第4話 外人と戒厳令

 夢を見ていると、

「前にも見たことがあったような」

 という、まるで、

「デジャブ現象」

 といっていいものを見ると考えると、その思いが、自分にとっての、

「都合のよさだ」

 と考えるようになったのだった。

 都合のよさというのは、夢の中の自分に対してのことなのか、それとも、起きている時の自分に対してなのか?

 ということを考えていると、

「夢の中の主人公である自分が、実はもう一人の自分で、本当の自分というのは、その夢を見ている自分なのだ」

 ということで、

「主人公と、観客」

 ということを考えると、

「じゃあ、もう一人自分がいるのではないか?」

 と考えたのが、

「監督兼脚本」

 ともいうべき、クリエイターがいなければ、成り立たないわけで、それが

「自分であってほしい」

 と感じるようになったのも、一種の、

「都合がいい」

 ということに繋がるのではないか?

 ということであった。

「デジャブ」

 というものが、その都合のよさを演出しているのであれば、本来であれば、

「夢の中に限界などありえない」

 と思えることだろう。

 何しろ、都合のいい夢が自在に見られるということであれば、限界など存在しないと思われ、

「どんなに小さくなっていっても、絶対に、ゼロにはならない」

 という感覚になると思っていた。

 しかし、夢に限界があると感じるようになったのは、

「夢というのを見ている」

 ということを、

「夢の中で感じるのだ」

 と思った時だった。

 というのも、

「夢の中にいるんだから、空を飛べるはずだ」

 という意識から、空を飛ぼうとしたのだが、結局、空を飛ぶことができずに、

「ただ、宙に浮いているだけだった」

 ということである。

 浮いているといっても、本当に手を伸ばせば地表に届く程度も、それこそ、人の腰あたりまで身体が浮いているかどうか?

 ということで、

「まるで、空気という水面に浮いているだけだということで、見えない水面は、ちょうど腰あたりにあるものだ」

 という感覚でしかないというものだった。

「空気という水面に飛び込む」

 というようなおかしな意識が、夢の中で展開される。

「それが夢というものであり、限界を見た瞬間だ」

 ということであった。

 現実社会では、嫌というほど、限界というのを味わっているはずなのだが、それは、

「味わっている」

 というだけのことで、

「見ている」

 というわけではないのだ。

 そんなことを考えると、

「夢を見ている」

 というのは、本当は、

「夢を感じている」

 ということであり、

「見ている」

 という感覚は後から、うまく取ってつけたかのようなものだということなのではないだろうか?

 それを思うと、夢というものが、

「都合のいいものであり、それでいて、限界をしっかりと感じさせてくれるものだ」

 と思うと、

「これからも、同じ夢を定期的に見ることになるのかも知れないな」

 と思った。

 何しろ夢というものには、

「限界がある」

 ということだからだ。

 現実の方がたくさんあり、経験も豊富なはずなのに、夢に限界があるということは、

「現実社会で、感じている限界」

 というもので、それが、いかに、

「魔術的な意識を取り除いたものだ」

 といっても、毎日同じことを繰り返しているわけではなく、確実に新しい経験をしているというのだから、

「現実世界の方がよほど、なんでもできるという、無限性を秘めているのではないか?」

 と感じられるのであった。

 だから、夢というのは、見ていたことを目が覚めるにしたがって忘れていくものであり、しかも、夢というものが、どんなに長い夢だったとしても、

「目が覚める寸前の数秒で見るものだ」

 と言われている。

「グッと凝縮して見るものだ」

 ということになるのだろうが、ただ、それだけのことではないような気がする。

 というのは、

「本当に凝縮して見るものなのだろうか?」

 ということを考えるのであって、これも以前に見た夢であったが、

「一つの街が、凍り付いている」

 というシチュエーションだったのだが、それは、前の日に、SFアニメを見たのが原因だったのだが、その場所は、本当は凍り付いたわけではなく、

「時間がゆっくり進んでいるところだった」

 というだけのことだった。

「だけのことだった?」

 と感じてすぐに打ち消したのだが、

「時間がゆっくり動いている世界がある」

 ということは、尋常なことではない。

 それを、平気に、

「それだけのっことだ」

 と感じたのは、

「それが夢だった」

 と感じたからのことであり、自分でも意識としては、外にあるものではないか?

 と感じたからであった。

「夢というものが、潜在意識が見せるものだ」

 ということを言われているようだが、そうなると、

「起きて見る夢というのもあっていいのではないだろうか?」

 とその時に感じた。

 つまり、

「現実社会で見たことを、夢がフラッシュバックしている」

 と感じるのは、何も寝ている時に見ている夢というだけではなく、

「起きている間に、無意識になった間に、忍び込んでくる夢があってもいいのではないだろうか?」

 と考えるのだが、それが、

「目が覚める一瞬で見る」

 と言われたもので。

「目が覚める」

 という言葉がなければ、

「現実の間の一瞬だ」

 と思えば、その間が一瞬なだけに、数秒くらい、意識を失っていたと思ったとしても、そこに無理な意識はないだろう。

「ちょっと、意識がなかっただけだ」

 と、本来であれば、病気を疑ってみてもよさそうなことでも、

「夢が絡んでいる」

 と思うと、意識もしない。

 ということは、最初から、

「起きて見る夢の存在を、半信半疑であるが、信じていた」

 といってもいい。

 しかし、あまりにも、寝ている時に見るものが、夢だという意識が強すぎるので、

「起きて見るという夢は、自分の中で、封印されているようなものだ」

 といってもいいだろう。

 そんな夢に対して自分で感じていることは、

「そのほとんどにウソはない」

 と思えて仕方がない。

「現実世界が本物であれば、夢の世界も本物」

 それは、

「起きている時に見る夢」

 というものの存在を、自分なりに納得ずくで認めているからではないだろうか?

 勝手な憶測なのかも知れないが、

「寝て見ている夢:

 と、

「起きている時に見る夢」

 そのどちらも、

「連携しているのではないか?」

 と思うと。

「もう一人の自分の存在」

 というものを、感じさせないわけにはいかないということであった。

「その連携がどこにあるのか?」

 というと、それは、

「時系列」

 ではないかと思うのだった。

 時系列というのは、静かに、そして、厳かに刻まれていくものであって、。そこにある規則は、誰にも邪魔されることなく、確実に執行されるものであった。

 だから、そこに、答えを求めるというのはおかしなもので、答えを求めようとすると、すべての歴史を知らなければならない。

 そうしないと、何が正しいのかなど、分かりっこないということだからである。

 そんな歴史の流れと、夢の違いについて、かすみは考えたことがあった。

 時代の流れというのは、

「時代によって、一定ではないのではないか?」

 と考えたことがあった。

 だが、すぐに、

「そんなことはない」

 と打ち消すのだが、その理由は、漠然と考えていた自分に警鐘を鳴らしたからだったのだ。

 時間の流れが、状況によって違ったら、皆がその時間に合わせることになる。

 今でも、

「正確な時間の経過に自分たちが合わせている」

 と思っている人も多いだろうから、

「自分たちが時間に踊らされている」

 と思っている人と、真向から対立するような発想に、紺頼してしまうことだろう。

 そんなことを考えていると、

「夢というものが、現実と入れ替わって記憶されていることもあったのではないあk?」

 と感じるのだ。

 その発想は、ちょうど、

「箱庭」

 のような発想の夢を見た時に感じた。

 なぜか、その時の発想は、

「ヨーロッパの城」

 だっやのだ。

 夢だけでなく、実際にも、ヨーロッパの城という発想を日ごろから抱くということはなかった。

「日本の城」

 というものは好きなので、実際に赴くこともあった。

 ほとんどの人は、

「天守こそが城だ」

 と思っているので、天守のあるところを訪れることが多いが、かずみの場合は、山城が多かった。

 もちろん、急なところはなかなかいけないし、ヘビなどが出てくる可能性もあるので、いくことはないが、

「城愛好家」

 の仲間もできたことで、彼らから情報を得ることで、いろいろなところに行って、情報交換ができるところまでになりたいと思うのだった。

 かすみは、海外に行ったことがない。

「行ってみたい」

 と思ったこともあったが、

「日本で行きたいところもまだだいぶ残しているのに、海外なんかいく暇もない」

 と思っていた。

 ただ、それは半分、いいわけで、

「外人が嫌いだ」

 ということが大きかった。

 日本の観光地などに行って、外人のマナーの悪さは、特筆すべきものであった。

「ギャーギャーと大声で喚く」

 あるいは、

「道路に飛び出して、車の振興の邪魔をしてみたり」

 と、横行はひどいものだ。

「日本人には、そんな人はいない」

 とは言わないが、外人は、集団行動でそういうkとをするので、目立つのだ。

「遊びにくるならくるで、その土地の習慣を勉強してからくればいい」

 と思うのに、国民性を理由に、

「それは仕方がない」

 と言って、片付けられるものではない。

 だから、自分が外国に行って、

「同じような目で見られる」

 ということは必至であり、かすみとすれば、

「それが嫌なのだ」

 ということである。

 日本は、外人を簡単に受け入れる。

 いや、政府が、

「外人は観光に来て、金を使ってくれる」

 というだけで、マナーや、モラルを無視したやり方に、閉口しているのは、かすみだけではあるまい。

 外人とうのは、

「留学生」

 という名目でやってきて、都会のファストフードや、コンビニで働いている。

 今では営業時間のほとんどが、外人どもで埋め尽くされているといってもよく、

「安い賃金で雇えばいい」

 ということと、しかも、政府が、

「外人を雇えば、補助金を出す」

 ということなので、

「そりゃあ、外人雇うわな」

 というわけである。

「補助金を出すのなら?」

 と考えたが、

「ちょっと待て、その補助金は、自分たちの税金ではないか?」

 ということである。

 自分たちが、

「義務」

 として取られている税金を、

「なんで、外人になんかやるんだ?」

 ということである。

「日本人は、失業して困っているにも関わらず、外人ばかりになるのか?」

 ということになる。

 しかし、

「日本人が、働こうとしない連中がいる」

 というのも事実であるが、やはり、給料が安いということが問題なのだろう。

 日本人が、

「どうして働こうとしないのか分からないが、何よりも給料が安いのはわかりきっている」 

 と言えるだろう。

 それだけ、外人が、

「安い給料でも働く」

 ということで、よく言えば、

「勤勉だ」

 といってもいいだろう。

 それこそ、戦後の日本人のようなものだったのかも知れない。

 ただ、その問題が最近は、深刻化しているようだ。

「人手不足問題」

 というのが表面化していて、特に、

「物流」

「インフラ」

 というところで、その傾向が顕著だというのだ。

「トラック運転手」

「タクシー運転手」

 などという問題もあり、さらに大きな問題は、もうずっと前から言われている社会問題が、形になって、現れてきたのが、今回の、

「人手不足問題」

 というのにも、絡んできているということであった。

 それは、

「少子高齢化」

 という問題であった。

 バブルがはじけてからというもの、リストラのあらしが吹き荒れて、落ち着いてきたところで、

「非正規雇用」

 ということで、

「人件費節減」

 によって、実際に、

「責任のある仕事」

 である正社員は、一つの部署に、最小限しかいないので、その人が年を取ってきても、会社の方が、

「後継者を作る」

 ということを、真剣に考えていないと、今の人手不足の時代になって慌てても、どうしようもないということである。

「募集すればくるだろう」

 というそんな甘い考えでいると、

「募集してもこない」

 あるいは、

「非正規雇用しか集まらない」

 ということになって、どこの会社も、今になって困っていることであろう。

 特に、数年前に起こった、

「世界的なパンデミック」

 によって、経済はめちゃくちゃになった。

 日本の場合は、海外のように、

「都市封鎖」

 ということはできない。

 昔の大日本帝国であれば、完全に、

「戒厳令」

 というものが敷かれ、

「戒厳司令官」

 というものが置かれることで、本来であれば、

「保障されているはずの事由が、ある程度制限される」

 ということになるのだ。

 ただ、それも、大日本帝国の時代であっても、

「戒厳令」

 といゆものが施行されるのは、

「有事でなければいけない」

 ということであった。

 有事というのは、

「戦時」

「災害時」

「クーデター」

 などが起こった時、と言われている。

 だから、戒厳令という制度があった時代は、大日本帝国の時代だけだったのだが、その時代として、約60年くらいの間として、戒厳令が敷かれたのは、3回だったのだ。

 その3回というのが、ちょうど、それぞれの時代である。

「明治時代」

「大正時代」

「昭和時代」

 に、それぞれ1回ずつだったというのは、面白いと言えるだろう。

「明治時代」

 であるが、これが起こったのが、日露戦争の終結のための講和条約である、

「ポーツマス条約」

 において、日本は戦勝国であるにも関わらず、戦争賠償金を一銭ももらえなかったということに起こった、

「日比谷公会堂焼き討ち事件」

 というものであった。

 これは、日本の戦争継続が不可能であったということを知らない民衆が起こしたものであったが、ある意味、無理もないことでもあった。

 というのは、

「日本は、旅順攻略戦、奉天会戦などで、相当数の死者を出している」

 ということで、

「賠償金が得られないということは、死んでいった人たちに対して、申し訳が立たないではないか」

 ということになるのである。

 しかし、それでも、起こった暴動は治めなければいけないということで、

「史上初」

 の戒厳令が施行され、事態を収拾したということであった。

 そして、次は大正時代であるが、

 この時に起こった大事件というと、大正12年の9月1日の大災害であった。

 これが、いわゆる、

「関東大震災」

 であり、大都市を襲った直下型の大地震だったのだ。

 こういう震災などの時には、決まって出てくるのが、

「根も葉もないデマ」

 というものだった。

 インフラは完全にストップして、情報も何もかもが、入ってこない。そうなると、起こってくるのが、前述の、

「根も葉もないデマ」

 ということであった。

 この時のデマとして、

「朝鮮人が、この混乱に乗じて、日本人を虐殺している」

 というもので、それに踊らされた一部の日本人が、朝鮮人を虐殺するということが起こったのだ。

 完全に、警察も機能できない状態だったので、軍が動いて、戒厳令を発するということになったのだ。

 これが、大正時代にあった。

「戒厳令」

 であった。

 今度は、昭和であるが、

 この時は、

「昭和9年2月26日」

 そう、いわゆる、

「226事件」

 と呼ばれるものであった。

 一部の青年将校が、天皇の近くにいる。

「君側の奸」

 と呼ばれる連中を暗殺し、天皇を中心とした軍政を、改めて敷くという、

「昭和維新」

 を目指した、クーデターだったのだ。

 ただ、これには、いろいろ言われていることがあり、

「226事件というのは、言われているような、青年将校たちの、昭和維新に対する思想から生まれた」

 というものではなく、

「陸軍内部の、派閥争い」

 でしかない。

 というものであった。

 実際に、陸軍では、派閥争いによる、軍政的なクーデターが起こったり、個人的な暗殺事件であったりというのが、横行していた時代であった。 

 その時に争っていたのは、

「天皇を中心の軍政」

 というものを提唱する、元々農村出身者が多い集団である、

「皇道派」

 と呼ばれる派閥と、

「統制というものが大切だ」

 と考える、陸大出身者が多い、いわゆる、

「エリート集団」

 である

「統制派」

 と呼ばれる集団との間で、派閥争いが、表面化していた。

 当時は、元々、幅を利かせていた皇道派に対して、統制派が勢力を増してきて、皇道派を追い出したりしたことで、統制派が、皇道派を要人から追い出したことで、暗殺事件が起こったことが、今度のクーデターの引き金になったであろう。

 ただ、言われているのは、

「君側の奸」

 と言われる、天皇の側近が、天皇に、今の世情を教えないようにしていることで、自分たちが利益を得るという体制を取っているので、天皇の目を覚まさせて、天皇中心の国家に再度作り直すという、

「昭和維新」

 という考え方から起こったクーデターだという。

 特に日本の場合は、

「判官びいき」

 と言われるように、

「弱い者に対しては、ひいき目に見る」

 ということが昔からあった。

 だから、農村出身の彼らに、同情が集まると考えた側面もあったかもしれない。

 さらには、その少し前に起こった、海軍青年将校による、犬飼首相暗殺事件であった。

「515事件」

 というもので、首謀者に対しても、大して処罰がひどくなかったというのも、その理由であろう。

 だが、映画などにすると、どうしても、

「青年将校に対して、同情的な話になってしまう」

 ということで、この事件を映画にするのは、なかなか難しいということでもあった。

 特に、この事件で、一番怒り狂っていたのが、

「昭和天皇」

 だったのだ。

 青年将校たちは、

「自分たちは、天皇のために決起した」

 ということであったが、天皇は、ちゃんと、これが、派閥争いであるということを分かっていたのだろう。

 特に天皇が一番気にしたところとして考えられるのが、

「天皇の軍隊を、勝手に動かして、クーデターに参加させた」

 ということである。

 軍というのは、基本的に、

「隊を動かすには、天皇の裁可がいる」

 ということである。

 大日本帝国憲法で決められた、

「天皇大権」

 ということで、

「天皇の統帥権」

 というものがある。

 これは、

「天皇は、陸海軍を統帥す」

 というもので、

「天皇の預かり知らない行動を、軍はとってはいけない」

 ということになるのだ。

 それを、勝手に動かして、しかも、クーデターに使った。

 さらには、それが、派閥争いということであった。

 というのは、天皇とすれば、

「尊王」

 どころか、自分の顔に、泥を塗られたも同然ということである。

「お前たちがやらないのなら、私が第一線に立って、指揮を取る」

 とまで、天皇に言わせたのだから、軍の上層部としても、どうすることもできず、戒厳司令官を通して、軍に、

「原隊に戻るように、説得する」

 ということになったのだ。

 そして、それが、

「奉勅命令」

 ということになると、さすがに、反乱部隊も、

「もはやこれまで」

 ということになり、原隊に兵を返すということになるのだ。

 その時に、半分は、自決をしたが、中には、

「法廷で、事実を明らかにする」

 と考えて、投降した将校もいたが、実際には、

「上告なし、非公開、弁護人なし」

 という完全秘密の裁判で、全員死刑ということになり、軍部は、秘密を闇に葬ったといってもいいだろう。

 ある意味、

「後味の悪い」

 というクーデターであったが、これによりハッキリしたことが、

「軍が独走態勢に入った」

 ということであった。

 クーデターが起こらないようにするために、軍内部でも、規律を正しくするようになり、挙国一致という考え方が生まれてきたのも、この頃からであった。

 大陸への進出問題なども控えていたこともあって、この事件が、何かの引き金を引く形になったといってもいいだろう。

 それが、大日本帝国において、

「引き下がれないところまで来ていた」

 ということであろう。

 その後で、日本は、中国への進出を行い、中国との、

「宣戦布告のないままでの、全面戦争」

 という、

「シナ事変」

 に突入していったということであった。

 シナ事変というのは、

「そもそも、統制派と呼ばれていた人たちの考え方でもあった」

 といえるだろう、

 満州事変を画策した石原莞爾は、大陸進出を憂いて、注意をしたが、

「数年前に、あなたが満州でやったことをそのまま私も行動に移しただけです」

 と言われてしまうと、何も言えなくなる。

 いくら、餡集事変が、

「仕方がなかったことだ」

 といっても、それを持ち出されると何も言えなくなるというのは、

「これ以上のジレンマはない」

 といってもいいかも知れない。

 ただ、そんな事態を引き起こした元々の原因は、

「満州事変」

 であり、

 さらに、油を引いたのは、

「226事件だ」

 といってもいいだろう、

 しかし、実際にはその二つの側面はまったく違うもので、

「満州事変というのは、ある意味仕方のないこと」

 と言え、

「226事件というのは、やってしまったことで、取り返しのつかないことをした」

 ということで、本来なら、相対的な事件だといってもいいだろうが、

「大きな歴史の渦の中」

 ということでは、結果として、

「満州事変が引き起こした大きな波というものを、抗うことのできない状況にしてしまったことで起こったのが、226事件だ」

 ということであれば、

「この事件も、ある意味、やむを得ないことだったのかも知れない」

 といえるだろう。

 しかし、個々で見れば、

「派閥争いに、天皇の軍隊を使い、天皇を出しにして、クーデターを正当化させようとした」

 という意味で、クーデター自体の諸悪が分かるというもので、戦争へのきっかけをゆるぎないものにしたという意味でも、つぃみとしては大きかったのかも知れない。

「戒厳令」

 というと、日本では、この3回だけだった。

 本来であれば、

「災害」

 という「意味で、数年前の

「世界的なパンデミック」

 であれば、

「有事」

 ということで、戒厳令が出されてもいいはずなのだが、日本国憲法において、基本方針としての、

「基本的人権の尊重」

 ということがあり、さらには、日本には、

「平和憲法」

 ということで、

「有事は存在しない」

 ということになっているので、

「命令を伴う戒厳令」

 というものを、発することができない。

 ということであった。

 それで、急遽作られたのが、

「緊急事態宣言」

 というもので、あくまでも、

「要請であって、命令ではない」

 というものであった。

 それでも、日本国民は、命令でなくても、素直に従った。実際に、

「伝染病で死んでいった人」

 というのを身近に感じられたからであろうが、それ以上に、

「政府の後手後手に回った、茶番といってもいいような政策には、国民は完全に閉口してしまい、二度目以降の政府の通達による宣言では、

「ほとんど、その意味は、あってないようなものだった」

 といえるだろう。

 実際に、

「人流を抑える」

 といっても、店は、休業をすることもなく、街は、以前に比べれば少なかったといえるだろうが、とても、

「宣言が出されている」

 などという状況ではない。

 ということであった。

 そこで、政府は、

「時短や、休業に応じれば、補助金を出す」

 ということにしたのだ。

 実際に、そんな

「宣言が出された時期」

 というのが、年間で、9か月以上という状態であれば、ほとんど、街の機能はマヒしているし、国としても、補助金にも限りがあるというものである。

(そもそも、補助金は、政府の金というよりも、我々の税金だということである)

 それを思えば、

「せっかく、宣言を守る国民性なのに、国家が自分たちだけのことしか考えないということで、どんどん、国民の納めた税金を使うだけで、何ら対策も打てていないのが、現実だったのだ」

 そんな時代でも、結局、国が金を出したくないということで、最後には、

「感染は自己責任とでもいいたいのか、金を国が出さないレベルの感染症」

 ということで、勝手にレベルを下げてしまった。

 だから、統計もとっていないので、実際に、どれだけの流行か?

 ということも分からない。

 そうなると、病院も、

「特効薬がない」

 ということで、何もしてくれない。

「完全に、政府が、国民の命を個人に丸投げした」

 という状況に、今はなっているのであった。

 日本の歴史を考えていると、ヨーロッパに思いを馳せる自分が、急におかしな気分になってくる。

 ただ、ヨーロッパと日本は、明治以降、急速に結びついていて、

「日英同盟」

 に始まり、

「日独伊三国同盟」

 などがあった。

 特に、かすみは、ドイツに造詣が深く、絵画が好きなので、よく、風景画としては、ライン川の絵が好きだったりした。

 そんな絵のほとんどに城が写っていることから、今回の夢の中でも、

「西洋の城」

 という印象を受けたのだろう。


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