第2部(全5話)

◆その三◆

 私は職員室に戻ると、ドカッと椅子に座ってため息をついた。

すると、隣の席に座る教員が、どうしたの、と訊いてきた。

私はことの経緯を説明すると、


「あちゃ、面倒なことに巻き込まれちゃったねぇ、西澤先生。」


と他人事のように私を見て言うのであった。でもそれもいつものことだった。


 私の教育係だった人なのであるが、いつもコーヒーばかり飲んで私の教育など一つもしてくれなかった。毎朝、自分の席でコーヒー豆を挽いている。だから私はその人を裏でコーヒー豆と呼んでいた。


 私はコーヒー豆に、そうですねぇなどと言ってその場を済ませようとした。


「やり方、間違えないようにねぇ。」


 私はこれにも愛想よく、気を付けます、とだけ返事をして、途中の採点を再開させた。今となってはその忠告をよく聞いておけばよかったと思う。


◆その四◆

 残りの採点もあと半分ぐらいになった頃、外からは部活を終えて帰宅する生徒たちの声が聞こえてくるようになった。私は一応吹奏楽部の顧問だったので、部活がある日には顔を出すようにしていた。音楽ができるわけではない。音符だってよくわからない。しかし、生徒たちの日々の成長を記録するように、一日の終わりには演奏を聴くようにしていたのである。


 だからその日もいつものように音楽室に向かったのであるが、どういうわけか、いつもは階段の下まで聞こえてくる演奏が、音楽室を前にしても聞こえては来なかった。私は重い防音扉を開けた。様子を窺うように室内へと入った。中では外部顧問の指揮者が、何かを話している最中であった。


「いつになく音が悪いな。」


 外部顧問が指揮棒を向ける方を見ると、そこには安達が一人で立たされていた。すみませんと言う安達はさっき見たようにオーボエをギュッと胸に抱きしめ、どこか不安を感じているように見えた。


 私が来てからもしばらく沈黙が続き、これでは練習が続けられないと判断したらしい外部顧問は、安達を見捨てるようにそのまま練習を再開させた。その後、安達は演奏に戻ることはなく、椅子に腰をかけたきり、譜面の先を見るような無気力な様子であった。閉め切った音楽室にも、演奏の合間には雨の音が聞こえてくるようになった。


 部活後、友人の協力もあってようやく口を開いた安達であったが、


「きょうはすみませんでした。お見送りまでありがとうございます。」


などと力弱く言ったきり、傘もささずに歩いて行ってしまった。安達の後ろ姿は生徒たちの中で一番沈んで見えた。背負われているオーボエのケースが徐々に黒ずんでいった。


 その後採点の続きで夜遅くまで残業していたのであるが、安達の変わりようがずっと頭から離れなかった。

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