荒廃した街並みは、かつて天を穿つように聳えた建物が横倒しになり、その下敷きとなった家屋も潰えた、いわば瓦礫の砂漠である。




 囚人たちに与えられた罰は、日夜を問わぬ街の修繕。前時代的かつ巨大な重機を操縦し、砂漠の砂を一粒ずつ拾い集めるように、瓦礫を撤去し街を更地にする。その罰は未来永劫の意を帯びて、囚人たちの精神を今なお蝕んでいた。




 エチカは、サバランティオ・レイトルドール曹長、ミラリロ・バッケニア上等兵の少し後ろの位置を占めて、狭い街路を、張り出す木を避け、倒壊した建築物を飛び越え、先を急ぐ。空を見上げれば、雲を引っ掛けるように首を伸ばした、瓦礫を吊り上げる重機が何本も街並みから生え出て、そこが異形の怪物の住処かと見紛う。




 此度の任務は隠密性よりも迅速さが要求されている。が、可能な限り潜行するため、鉄馬の高度をこれ以上あげることは出来ない。


 騎乗しているといえど、鉄馬は本物の馬のように上下左右に揺さぶられることはなく、両手を手綱からから放してもそう問題はない。が、そうかといって誰が騎乗しようともその駆動の俊敏性に差異がないという話ではない。




 鉄馬を動かす筋肉――ウーシア。



 レガロ帝国の繁栄を異次元に促進し、一時他国とは隔絶した文化文明をその手にもたらした技術。『夜明けの青』と呼ばれる革新の力。後塵を拝した他国も、帝国に遅れること三十余年、現在から遡ること五十年前に、ようやくその遠く先を行く帝国の背を捉えた。


 そこから技術開発競争は様相を変容させる。比肩する競合国がなく、専売特許の技術ゆえ、皮肉にも他国の市場も育たない、実りの少なくなったウーシア開発を停滞させていたレガロ帝国が、再度意欲を燃やしてその火柱を高くしはじめた。予算は国民感情も助けて青天井となり、何に付けても科学と言えば、万事が正当性を確保するような時代となった。




 が、それから半世紀経った現在においても、ウーシアの研究は応用的な部分しか蓄積されず、研究者たちは重箱の隅をつつく様な、取るに足らぬ実用的な貢献しか成しえなくなった。基礎研究はまだ黎明も黎明、原始の時代以前というべき状況である。分かっていることは、物体の移動に応用できるということ。つまり転送装置や鉄馬、情報伝達機器、これらがウーシアの落とした果実である。ゆえに鉄馬の移動は単純な物体のスライドではない。連綿とした転送の繰り返しによる高速空間転移である。




 以上のことから、ウーシアの扱いに個人差がある理由も定かではない。運動神経の良い者がいるように、ウーシアがあらゆる物質に与える影響と、その誤差を的確に把握し、制御できる能力。第六感。その能力があらゆる分野、就中なかんづく、軍隊で重要視されるようになって久しい。




 「少尉。申し訳ございません。私はもう、付いて……っ!」




 と、サバランティオ曹長が軍人らしからぬ女々しい声で騒ぎ立てるのも無理ないことである。彼は長い黒髪を項の辺りで一つに結び、長身痩躯の体を鉄馬の上で醜く躍らせている。軍籍に入ってまだ一年目の二十二歳。まともな戦闘訓練も受けず、実戦経験も乏しいままに曹長になれたのは、彼が軍大学を卒業した制服組であるからで、それ以外の理由はない。




 「きゃんきゃん喚かないでくださる?曹長。こちらまでくたされてしまうわ。」


 「そうは言ってもね。あなた、あなたが無茶な動線を取るから私の姿勢が乱れて……あっ!」




 サバランティオ軍曹の鉄馬が、仰向けになった廃墟の窓から伸びる大木に脚を引っ掛ける。つんのめる様に後ろ脚が浮かび上がり、曹長の体が宙に投げ出される。と、その前に鉄馬がひとりでに頭を上向きに振り上げて態勢を整えた。




 「……ほらっ!今もあなたが無茶な避け方をするから反発を起こして」


 「無茶かどうかを決めるのはあなたではなくてよ。それに一回転しようがどうせ振り落とされはしないわ。安心なさい」




 爛々としたミラリロの、大きな瞳の光彩は薄く青みがかり、彼女の体にまでウーシアが通っている、と的外れな勘違いを人にさせるほど巧みな騎乗。それこそ時には前転、横転を組み入れながら、迫る障害を最短の経路で避けていく。その超絶的な動きに新兵が食らいつける訳もなく、年も階級も下の彼女に言われ放題のサバランティオ曹長は、あちこちに鉄馬を衝突させ、木の梢に頭や腕を叩かれながら、遅れは取るまいと必死の形相である。




 「ミラリロ。元はと言えば君が遅れたがためにこうして急ぐはめになっているんだ。分かるな?」


 「そう責めないでくださる?エチカ少尉。ほら、ご覧になって。まだ状況は膠着しております。私たちが背中をつついてやれば、こんな衝動的な暴動なんて児戯に等しいですわ。」




 エチカたちが転移したのは、ユミトルド地下牢獄からは少し離れた場所であった。暴動は牢獄の中心、軍の基地に向かって進行している。その背後からエチカたち援軍が挟撃する算段であった。




 ミラリロは、この暴動を「児戯」と称した。が、その理解は間違っている。囚人に牢屋外での勤労をさせているのは、圧倒的武力と監視によって支えられているからだ。現にこれまでも何度か反乱的なものがあったが、すぐに鎮圧された。




 暴動の様子が、耳のピアスから眼前に映し出されている。巨大な重機を操縦して、高く厚い基地の壁を破壊せんとしている。




 「主。油断は人を殺めます。ご注意を」


 「あら、エンテラール。私を心配してくれるのね?」


 「自分の命をおろそかにする人間に、心配など無用の長物です」




 黄金の髪の幽霊に言い包められたミラリロは、苛立たし気に鎖骨の辺りを激しく掻きむしりながら、さらに速度を上げる。




 エチカの視線の先、首をもたげた重機よりも、さらに空に近い絶壁が迫る。地下牢獄の外壁、その内側には囚人たちの住居があり、さらに中心には軍の基地がある。




 ここに至っては、ふざけた調子だったミラリロも確かに手綱を握って体を前傾にする。それに倣ってサバランティオ曹長も頬に力を込めた。




 遠く何かを破壊する籠った爆音が、エチカの耳にも届き始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る