第15話 最終回
茜は那須塩原温泉に一泊する事にした。乱れる気持ちを整理したかったのである。川沿いの両側に沿って建ち並ぶホテルでも川が望める部屋を希望すると なかなか難しく5件目でやっと探し当てた。川には特に強い拘りがあった訳でもないのに荒れた川の流れが今の自分に合っている様な気がしたからだ。
クロークで手続きの順番を待つ間ソファーに腰掛けていると 「ママ――‼早く早く‼」と、5歳くらいの女の子が茜の隣に駆け込んできた。茜は赤ん坊を抱いた若い母親と2歳くらいの男の子の手をつないでいる父親ら親子の為に身体をギリギリ隅に寄せた。父親が手続きをしてくるからと言ってクロークに向かった後 若い母親が 「どうもすみません」と、茜に頭を下げた。子供二人を座らせて母親が立ったままだったので茜はちょっと気まずくなり 「こちらへどうぞ」と言いながら立ち上がったが、正面から母親の顔を見て思わずアッと云う声を出した。
その声に赤ん坊を除く母子三人が「ナニ?」と云った表情で茜に注目した。
だが、ポカンとしている子供たちを他所に、母親の顔色は明らかに変わり出した。
茜は、反応していると云う事は見間違いではないと確信した。
母親は、茜が介護の仕事を始めたばかりの頃 間借りしていた部屋の隣人。クズ男にソープに押し込められたあの女の子である。あの二日後バタバタと引っ越していった
女の子で間違いなかった。
「ママのおともだち?」と、女の子がソファーから下りて母親にしがみついてきて、男の子が「おともだち?」と姉の口真似をしてソファーの上でピョンピョン跳ねだした。 「ねえねえママ~だあれ?」と姉が言えば すかさず弟も「だあれ?」と真似をしてくる。 「ママの昔のお友達」と母親が答えると 「むかし?…じゃ、いまは?もうおともだちじゃないの?」と、女の子が無邪気に訊いてくる。
母親は「後で教えてあげるから」と言って、姉の方に弟を連れてちょっとだけパパの所へ行っててと言い聞かせる。二人は素直に手をつないで父親の方へ歩いて行った。
「あの二人はダンナの連れ子です」 母親の方が先に口火を切った。
茜は慌てて頭を左右に振り、両手を胸の前に持ってきて 「驚かせてごめんなさい…
ただ……無事でよか…った、と……」」 茜は喉が詰まってそれ以上言えなかった。
「あのロクデナシは……」二人の子供に目配りしながら母親がやや早口気味に話し出した。
自分は確かに男の借金の為にソープに身を沈めたが、半年ほどで男は行方をくらました。幸い自分と債権者の間には何ら直接的な契約がなかった事で運良く解放された。あの頭の悪い男は、どうやらヤバ過ぎる取引に手を出して海外逃避したらしいが恐らく生きてはいまい、と噂で伝わってきた。
解放された自分は その後、地元から離れて堅気の仕事に就くつもりだったが、暫くは生活の為に水商売で糊口をしのいでいた。そんな暮らしの中で知り合ったのが今の連れ合いだ。伴侶を病気で亡くしたばかりで落ち込んでいた連れ合いを無理矢理引っ張り出してきたのが同僚でこの店の常連客だった。もう、男は懲り懲りと思いながらも、それから月に一、二度訪れカウンターの隅で静かに酒を飲み静かに帰っていく姿に段々心惹かれる様になり 寄り添う様になって「今に至る」と、目を覚ました赤ん坊に頬ずりしながら言った。
「………よか…った」 茜の、詰まった喉からでた真実の言葉は母親にも伝わり、
二人は無言のまま手を取り合い涙を流した。父親が子供と戻ってきたタイミングで茜が手にしていた番号札がコールされた。話したい事はたくさんあるはずなのに、幸せな家族の姿は―――そんなものは必要ない―――と、云っている様だった。
茜は手の甲で涙を拭うと、もう一度「よかった‼」と言ってから「私は初島 茜といいます」「枡山 則子です」 二人はもう一度互いの手を強く握りあい、茜は則子から手を離しクロークへ向かった。背中で「だれ?」と問う連れ合いに「昔の知り合い、奇跡の再会」
と応える則子の声が被さった。
夜。茜はホテルで夕食の予約をしていたが空腹感が全くなく、水分すら欲しいと思わなかった。ましてや、温泉に浸かろうなどとは一ミリも思い浮かばない。
菜津子と再会した事で茜の気持ちは大いに乱れた。乱れる気持ちを整理しようと
ホテルに来てみたら ここにも思いがけない再会があって茜の頭の中はカオス状態である。 部屋の窓際に座って川を覗き込むと水嵩の少ない事にがっかりした。
「これ、川なの?」と、落胆した声が静かに響く。そのまま暫く頼りない流れを眺めていた茜は川べりに降りてみようかと思い立った。
外は、川べりに沿って建ち並ぶホテルの灯りでそこそこ明るい。
茜は「立入禁止」の札を無視してずんずん進んだ。川は、川とはいえない程流れが貧弱でペットボトルやビールの空き缶が散見される。と、云う事は茜の様なルール違反が一定数はいるのだ。だからやってもいいとは云えないが気持ちが軽くなったのは確かである。
茜は大きな石の上に立ち、居並ぶホテルをぐるり見回した。かつて、土方も関与したホテルはどれだろうと考えながら……
土方潤一郎……半世紀以上も前の現金輸送車の略奪犯。塩釜清明を中毒死に見せて殺害した真犯人。そして、復讐を果たし自ら命を絶った。その土方が別れの際
「お母さんを恨むんじゃないよ、お母さんは、お母さん流に決着をつけたまでだ」と、言った。その言葉はそのまま土方の決着に結びつく。
随分都合が良すぎる…と、思った時、茜の虚しくがらんどうになった心にポッと灯がともった。暗い灯火である。菜津子に言われた「あなたは何もしようとしなかった」と云う言葉が膨らんできて たちまち茜の胸を塞いだ。何もしようとしなかった訳じゃない、出来なかった、と、自分に言い聞かせる。しかし、それは詭弁に過ぎないと云う事も心のどこかで認めている。入谷の女を甘く見るなと言った菜津子は善悪はともかく振り切っていた。罪を犯すという以上に、母、菫を護る事に躊躇はなかったのだろう。
祖母の悲壮感に満ちた顔。哀願と諦念の入り混じった表情に自分は目を逸らした。
そのくせ、助けを求める祖母の哀れな姿を見て介護士になる事を決めた自分は一体
何者か…… 目の前の救わなければならなかった身内を見捨てて赤の他人の介護を
選択した自分は一体何者か……祖母の姿を見て、心ののどこかで「いい気味だ」と思った自分の隠れた本心を菜津子も母も見抜いていたのだ。
茜は絶望感に苛まれ最早立っている事ができなくなりその場に蹲った。
露わになった川底には石がゴロゴロしていて、茜は手に触れた石を無意識に掴むと下流に向けて放り投げた。石は力なく飛んで闇に消えた。
茜はもう一度小石を掴むと今度は力を込めて放った。三度目はもっと力を込めて投げる。何度も繰り返しているうち不思議と身体に力が漲ってきて茜は立ち上がった。
大きめの石を手に乗せ飛ばしてみると思った以上に遠くへ飛んで行った。
もう一回、もう一回と繰り返していると、やがて茜の心に爽快感が湧いてきた。
茜は無心になって、汗だくになって石を投げ続けた。思いの外 気持ちが軽くなった茜だが、まだ足りないと云う感覚は残ったままだ。だが、とりあえず疲れた腕をさすり深呼吸をした時だった。「ぐううううう……」と、自分でも驚くほどの唸り声が出たのをきっかけに、茜は深呼吸と共に腹の底からせり上がってくる波に任せ唸り声を発した。獣の様な声である。「グオオオ……グオオオ……」続けるうち茜は、今度は自分の声が可笑しくなって大声で笑い出した。子供の頃から自然に振る舞う事を許されず自分を護る事に必死だった毎日。さくら叔母の存在がなかったら一体どうなっていただろうか……叔母の顔を思い描いた時、茜の頬に新たな涙が伝った。
そして、数時間前の「奇跡」が茜の頭の中を埋め尽くした。
則子は不遇と理不尽に振り回されながらも闘い幸せを掴んだのだ。
翻って自分はどうだ?闘った事があるか? 初島家に漂う狂気に気付いていながら
祖母を見捨て、母を見捨てた。他方、犯罪と認識しながら人生をかけて母を庇い続けた菜津子。菜津子が言った自分のホスピタリティは対価に裏打ちされたもので真のものではないのだ。
だが、--------だが、それがどうした!生きていくうえで対価は必要不可欠だ‼
仕事と割り切って何が悪い⁉⁉ 対価の要求をして何が悪い⁉⁉
「だ―――ま―――れ―――!!!!!」 茜は雲に隠れている月に向かって叫んだ。
「いい―かげんにし――ろ―――!!!!! みんなみんな勝手な事ばかり言って―――
わたしはわたし!!!!!もう、―――ほっといて―――!!!!!」 その雄叫びに誘われたのかの様に月が雲間から顔を出し茜を照らした。
茜は膝から崩れ落ち激しく泣き出した。暫く獣じみた声で喚き叫んでいるうち 心の底に溜まっていた物が涙と共に流されていく事に気付いた茜は立ち上がり石を拾い
怒声と共に滅茶苦茶に投げ出した。石を放る毎に 何十年も茜を苦しめてきた得体の知れない怪物が消えていく。怒声を発する毎にこれまで歩んできた道のりが浄化されていく。そして遂に、心地よさを感じた茜の心に残されたのは月光に照らされた
一本の道すじだった。 「茜、お前の思うままに生きろ」 土方が茜に言った言葉が
まるで何処からか聞こえてくる様だった。
橋の上では 得体の知れない声を聴いた湯治客が数人 何事かとあちこちスマホのライトで照らしていたが何も見えず、やがて声も聞こえなくなったところで引き上げていったが ただ一人残った男が川下を見守る様に立っていた。
月明かりに照らされた横顔は黒服である。
――― 完 ―――
ホスピタリティ 一話 遠之 えみ作 @0074889
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