8月27日

春夏冬 秋

第1話



「ねえ」


蝉の鳴き声がそこら中から聞こえて、手に持ったアイスはみるみるうちに溶けていく。


「んー?」


もう夏休みが終わるのに、全く宿題に手をつけていなかった私は泣く泣く友達の茜にすがりつき、図書館で宿題を手伝ってもらっていた。


その帰り道、2人でセブンに寄ってアイスを買い、店の前のベンチに座ってアイスを食べていた最中のこと。


「もし明日死ぬとしたら、それまでどうやって過ごしたい?」


それまでは「暑いね」なんて適当な会話をしていたのに、不意に茜がそんなことを尋ねてきた。


「突然すぎない?てかそれよくある面白みもない話題じゃん……。」


突然、『明日死ぬとしたら』なんてもしもの話をされても、まだ17歳の私には想像がつかない。


真剣に考えるのが面倒で、質問にはちゃんと答えずにそう返す。


「いいじゃん。陽葵の過ごし方気になるんだもん」


乾いた笑いでこの話は終わるかと思ったのに、どうやら茜はまだ話を続けたいらしい。


「えー……」


そうだなあ、と言ってソーダのガリガリ君に齧り付く。汗がじっとりと額を流れていって、やっぱりこんな所じゃなくて、家に帰ってから食べれば良かったと思う。


「最後の晩餐はかき氷がいい」

「それは今の気持ちでしょ」


即座に返ってきたツッコミに口を尖らせる。

夕日が雲の隙間から出てきて、あたり一面が夕焼けに染まった。


「大体、過ごし方って言われても曖昧じゃんか。そもそもどうやって死ぬのかもわからないし、明日の何時に死ぬのかにもよって残り時間とか変わってこない?」


残り2口分くらいになったガリガリ君を見つめながらそう答えると、茜はため息をついた。


「急に詰めてくるじゃん……。いーんだよ大体で。死に方はお好きにどうぞ〜」


「そんな死神みたいなこと言われても」


「細かいなあ〜。じゃあ理想でいいよ。理想の死に方教えて」


どうしてこうも細かく聞きたがるのかこいつは。蒸し暑いポニーテールを片手で持って、後ろでパタパタと揺らす。風で少しだけ首元が涼しくなった。


「理想の死に方ぁ〜?女子高生に何聞いてくるんだよ……老衰じゃない?やっぱ」


「みんなよく言うよね、老衰」


「そりゃあ1番平和な死に方だろうし。逆にこれ以外の答え言う奴いるの?」


「……まあ、人によるんじゃない?でも今は老衰じゃないのにしてよ。明日、ほんとうに明日死ぬとしたらの答えが聞きたいから」


ガリガリ君の水色はいつの間にか消えて、残されたのは何も書かれていない木の棒だけになった。


「老衰以外なら理想の死に方なんてないわ。時間帯は……なんでもいいけど、強いていうなら昼間かな」


アイスの棒をベンチの隣のゴミ箱に捨てる。


「夜死ぬのってなんか寂しいし。あと昼間なら死んだことにすぐ気づいてもらえそうだから」


「気づいてほしいんだ」


茜の方を向くと、パピコのもう半分を食べ始めているところだった。チョココーヒーのやつ。私は苦いのが苦手だからあのパピコも好きではない。


「でもさー、急に死ぬ前にしたいこと聞かれても思いつかないよ。聞くならもっと具体的にして」


茜は目だけをこっちに向けて、それからパピコを口から離した。


「……何食べたいか?とか……あ、真剣に答えてよね。さっきみたいなのはナシ」


「とんかつ」


「それも今夜食べたい物でしょ……」


「えっ、よく分かったね?まあでも普通にとんかつ好きだし、死ぬ前にも食べておきたいかなー」


「じゃあ今夜とんかつ食べたら、死ぬ前日のシミュレーションできるね」


「すごい嫌なこと言うじゃん……まあ明日死ぬとしたらの話してるんだし、シミュレーションも何もないけど」


「確かに」


「……てか、そういう茜はどうなの?過ごし方とか決めてるわけ?」


隣に置いておいたペットボトルを手に取って、蓋を開ける。


「私はねー、決めてない」

「はあー?自分も決めてないのに私に聞いてきたの?」

「うん」


こいつ話題の振り方適当すぎるだろ、と思いながら、ペットボトルの水を飲む。


「というか、本能的にやりたいと思ったことをしたいかな」


「本能的って何?」


「……例えば、洗濯物取り込まなきゃな〜とか……」

「いや主婦かよ!」


「うそ、冗談だよ。さいごに陽葵に会いたいなーとか、そういうちょっとしたこと」


茜はそう言うと、空になったパピコを咥えたまま息を吐いた。


「だからね、いつか死ぬとしたら、そういうやりたいことを少しでも果たしたいから、あらかじめ死ぬ日を知らせておいてほしいなって思う」


私はいつ死ぬかなんて、怖くて知りたくないけどな。


「あ、あとパピコ食べたい。死ぬ直前に」


黙っていると、茜が続けて言った。


「今食べ終わって、まだ食べたがるの…?本当に好きだね、パピコ」


「うん。食べ終わったやつを膨らませるのも楽しいし」


「理由がよくわからん……あ、茜はどのくらいの時間帯に死にたいかってあるの?」


茜はTシャツの襟元を掴んで、パタパタとさせている。


「私は夜に死にたいよ、誰にも気づかれたくない」


その声があまりにも淡々としていたものだから、私はなんて返そうかと逡巡した。


その間に茜は、「口ん中甘い!水ちょーだい」と言って私のペットボトルを勝手に奪う。


「こら、それ飲んだら明日死ぬよ」


声を低くしてそう言うと、茜はペットボトルを即座に離した。


「うわっ、飲まなきゃ良かった。陽葵菌のせいで」

「おい」


そろそろ帰ろう、と思って鞄を肩にかけ直しながら立ち上がって、茜に尋ねる。


「なんで突然こんなこと聞いてきたの?」


茜は空のパピコをゴミ箱に捨てながら答えた。


「ちょっと死ぬのが怖くなっただけ」


かわい〜こと言って、とからかおうとしたけれど、茜の横顔が切なくて、やめた。


「……ふーん。ま、今は後悔ないようにアイス食べたし、こうやって後悔残らないように過ごせば怖くなくなるんじゃない、少しは」


茜はベンチに置きっぱなしだった鞄を手に取って、私の隣に並んだ。


「……じゃあ毎日アイス食べようかな」

「どんだけ好きなんだよ」


呆れて笑っていると、茜もつられて笑った。


「でもさ、夕方にアイス食べてる女子高生なんて、1番死から遠いと思うよ」


「あはは、そうかもね。……あー、とんかつ食べたくなってきた!」


「茜も好きなんじゃんか、とんかつ」


「好きー。ほら、帰ろ」


「遅くなったの茜のせいだかんね!?」


「宿題終わらないって泣きついてきたのはどこの誰なんだか」


「うっ……それとこれとは話が別!」


あーだこーだ言いながら、家に向かって歩いていく。


いつ死ぬかなんてわからない。想像もできない。たぶん、死ぬことがわかっている状態で死を待つことなんてできないし、突然死ぬんだろう。


それから死ぬ間際にきっと、アイス食べたいなって、思う。


「夏休み終わっちゃうね」

「言わないでよー!」


太陽はまだ沈まずに、空を茜色に染めている。

口にまだ残るソーダの味が、今日を生きた印だ。


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