第6話 決闘

 エチカたち三人の鉄馬は居住区の外壁を逆流する滝のごとく駆け上る。そうして中に飛び込むと、暴動に参加していない囚人たちが、軍の監視のもと安全な外壁傍に集められていた。


 居住区は幾何学的に、白く背の低い矩形の建物が密となり放射状に並んで壮観である。俯瞰してみれば、その一帯は路傍に咲く白く小さな花のようで、三騎の鉄馬はその蜜に魅せられた蝶の如きだった。




 「エチカ少尉。これはどういうことなんですの?」


 「分からない。おそらく何らかの形で軍から奪ったのだろうが……。識別は?」


 『主。軍銘記のウーシア兵器ではありません』


 


 エンテラールの言葉は俄かには信じられないものだった。サバランティオ曹長が額の汗を拭う。それからエチカ少尉の幼さの残る顔を窺うが、そのおもてに動揺した様子はない。

 駐在軍の兵士たちに突き刺さる鉄槍。通信機器に映写されるその悲惨な映像を見て、エチカは鼻を摘まむ。それは思案するときのエチカの癖であった。




 「エンテラールの言う通りだな。俺もどうやら油断していたようだ」


 「適合、していますわね。一人……いや三人いますわ。少尉。そこの曹長は今ここで下した方が良いのではなくて?」


 「いや、駐在軍にも二十二の鉄馬がある。そこに加勢すれば良い」




 エチカが鉄馬の高度をさらに上げる。火山の噴火口のように、壁に覆われた軍基地が見える。その周囲を、囚人たちの操る重機が躍っていた。地の利は軍にある。が、それもウーシアが投入される前までの話だ。




 だが、どうにもおかしい。

 事前に敵側にウーシア兵器があることを見抜けなかったのはいい。それでもなぜ、未だに司令部からの追加情報がないのか。

 そして、事前のブリーフィング資料では扇動者の打倒が任務目標とされていた。だが対象の名も不明。今更だが、そんなことはあり得るのか?これまで何度もストライキや反乱はあった。その時の首謀者、あるいは牢獄内で影響力を持っている人間をリストアップすればいいだけの話ではないのか。


 それだけなのに、F4人員という、単独任務遂行能力と純粋な戦闘力、双方が高次元の兵士を連れて行けという指令。


 状況証拠が示すのは、全て、司令部は「既知」であったということ。

 ウーシア兵器の利用から、そもそも、この反逆が起きることすら、か。

 これはただの囚人の反乱ではない。外部の何者かが関与しているのは間違いなかった。

 



 これは明らかにエチカの失態であった。

 疑念はあった。しかし、それを膨らますための主体的な思考が、軍に入ってから徐々に摩耗していたのだった。


 エチカは歯噛みしつつ、耳の通信機器に手をやり、





「ジャルジャ師団長、緊急事態です。敵兵がウーシア兵器を利用。判断を仰ぎます」





司令部のオペレーターを飛ばして第二騎兵師団の師団長、バルディット・ジャルジャ中将に直通連絡を入れる。が、反応はなく、あるのはざぁざぁという耳に不快な音ばかり。




「中将と連絡が、、、取れない。それから司令部もだ。ずっと沈黙してる」




 その呟きに、ミラリロすら僅かに目を大きくしてエチカを見る。




 「相変わらずこのことになると判断が遅いですわ。人を叩き起こすときは容赦ない癖に。まぁ、とりあず事態を収拾させればいいのでしょう?」




 ミラリロは、通信不全を単なる判断の保留だと考えたようだが、エチカの直感がそれを否定する。この作戦は何かがおかしい。だが、ミラリロの言うこともまた事実だ。とにかく目の前の事態を鎮静化させる他、自分たちに今できることはない。




 「認識を改めなければならない。これは反乱ではなく紛争だ」




 そうしている間にも駐在軍の兵士たちが次々に殺されているが、それは大した問題ではないとエチカは判断した。ここで重要なのは、確実に敵のウーシア兵器佩用者を捕らえること。そしてその素性と背後にいる者を暴くこと。そのために今できる限りの体制を整える。それが帝国の平和という長期的視点に立ったときに優先されることだ。

 エチカはまた耳に手を当て、別の者に映像通信を試みる。

 一縷の望みをかけてであったが、その悪あがきは予想に反して成功した。




 「アイリス特務曹長、聞こえるか」


 『、、、エチカ、聞こえてる。何、最近ずっと放置してた癖に、そんな慌てて。というかそれ、どこにいるのよ』


 「ユミトルド地下牢獄だ」


 『それってクーバーミント州にある?、、、ちょっと待って、、、南西部エリアの作戦遂行中リスト見てるけど、あんたの名前ないんだけど。どうやって転送したの、まさか徒歩?旅行でもしたくなったんだ』


 「馬鹿。まさか、、、ちゃんと転送室から、、、」





 2人の間に沈黙が、僅かの間だけ寝そべる。

 ミラリロが歯で唇を噛みしめ、濃い血を流しながらも静観している、その瞳をエチカは強く見る。

 アイリスが深く、ため息をついて、





 『どうとでもなるってことよ』





 と、冷たい声音が事態の深刻さを宣言する。





 『私の立場から見れば、何らかの方法でエチカが単独無断で特攻しているように見える。そんな血気盛んだったっけ?大丈夫?戒告とかじゃ済まないと思うけど』




 エチカは思いつく限りの関係者の顔を脳裏に並べる。

 ジャルジャ師団長はおそらく無関係だ。あの人はこういうことをする人ではないと確信があるし、司令部中枢のデータを弄れるほどの力もない。

 ならばもっと上、陸海の三長、あるいは政府側、、、。それとも敵側だとしたらどこだ、フォラリス神聖国、、、まさかアラン=ヴィシュク連邦も、、、いや違う、もしそこまで入り込んでいるとしたら、こんな回りくどい方法を取る必要がない、やはり内部だ。

 エチカはその思考がほとんど意味を持たないことを悟り、勝手気ままに回転する脳の動きを強制的に止める。




 「とりあえずバルディット中将に直接会うことはできるか?連絡が取れない」


 『分からない。けど、それならやめといた方がいんじゃない?これ、多分あの人の仕業じゃないし、どうせ会えないと思うけど。首謀者がいたとしたら、そんなこと事前に対策しているでしょ。あんた、どこかで獅子の尻尾でも踏んだんじゃない?」




 アイリスが言うことは最もだ。

 つまり、逆をいえば、




 「ということは、アイリス特務曹長には連絡が取れている現状、お前は転送してこれるんじゃないか?」




 その言葉を言い終わるか否かのとき、営舎の中を歩いているようだったアイリスの映像が一瞬途絶えた。そのふわりと巻いた金髪の残像を最後に残して。

 それから、すぐに通信が復活した。




 『、、、ああ、ごめんごめん。まぁ、私はあちらにとって込み込みなんでしょうね、端から。現にもう来れてるし。とりあえず駐在軍のサポートできる位置について狙撃準備しておく』


 「、、、勝手に動くな、助かるが」


 『あら、私の存在を忘れるばかりではなく、最初の約束も覚えてないんだ。師団から抜けて、特例的にあなた直属の兵士になったとき、なんて言ったっけ、私』


 「いや、それは、、、」


 『なんて、言った?』


 「そういう状況じゃ、、、分かってるだろ」


 『口で言って。じゃないと助けない。ああ、ミラリロお姉様もいるんだっけ、それで言えない?』


 「分かった、分かった」



 エチカはアイリスがただ無駄口を叩いてる訳でも、本気で言っている訳でもないことは察していた。現に、彼女はすでに別地点への転移を完了し、すでに首謀者と思われる敵のウーシア適合者に威嚇攻撃を開始していた。3人の影が一瞬で転移し、その場から一時撤退する様子がエチカにも確認できた。


 エチカはその働きを称えるように両手を上げ、



「お前はあの時、こう言ったんだ。〈私の傍にいつも居るよう努めてください。私もそうしますから〉だろ」


「ふん。よろしい。じゃ、ミラリロお姉様にもよろしく」




 通信が待機状態になる。

 おそらくウーシア運用に集中を割くためだろう。

 エチカは混乱する頭を整理できないまま、しかし霧中にあって上げた脚は前に下すしかないことを知っている。




「アイリス・ライゼンバッハ、、、見下してんじゃないわよ」





 ミラリロの鉄馬に流れるウーシアの輝きがおどろどろしく濃密に辺りに広がる。

 その威光に怯えつつ、サバランティオ曹長が口を開く。




「噂は本当だったんですね。クランツェル第二次独立戦争のとき、エチカ少尉が上げた武勲、その報謝として1人の兵士を直属にしたって噂。それがあのアイリス・ライゼンバッハだったなんて。片翼のアイリス。何かの問題で師団から抜けたことは皆周知の事実でしたが、それでも第二営舎に部屋を与えられていたので噂がすごくて。皇帝の密偵になったとか、上級士官の愛人になったとか、ふざけた話ですけど、普段姿が見えなくて、偶に現れたと思ったら食堂の掃除をしていることが頻繁に見られてて、清掃員にでもなったんだとか、、、」


「いち少尉に直属なんて軍規上あってはならないからな。とにかく行くぞ、ミラリロも任務に集中しろ」


「集中が狂気に勝ると誰が?」


「上官が求めるのはいつも前者だ」


「まぁ、狂気は追っても影のように逃げて行くばかりですものね。夜天のように忘れたころに覆われるもの。できればエチカ少尉にもそんな惨めな追跡をして欲しいところですわ」


「お断りしたいな。いいか、事態には不可解なことが多い。通常の任務だと思うな。このまま誰かの駒に大人しくなる気はない」




 エチカの鉄馬、その青い燐光がミラリロの目を焼く。

 辺りを圧し潰すその光量に、その場にとどまることすら難しくなる。彼女もまた膂力りょりょくを込めて鉄馬を抱く。どうやら少尉は、サバランティオ曹長をここに置いていくと決断したらしい。まだ少年と青年の間ながら、年長の部下にも配慮を欠かさず、義理固い事で篤く慕われている少尉。その彼が言葉もなく曹長を置き去りにする、それほど目下切迫した状況ということだろう。


 ミラリロもまた少尉に追従して曹長の身を案じることはしなかった。一人とされれば無茶をする道理もなく、また駐在軍に合流するぐらい一人でして貰わないと困る。




 ――跳ぶ。




 ミラリロは息を止め、鉄馬の軌道を脳裡で幻視する。その行路に、鉄馬の行く手を遮る孤影がふっと現れ、集中が呆気なく途切れた。同じく鉄馬による『跳躍』を試みようとしていたエチカも中空に押しとどまった。


 「鳥か?」


 と、鉄馬同士の空中戦に不慣れな曹長は誤解したが、残る二人は瞬時にウーシアの光を湖のように薄く広く展開する。




 「……これはこれは、エチカ・ミーニア少尉。それからミラリロ・バッケニア上等兵」




 エチカとそう年の変わらぬ少年が、青い囚人服を纏って鉄馬を横づけする。端正な容姿に、赤く燦々と埋め込まれた宝石の双眸。風に靡く黒髪はエチカと同じだが、彼の方が長身で肌は褐色であった。エチカは白皙はくせきで、肌にきずの一つもない。それに比して突如現れた少年は、細身ながら筋肉の隆起があり、あちこちに跡になって黒ずんだ傷も目に痛ましい。




 言葉を待つエチカたちを、少年は陶然とした面持ちで眺めている。彼は自分の腕を掴んで呟いた。




 「失礼。僕は稀代の名将に謁見出来て、どうやら余りの歓喜に身震いが止まらないようだ」


 「名将とは、采配に長けた者を讃える呼称だ。俺では及ばない。それに少尉だ」


 「噂に違わぬ謙虚さだ。このまま謙虚を通して帰投していただきたいほど」




 エチカは鉄馬の右脇に備えられている鉄槍に意識をやる。ミラリロも嫣然えんぜんとした表情を絶やさぬまま戦闘の心構えである。




 「名は?」




 と、エチカが聞く。





 「アクトゥール・アウリウス。十八だ」


 「勇ましいな。軍に欲しいほどに」




 睨み合う二人の少年。ウーシアの戦闘は、互いに対敵すれば抜刀による居合とならざるを得ない。




 ――瞬間、動いたのはミラリロであった。彼女には自負がある。それだけでなく蛮勇もある。二つながら持ち合わせれば、それは覇者の気質となる。




 「くっ……!」




 アクトゥールと名乗った青年は、己の背に転移したミラリロの突き出す鉄槍を、鉄馬の後ろ脚で蹴り上げるようにした。青白い火花が弾けて鈴の音となる。正面に意識が向いていた、その裏をかいた不意打ちであったが、アクトゥールの挙動に無理はあっても慌てた様子は垣間見えなかった。




 「良い適合具合。でもここまで。希望とはいつもどうしてか、余人によって絶望の花が添えらるものですわ」




 そう挑発したミラリロの、跳ねる瑠璃色の髪を見たアクトゥールの顔が静止する。彼女の手に握られていたはずの鉄槍が、そこにない。




 「人体を貫通しての転移。これが出来て初めて、兵士は『騎士』と呼ばれるのですわ」




 アクトゥールの唇が歪み、頬がひくつく。彼の太腿からは血が勢いよく流れ、赤い雨滴となって地に落ちた。腿に刺さっていたはずの鉄槍は、すでにミラリロの手中に戻っている。


 実践でのウーシア兵器による一騎打ちを初めて見たサバランティオ曹長は、その貪欲な学習欲で以て教練で習ったことを思い出す。


 ウーシアの良く知られている特性の一つ。


 生物の体を、転移させた物質によって貫通させる時には抵抗が生じる。しかもその抵抗は、貫通する生物の、ウーシアへの適合度合いに比例して大きくなるという法則がある。ゆえに適合が高い相手には、事実上、鉄槍・鉄剣での殺傷は困難となり、『反発』と呼ばれる現象が引き起こされる。その結果、転移させようと脳裏で意識した瞬間に、体が雷に打たれたように痺れるのである。




 それが現代の歩兵戦・騎乗戦である。陣形や戦術の意義は薄れ、ウーシアを扱える兵士をどれだけ集めるか、それが勝利の第一条件となる。他のいかなる物理干渉攻撃も、この青の技術が発達した世では易々と転移され、ほとんど意味を成さない場合が多い。




 ウーシアを扱う人間は、その意識の範囲外から直接、物理的に刺し穿つ、あるいは反発を越えて転移を成立させる。これしか取れる攻撃手段がない。




 「…………っ!」


 「降伏することね。そうすればあなたは晴れて軍人。雨なら罪人。その才を帝国の為にすり潰しなさい」




 悪人を正すかのようなミラリロの提案に、アクトゥールの赤い瞳は怒りに眼底から揺らぐ。


 彼が改めて鉄槍を強く握ると、途端に体が激しく震えた。だらしなく開いた手から鉄槍が滑り落ち、すぐに消失してまた彼の鉄馬に自動転送して戻る。




 「愚かね。彼我ひがの力量の差も測れないなんて」


 「第一反発……だって……?」


 「市井しせいではゆうとされる者も、軍では凡人ということよ」




 ミラリロの鉄馬が、アクトゥールのそれと接触するほどに近づく。馬が二頭、まるで牛車を牽くように並列する。二人が互いの顔を見るが、片方には驚愕が、もう片方には悪魔のような笑みがあった。耳に痛い鉄を削るような高音が辺りに響き渡る。それは第二反発。別の文脈に属するウーシア同士が相近づくだけで、相互に押し退けようとする性質。


 第二反発を押し込めて、その場に二頭浮遊したままでいられるのは、ひとえにミラリロの技量の高さがあってこそである。


 


 「……さぁ、道を開きなさい、反逆者」




 アクトゥールがなんとか取り戻した勝気な瞳を、彼女は悲しそうに見つめながら小さな口で言い放つ。と、アクトゥールの鉄馬が大きな金槌で横薙ぎにされたかのように吹き飛ばされた。



 サバランティオ曹長は驚愕するしかなかった。



 ミラリロ・バッケニア。


 「嬰児の覇者・ミラリロ」



 第二騎兵師団に配属されるとき、その二つ名とともに忠告されたことがある。

 彼女と任務を共にするときは、抗わず、機嫌を損ねず、縛らず。それでもなお問題がある場合はエチカ少尉に通信を入れろ、と。

 騎士にとっては最も屈辱とされる、技量も何も無縁な第二反発による勝利。それはクイス・クイリアムスと呼ばれ、いわば互いに鍔迫り合いを試みて、一人身勝手に後方へと押し飛ばされるようなもの。曹長は戦慄するほかなかった。

 ミラリロ、アイリス、それからエチカ。こんな猛者たちの競演の中で、果たして自分に何ができる、そう思わずにはいられなかった。

 


 「おい、ミラリロ。体が震えているな」




 エチカがアクトゥールと言う少年を追撃しようとするミラリロに声をかける。




 「武者震いですよ。少尉」


 「報告は正確に、だ。上等兵。そんなだから君はいつまでも昇進出来ないんだ」




 エチカの諭しを聞くか聞かないか、そこにもうミラリロはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る