大坂の陣
晩年を迎えていた家康にとって豊臣家は脅威であり続けた。
なお特別の地位を保持していて実質的には徳川とくがわ家の支配下には編入されておらず、関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい後に西国に配置した東軍の大名は殆ど豊臣恩恵の大名である。
また、秀忠の将軍宣下時の官位は内大臣うちのおおおみであったが、秀頼は家康の引退で空いた右大臣を譲らゆずられており、秀忠ひでただを上回っていた。
家康は当初、徳川側と豊臣側の共存を模索しているような動きもあり、秀吉の遺言を受けて孫娘・千姫せんひめを秀頼に嫁がせる。
しかし、豊臣側の人々は政権を奪われたことにより次第に家康を警戒するようになっていった。
さらに豊臣側は、徳川側との決戦に備えて多くの浪人を雇い入れていたが、それが天下に暗雲をもたらす準備であるとしてより一層幕府の警戒を強めた。
その警戒の中ある男が帰ってくる。
「果心居士。時間がかかったわね?」「すまんなぁ」望月千代女は果心居士に握手した。
「果心居士、改めてお願いするぞ」
「ハッ」果心居士は返事をすると「果心居士。あなたは暗殺をお願いしようと思うの」 「暗殺をしよう。ただ、お前じゃダメなのか?」果心居士は望月千代女に聞く。
そしたら「顔がバレてるかもしれないのよ。だから果心居士なの」
「あぁ〜、なるほど」
「果心居士。やってくれるか?」家康は果心居士に聞く。
「ハッ」果心居士は消える。
そして結城秀康、加藤清正、堀尾吉晴、浅野長政、浅野幸長、池田輝政など、豊臣恩恵の大名が次々と死去したため、次第に豊臣軍は孤立こりつを深めていく。
「次々と死んでいくぞ?」淀殿は慌てた。
「大丈夫!母上がこの秀頼が付いてます!」秀頼が自信満々で言う。
そして家康では「良くやった、果心居士!」手を握りしめた。
「お安い御用です」
「毒を使ったの?」望月千代女は聞くと「イヤ、毒では見つかる可能性がある。だから毒ではなく、肺を潰した」果心居士は答えると家康と望月千代女は(ゾッ)とした。
次に家康は、方広寺鐘銘事件ほうこうじしょうめいじけんをきっかけに、豊臣側の処遇を決定するきっかけになるとは。
当時、豊臣側は秀吉の死後、秀吉の供養として、戦乱で荒廃した多数の寺社に寄進を行い、伽藍がらん・社殿の整備を図った。
方広寺大仏・大仏殿の再建が完了したため、落慶供養の段取りを進めることになった。
段取りは片桐且元が進め、武家間では板倉勝重や、家康との協議がなされた。
しかし落慶供養は武家間だけで決定できるものではなく、朝廷や公家・寺社勢力との協議も必要であった。
ようやく梵鐘ぼんしょうも完成し、片桐且元は梵鐘の銘文を南禅寺の文英清韓に作成させ、梵鐘に銘文を入れた。ところが幕府は、方広寺の梵鐘の銘文中に不適切な語があると供養を差し止める。
「なんぜ止めるのですか?」文英清韓ぶんえいせいかんが聞く。
問題とされたのは「国家安康こっかあんこう」で、大御所・家康の諱を避けなかったことが不敬であるとするものであった。
「国家安康」を「家康の名を分断して呪詛する言葉」とし、「君臣豊楽子孫殷昌くんしんほうらくしそんいんしょう」を豊臣側を君主として子孫の殷昌いんしょうは栄えてを楽しむとし、さらに「右僕射源朝臣うぼくしゃみなもとのあそん」については、「家康を射るという言葉だ」秀忠は非難する。
これに対して豊臣側は、家老・片桐且元と鐘銘を作成した文英清韓を駿府に派遣し弁明を試みた。
すると「会いとうないとのです」門兵は答えた。
「これは言い掛かりです!」且元は言ったが
「いや、これは申し訳なかった!」文英清韓は謝った。
だが家康は会見すら拒否し、逆に文英清韓を拘束し、片桐且元を大坂へ返した。
「片桐且元に内通の疑いありとの情報をまけ!」果心居士は部下達に命令した。
片桐且元は、豊臣秀頼の大坂城退去などを提案し妥協を図ったが、豊臣側は拒否。
と言うのも「イヤ、それでは徳川側は納得しません。どうか、秀頼様が大坂城退去しないと」且元は汗を拭きながら言ったが
「お前は家康に褒美として何をもらう気なのじゃ⁈お前の情報がででるぞ〜!」秀頼は且元に嘘の情報なのに信じて怒る。
「そんな!何かの間違いです!敵の策略です!」且元は手紙を握りしめて言ったが「えーい、追放じゃ!」秀頼は追放した。
そして、豊臣側が且元を家康と内通しているとして追放すると、家康は豊臣側が浪人を集めて軍備を増強していることを理由に、豊臣側に宣戦布告したのである。
「よし、さすがである果心居士!」家康は果心居士に褒め称えた。
「いえ。これからどうするつもりで?」果心居士は家康に問う。
「そこは武士に任せておけ」服部半蔵はぬっ〜っと出てきた。
「これは服部半蔵だ。知ってるだろう?」家康は果心居士に聞くと
「ハッ。秀吉様が要注意とされてた人物。服部半蔵は代々と続いていてその昔、忍びであったとか」果心居士は服部半蔵に闘いたいと思ったが
「これ。やめよ。果心居士、服部半蔵。」家康は静止して二条城を発して大坂城攻めの途につく。
そして二十万人からなる大軍で大坂城を完全包囲したが、力攻めはせずに大坂城外にある砦などを攻めるという局地戦を行うに留めた。
徳川軍は木津川口きづがわぐち・今福いまふく・鴫野しぎのなどの局地戦で勝利を重ねた。
一方で真田家では昌幸は亡くなってから次男、幸村と変った。
幸村は当初からの大坂城籠城案に反対し、先ずは京を支配下に抑え、近江国瀬田おうみのくにせたまで積極的に討って出て徳川家康が指揮を執る軍勢を迎え撃つよう主張する。
「攻撃こそ最大の防御!」幸村は言う。
「よう言った!さすが真田様です!攻めましょう!」後藤又兵衛らは大賛成であった。
「秀頼、吾は籠城だと思うがのぅ〜」淀殿が言うと「さすが母上じゃ!浪人衆、籠城じゃ、籠城じゃ!」秀頼は命令し、作戦案に浪人衆は賛成を表明するが結局受け入れられずに終わる。
結果、大坂城への籠城策が決定する。
「では、決めてみよ」秀頼は命令した。
て、いうても、ここだけは行きたくなかった。それは三の丸南側だ。三の丸南側だけは守りたくなかったが、それを違う場所を守るという事は恥ずかしいと皆んな浪人達が思ってた。
だが「では、ワシらは三の丸南側へ行くとします」幸村は言ったのだ。
「なんと⁈」一同が驚く。
「幸村様、考え直したら如何かな?」後藤又兵衛も戸惑った。
「さよう!考え直しなされ!」毛利勝永が猛烈に反対をした。
「ここでならワシらでしか守れない」幸村はそういい立って「御武運を」そういい帰ったのだ。
「唐沢玄蕃、三の丸南側を土作りつちつくりを造れ!」
「ハッ」幸村は唐沢玄蕃にニヤリと幸村の兵士達を作る。
そう、ここは幸村は大坂城の最弱部とされる三の丸南側、玉造口外に真田丸と呼ばれる土作りの出城を築く。
たが幸村は、地形の高低差が少なく惣堀そうぼりの幅も狭い真田丸という突出部を築くことで真田丸に敵の注意を引きつけ、大坂城の真の弱点を見逃しやすくしたのである。
さらに真田丸の背後には幅二百メートルにもおよぶ深い谷があり、幸村は、真田丸がたとえ落とされたとしても、その谷が大坂城を守りつづけてくれると見越してくれると思ったのである。
『鎌鼬の術』唐沢玄蕃は敵が多いのを利用して『鎌鼬の術』はグルングルンと相手を切り刻み
「よし、よくやった、唐沢玄蕃からさわげんば!撃て〜!」(バンッ、バンッ!)幸村は戦闘で、寄せ手を撃退し、初めてその武名を天下に両軍知らしめることとなる。
「見たか、これが真田家の最後の兵器、幸村様よ!」幸村が自身偉そうに威張った。
「幸村様。さすがに自分で最後の兵器ってどうかと」唐沢玄蕃は呆れたが
「まぁ、本当の事ですが!」唐沢玄蕃は笑いながら
「だろぅ?」幸村も笑っていた、敵が倒れた上に座って。
ただ昼夜を問わず大坂城に大砲を加えた。
そしてかつて仲間だった片桐且元は裏切り、且元の指示を得て「撃て〜!」的確に大砲の砲弾は、淀殿の居間のある櫓を打ち崩し、侍女が八人亡くなった。
「母上〜!」秀頼は居間まで駆け上がった。
「母上!無事ですか?」秀頼は淀殿を抱きしめたが
「いつ死ぬかもわからない」淀殿は恐怖心が一杯だった。
徳川側は真田丸の攻防で無謀な突撃を繰り返し、多大な人的損失を被った。
ただ遠隔地から大坂城に大砲を打ち込む、もっとも効率的かつ、究極の力攻めだ。
そして「和議じゃ!和議!」秀頼は淀殿を抱きしめて吠える。
「和議か。それにしても真田昌幸は亡くなったが息子の真田幸村か。ややこしいのぉ〜、本当に」幸村の活躍もあり家康と秀頼は和議となった。
この和議によって「この三の丸南側まで要らんだろう。なぁ、真田幸村様」家康は秀頼を飛び越えて幸村に言う。
「要らんよな?」秀頼は無理やり幸村に言わせた。
すると「ハッ。殿と徳川家康様が和議をするなぞ、これほど喜ばしいことはないですな〜。この幸村、どうぞ三の丸南側まで埋めてください」幸村はなんと三の丸南側まで埋めよっと言ったのだ。家康は何か仕掛けをやってると疑心暗鬼であった。
この真田丸は両軍講和に伴う堀り埋め立ての際に取り壊されてしまったが
「また、真田か〜。何を考えている?」家康は爪を噛むと
「殿。いっそのこと、真田幸村をこちらに取り込んではどうですかな?」服部半蔵はダメもとで言う。
「やって見るかのぅ〜。真田信尹を呼べ」家康いえやすは信尹を呼ぶ。
そしてこっそりと豊臣側の弱体化を謀る家康は使者として幸村の叔父である信尹を派遣し、「幸村、信州で十万石にしてやる!どうだ?」条件を提示し、寝返るように説得する。
すると「叔父上、秀頼様には恩があります。失礼ながらお断りします」言ってこれを丁寧に断る。
信尹は渋々戻って家康に報告した。
「じゃあ、信濃一国をやると言ってくれ。」
「ハッ」家康が再び信尹を使者として差し向けると
「家康様は信濃一国を与えると仰せだ!どうじゃ、せんか?」信尹は説得に出たが、これを聞いた幸村は「信濃一国などで裏切るような者だと思ったかぁ〜!家康に伝えよ、今度また会う時まで綺麗に褌ふんどしを洗っておけとな!」と立腹した。もともとなかったのだ。
褌を洗っくとは、戦国時代身包みを剥がされて褌だけ残ることだ。
幸村は信尹を叩き出した。
そして「唐沢玄蕃、もう一度あるぞ!勝てるか?」幸村は唐沢玄蕃に現れて相談すると
「何を言いますか?幸村様以外に誰が負けるとは言いましょうか?」唐沢玄蕃は平然と幸村を褒め称えた。
その結果和睦の締結後、徳川側は和睦の条件に反して内堀までも埋め立てた。
そして大坂城は本丸だけを残す無防備な裸城となった。
豊臣側は二の丸、三の丸の破壊をし、時間稼ぎを狙っていたが、徳川側が惣構えを全ての廓とわざとちがった解釈をする。
そうして強引に工事に参加し、豊臣側が行うとされた二の丸の破壊作業も勝手に始め、さらに和議の条件に反して内堀までも埋め立てたため、豊臣側は抗議する。
最初から和議を守るつもりの無い家康はこれを黙殺した。
これは怒った秀頼に工事に関係した伊達政宗は
「惣構えの周囲をめぐる外堀のみならず、二の丸と三の丸を埋め立て、これらの地を壊し平にすると、徳川家と豊臣家との和議で決まってるであろうが」政宗は工事を再開する。
「異議があるなら徳川家に申してみたらどうかな?取り敢えずとりあえずは壊すのみよ!」細川忠利も工事を任せられ
「徳川家を停めれば止まる。それ、早う家康様にいうて参れ」政宗は工事をせなんだ。
そしたら「工事を辞めい!」後藤又兵衛は吠えて、「和議は破棄する」秀頼は代表として伝えた。
「徳川家とまた戦うのですか?」隻眼の目で見てる政宗は工事を止めて秀頼達を見た。
こいつらはすぐさまやる気だと思い「いいだろう、すぐさまに家康様が動くであろう。行くぞ?」政宗達の徳川側は引いた。
その大坂城の情報を烏が聞いて飛び立つ。
この結果、豊臣側は浪人の追放や大坂城退去を拒否し、堀を掘り返し始めた。
このため、「和議が破られた、大坂を攻める!出陣じゃ!」家康は和議が破られたとして戦争の再開を宣言した。
こうして大坂夏の陣が勃発する。
この時、豊臣側は数で劣る豊臣軍でも撃退できるよう狭い地域で迎え撃つべく、豊臣軍主力が八尾方面やおほうめんに進軍。
八尾やお・若江わかえ、道明寺どうみょうじでは長宗我部盛親が藤堂高虎が偶然遭遇した。
「いたぞー!」
「ここでは不味い。退け〜!」高虎軍は盛親軍の先鋒は軽装備であったため、すぐに本隊と合流しようとしたが(パンッ、パンッ)と先鋒はほぼ完敗したが、一部の盛親軍が何と伝えた。
「急報!急報!先鋒は徳川軍に出逢い交戦中であります!」ボロボロになりながら兵士は伝える。
「よくやった。あとは任せろ!」盛親は褒め称え、兵を伏せた。
それを知らずに一気に壊滅を目指す高虎軍は進めた。
しかし「やれ!」伏兵を敷いた盛親は、狭い道なので槍で戦う。
「伏兵か⁈戦え〜!」
思わぬ猛反撃を受けた高虎軍の先陣は一気に壊滅し、さらに盛親は攻撃の手を緩めなかった。
統制が乱れた高虎軍は逃げ回らざるを得ない潰走状態となった。
「進め〜、進め〜!ハハハハ!」盛親は進軍してくる。
しかし「撃てー!」(パンッ、パンッ)井伊直孝は走りながら火縄銃と槍で高虎軍で襲う。
(グェ〜ガハァ、)「撤退じゃ!」ただ奮戦した木村重成・後藤基次が討ち死に、撤退を余儀なくされる。
敗戦続きで兵力が疲弊した豊臣側は、家康・秀忠父子が大坂に布陣したところに決戦を挑む。天王寺てんのうじ・岡山おかやまの戦いである。
「行くぞー!これが天下分け目てんかわけめ!」秀頼が指示を出したが、「霧が濃い」この道明寺の戦いでは、先行した後藤又兵衛軍が真田軍が駆けつける前に壊滅し、又兵衛は討死している。
所定の時間に着陣できなかった幸村は毛利勝永に向かって「急に濃霧のために味方を救えず、みすみす又兵衛殿らを死なせてしまったことを、自分は恥ずかしい。遂に豊臣家の御武運も尽きたかもしれないな」この場での討死を覚悟した。
これを聞いた毛利勝永は「ここで死んでもいいことはない。願わくば豊臣秀頼様で華々しく死のうではないか!」と幸村をなだめて思いとどまらせた。
ここで真田軍は殿を務め、『鎌鼬の術』追撃を仕掛ける政宗軍を撃破しつつ、「関東武者は百万あっても、男子は一人も居ないものだな!」と徳川軍を馬鹿にしながら馬に乗り、悠然と撤収し豊臣全軍を成功させた。
幸村は兵士の士気を高めるためには、豊臣秀頼本人の直接の出陣を訴えた。
「秀頼様、今ここで出陣を訴えませ!」
「えっ⁈まずは母上様に・・・」秀頼はオドオドしながら淀殿に意見をもらう。
すると「成りません!秀頼が起つなど!」淀殿は猛烈に反対した。
「ええ、それがしも思います、幸村様で事足ります」秀頼はすぐに淀殿の通りに反対する。
豊臣譜代衆とよとみふだいしゅうや、秀頼の母・淀殿に阻まれ、秀頼の出陣はなかった。
こうなった以上、幸村は大野治房おおのはるふさ、明石全登あかしてるずみ、毛利勝永もうりかつながらと共に最後の作戦を立案する。
それは右翼として真田軍、左翼として毛利軍を四天王寺・茶臼山付近に布陣し、鉄砲戦と突撃を繰り返して徳川家康の本陣を孤立させた上で、明石全登の騎兵団を迂回・待機させ、合図と共にこれを強襲・横撃させた。
ここまでは家康の思った通りに進んでいった。
「撃てー!」(バンッ、バンッ)「撃てー!」(バンッ、バンッ)先鋒の本多忠朝の部隊が毛利軍の前衛に向けて発砲し、射撃戦を始めた。
「よし、かかった!中止だ!」幸村は、かねての作戦計画にきたすため、毛利軍に射撃中止の伝令を遣わした。
「撃てー!」(バンッ、バンッ)
「待て、中止じゃ!中止じゃ!」
勝永自身も中止を促したが、「無理です!撃て!」(バンッ、バンッ)
射撃戦は激しくなるばかりで、ついに本格的な戦闘へと突入したため、作戦を断念せざるを得なくなった。
「伊木遠雄様、武運が尽きました」「・・・」
これを受けて幸村は、軍目付の伊木遠雄に向かって武運運が悪いことを嘆き、己の死を覚悟した。
そして死を覚悟した幸村は
「一人で行ってくる、皆んなさらばじゃ!」
「何を言われますか?幸村様、最後までついて参ります!」唐沢玄蕃らは言い、徳川家康本陣のみを目掛けて決死の突撃を敢行した。
そう、予想外の働きを見せるのである。
この突撃は幸村軍のみではなく、毛利などを含む豊臣軍が全線にわたって奮戦する。
「ウォォォ!」幸村は獅子奮迅の働きをみせ
「押し返してきたぞ?」徳川軍は総崩れを見せたのだ。
それを幸村が指揮をとる真田軍は察知して、松平家の松平忠直軍、一万五千の大軍を突破。
「しまった!」忠直が言いがもう既になく
「家康本軍まで十以上あります!」唐沢玄蕃は言ったが「それぐらいはなかってはな?さぁ突き進め、一人でいい、家康を取ったら戦は終わりじゃ!」合わせて十部隊以上の徳川軍と交戦しつつ、ついに家康本陣に向かって突撃する。
「どこじゃー!家康〜!聞こえてるだろ〜!さぁ、来てやったぞー!」幸村は笑いながら吠えほえた。
「家康様、お逃げくださいませ!」望月千代女が叫んだが(ガハァ〜)「お前がな」唐沢玄蕃は刺した。
そして「最後だ。『鎌鼬の術』」唐沢玄蕃はヒュルヒュルと口の中で見せたが望月千代女は熱い口づけをよそに(道連れよ)ガッシッと抑えつけて(動けない⁈)服部半蔵は唐沢玄蕃と望月千代女を刀で串刺しにした。
「最後によくやった、望月千代女」服部半蔵は直ぐに家康に追いかける。
そして家康が逃げるが「見つけたぞ〜、家康〜!」幸村は突進してきて
「ひ〜!」家康は馬にも乗らずに逃げたのだ。
「止めるぞー!」重臣勢を向かわせたが「邪魔じゃ〜!どけぇ〜!」幸村は精鋭で知られる徳川の親衛隊・重臣勢を蹂躙した。
「ひぇ〜、助けて〜!」家康本陣に二度にわたり突入した。
大野治長は豊臣秀頼の出馬は今しかないと考え、「よし、今しかない、秀頼様に進言しよう!」自ら進言しようと大坂城に引き返す。
しかしこの時、治長は秀頼の馬印を掲げたまま帰ろうとしたため、退却と誤解した豊臣側の人々の間に動揺が走り、落胆が広がった。さらに城内で何故か火の手が上がったことで、前線で奮闘していた豊臣側の戦意が喪失してた。
これを家康は見逃すことはなく、全軍に反撃を下した。
東軍は一斉に前進を再開し、豊臣側は崩れ始める。
この時、真田軍は越前国・松平軍と合戦を続けていたが、家康の危機を知って駆けつけた「真田〜!己〜!」井伊直孝の軍勢が真田軍に横槍を入れて突き崩した。
「チッ!」数度に渡る突撃で幸村の疲弊も頂点に達した。
兵力で勝る徳川勢に押し返され、幸村は家康に肉薄しながら、ついに撤退する。
こうして豊臣側は総崩れとなって大坂城への退却を開始し、敗北が決定的となった。
幸村は四天王寺近くの境内で木にもたれて傷つき疲れた身体を休ませていたところを、松平家鉄砲組頭の西尾宗次にしおむねつぐに発見され、「この首を手柄にされよ」との最後の言葉を残して討ち取られた。
なお、家康の本陣が攻め込まれ馬印が倒されたのは「三方ヶ原の戦い」以来二度目であり、家康は武田家ゆかりの武将に二度馬印を倒されたこととなる。
幸村は『日本一の兵にほんいちのつわもの也なり』と敵味方双方から称賛されるほどだった。
その結果、幸村は退却中に討ち死に。他の豊臣側の部隊も次々と壊滅していく。
豊臣側を押し返した徳川軍は大坂城内に入城した。
城内にいた浪人達までが裏切って略奪を始める中、秀頼親子は天守閣に登って自害しようとするも、家臣に止められる。やがて天守閣が炎上し、秀頼親子逃れるもそこも徳川軍に包囲された。
大野治長は千姫の身柄と引き換えに秀頼の助命を嘆願した。
だが家康の叶わず、最終的には家康に判断を任された徳川秀忠の命によって山里丸への総攻撃が行われ、秀頼は淀殿や大野治長らと共に自害する。
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