第4部(全5話)
◆その七◆
他の教員が次々と職員室を出て行った。
コーヒー豆は受け持ちのクラスがないから相変わらず自席でゆっくりしていて腹立たしい。私は自分のクラスの喧噪が手に取るように分かった。きっと阿部が尾ひれを
つけて私を悪者にしているだろう。昔から、こういう時の悪い予想は的中するのだ。
「西澤が?」
「西澤だ。」
「泥棒だ泥棒。」
「教師のくせに。」
そんな言葉が聞こえてくる。行きたくない。行きたくなかった。しかし、朝学活は朝学活。よりにもよってその日の六時間目に予定されている集会の詳細を伝えなければいけない日なのであって、どうしても行かなければならなかった。
私は手に持つ書類の束を机に打ち付けて端をそろえたり、用のない抽斗を開け閉めしたりして自分をごまかしていた。しかしその時間稼ぎも、隣のクラスの担任の先生が職員室に戻ってきたことで中断させられてしまった。
「西澤先生何やってるんですか。二組騒がしいですよ。何とかしてください。」
私はその声に導かれるように二組へ向かった。
その二組の喧噪は教室に近づくにつれて鮮明に聞こえてきた。扉の前に着いたところで、財布やら西澤やらという言葉が聞こえてくるので、話題は私のことで持ち切りなのだとすぐにわかった。
すっかり怖気づいている。自分のクラスに入るのが怖かった。しかし隣のクラスの教員が教室から顔を出してこちらに合図を送ってくるのが見えたので、どうしたって教室に入らないといけない。
大丈夫だろう。思い過ごしだろう。そんな意地の悪い生徒たちではない。気持ちのいい生徒たちの集まりであることは担任の私が一番よく知っているではないか。私は自分にそう言い聞かせて覚悟を決めた。しかし教室の中は、私の期待を裏切るような、なんとも都合の悪い状況なのであった。
泥棒教師
黒板には大きくそう書かれてあった。
「なぁーにやってんだぁ?」
私は平静を装って返した。しかし黒板消しで消している最中、クラスの方を見ることはできなかった。消し終わっても溝にたまっているチョークの粉を掃除するふりをして、なかなかみんなの方へ向き直ることができない。
入ってきた時と同様、クラスはまだ喧噪に包まれている。遠くのチョークを取るふりをしてちらっと目だけで後ろを向いて生徒たちの様子を窺ってみたが、みんなは私に関心がないようだった。
幸い、先生と呼ぶ声がしたので、それに便乗して振り向いたのであるが、私を呼んだのは阿部の取り巻きの一人であった。
「あかりの財布、盗ったんですか?」
生徒たちの多くが、斜に構えて椅子に座り、白い目でこちらを見ていた。
「俺がそんなことするわけないだろ。教師だぞ?」
教師が弱気になればそこに付け入るのが悪い生徒である。だから私は全く気にしていないと言った装いでいつもの通り学活を始め、六時間目の集会の集合時間や注意事項を伝えた。しかし耳を傾けてくれる生徒はほとんどいなかった。中には、
「泥棒教師が何言ってんだ。」
と言う生徒までいて、それは次第に笑い声になっていった。阿部を職員室で見送ってから数分しか経っていないというのに、私はすっかり泥棒になってしまった。私は、教師としての威厳を、いとも簡単に失ってしまった。
◆その八◆
その日から噂は噂として広まってしまった。どのクラスに行っても、私は泥棒扱いされた。授業は成り立たない。日に日に生活指導も行き届かなくなり、一緒に掃除をする者も減っていった。事情は他の教師にも伝わり、散々悪口を言われた。話を聞いてくれる同僚もいたにはいたが、特に何かをしてくれるわけでもなかった。
家庭からクレームの電話もあった。事実を確認する保護者はまだいいが、担任を変更しろという電話や警察に突き出せという電話など、一日に五件はあった。
それが二十軒を超えた頃であったと思う。校長が職員室へやってきて、私が座る席の後ろにやって来ては私の肩を叩いた。私はいよいよ、この学校に居場所を失ってしまったようだった。
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