第14話

5月、茜は土方の贈りものである国産車に乗って故郷に向かっていた。

黒服が「誕生日祝い」に届けてくれた封筒の中には今乗っている車のキーが入っていたのである。免許取得はさくら叔母に勧められてバイト時代に取っていたが、18歳で独り立ちして車どころではない茜は バイトの休みの日だけ叔母の車を運転させてもらっていた。まさかじぶんの車が持てるなどと 当時は予想もできなかった。

所有者の手続きやら保険、駐車場に至るまで一切の手続きは黒服が手配してくれたのである。これは大いに助かった。しかも費用は全て彼方もちである。

茜が土方の好意を受けると決めた理由は 黒服が封筒を届けた日の別れ際に言った

土方のメッセージである。「茜と私は似ている。孤独だ、とても深い孤独だ。だから

茜には聞いて欲しかった。ただ聞いてもらいたかった。茜は思うままに生きたらいい。ありがとう、ありがとう」  土方は深い孤独を抱える茜に自分を重ねたと云う事か……そうすると……土方のかなりの部分を知ってい黒服の立ち位置は……単なるビジネス上のものか、それとも……

茜はハンドルを切りながら何度も土方の言葉を頭の中で繰り返し土方に想いを馳せた。


広大な茜の実家跡は更地になっていた。厳めしい門も呪われた屋敷も曰く付きの蔵も

跡形無く綺麗に整備されていた。  近くに初島家代々の遺骨を収めた墓地がある。

初島家の墓地は200年以上も前に建立された寺の敷地内にあるのだが、どうやら

この場所だけは維持されている様だった。墓守を兼ねた売店で花と線香を買い 手桶に水を張って歩き出した茜はこちらに向かって歩いてくる中高年の女性に目を奪われた。

女性の方も茜と分かると足を止め深々と頭を下げた。入谷菜津子である。

茜は背筋を伸ばし、それから深々とお辞儀を返した。

「やっといらして下さいましたね、若奥様がどんなにお待ちだったことか……」と、

菜津子は流れる涙を手の甲で払いながら何度も「よかったですね若奥様!」と墓石に語りかけている。墓石には、たった今菜津子が供えた季節の花と線香の煙がたゆたっていた。茜は、おそらく菜津子は度々こうしてここに訪れているのだと気付く。

花と線香を供え手を合わす茜に「お仕事の方は順調ですか?」と、不意に菜津子が言ったので茜が振り返ると菜津子が奇妙な作り笑顔を浮かべていた。

「以前よりお顔に覇気が見られます。若奥様があんな事にならなければ……」

ならなければ?……茜は菜津子の次の言葉を待ったが、菜津子は無言のまま虚空を仰いでいる。暫く待っているとまたポツポツと話し出した。  「この墓地を管理しているここのお寺様には、若奥様が亡くなる前にご住職と相談されて多額の寄付金と引き換えに特別に墓石の管理を委託する約束を交わしていたんですよ」

ああ…ここでもやはりモノを云うのは金の力か……と、茜は思った。どうも、黒服が言った言葉が頭にこびりついている。金の力だけではどうにもならない事があるかもしれないが、世の中、莫大な金を目の前に積まれれば殆どが魂さえ売ってしまうのが現実なのかもしれない。かつての土方と弟、塩釜がそうだった様に。

「大奥様と若旦那様の石はあちらです」 菜津子が無造作に指差す方向に目をやって

茜は驚いた。納骨の時、祖母と父の骨壺は5基ある墓石の中でも一番大きな石の下に収められた筈である。それが何故 区画の端、しかも明らかに後から取ってつけたと思われる小さな石の下なのか。

「若奥様とご住職が決めていらしてたんですよ。納骨式の日くらいは親戚が集まってきますから一番立派なこっちので……でも、お二人が考えた通りその後は誰も来ません。今でも相続で争ってます」  菜津子の言葉尻には怒りが混じっていた。 茜は返す言葉が見つからず黙って菜津子の話に耳を傾けていた。

「酷いお方でしたよ、大奥様です。覚えていらっしゃいますか?若奥様が蔵の中で斃れた日の事を…」

忘れる筈などない。瀕死の母を心配する訳でもなく不安がる茜に薄ら笑いを浮かべていた祖母。一日中母を詰り虐め続けた祖母。 だからといって菫は決してその鬱憤を使用人にぶつけたりなどしなかった。

「ですから私、若奥様の味方になろうと決めたんです。大奥様は大勢の来客がある日に限ってわざと私たちに用事を言い付けて遠ざけておいて、若奥様がキリキリ舞いして失敗するのを待っている様な本当に意地の悪い人でした」

茜は菜津子の話を聞いていて、今なら ずっと心の奥にしまい込んでいたある疑惑を尋ねれば答えが得られるのではないかと確信めいた気になった。

「菜津子さん、単刀直入に伺います。祖母が蔵で怪我をした件ですが……」

菜津子は座り込んで足元の小石を拾うと祖母と父の石に向けて放り投げた。

「………ええ、…茜さんが…想像して、い、る、通り…です。私が二日がかりで

準備しました」

初島家では四季折々に掛け軸や絵画、観賞用の壺は勿論 食器、敷物、カーテンに至るまで入れ替える為 蔵の中はそれらの物で埋め尽くされているのだ。

菜津子は菫に頼まれてお膳立てした訳ではないが、菫を助けたい一心で その後も暗躍を続けていたと言う。

「誤解しないで下さいね、若奥様の指示で動いた訳じゃないんですよ」

菜津子は、あくまで自分の方から働きかけた事を強調した上で 「もう、お気付きですよね!」と、一転表情を変え茜に鋭い視線を投げかけてきた。

茜は直感的に火事の事を言っているのだと思った。

恐らく母は心中を前提に父を呼び寄せ 相続放棄の宣言で父を油断させ火を放ったのだろう。菜津子は菫の希望通りにどこかで手を貸した。火を放ったのは菜津子だった可能性もある。祖母への仕打ちはその日の為の準備だったか…茜の想像通りだとすれば全て合致する。

「茜さんの仕事は奉仕、所謂ホスピタリティってやつですか?見返りを求めない……

私も……若奥様に奉仕したまでなんですよ」  「それは違うと思います」茜は誇りを持って取り組んでいる職業に触れられてキッとなった。茜の仕事と人殺しのサポートは天と地ほどの違いがあると茜が言うと 「人殺しと仰るんですね?それじゃ、聞きますが大奥様の様子が激変してたにも拘らず何もしなかったあなたはどうなんです?あのままじゃ殺されると解っていながらあなたは何をしました?」

それを言われると茜には返す言葉がない。

「せめて、若奥様の傍についていてくれたら状況は変わっていたかもしれない、いいや!変わってた!でも、あなたは何もしなかった‼」

その通りだと茜は心の中で認めた。母を救うべきだったのだ。

「真のホスピタリティってあなたに説明できます?」 茜は、立ち上がった菜津子が憤怒の像に見えて2~3歩後じさった。

「あなたがやっている奉仕はホスピタリティっと云う名の対価の手段です。対価がなければ何もしない!そんなものホスピタリティじゃないんだよ‼」 菜津子は顔を歪めて叫ぶと再び座り込み恥も外聞もなくわあわあ泣き出した。

ひとしきり泣いた後、菜津子はぐしょ濡れになった顔を茜に向けて「私を殺人ほう助で訴えるならそれでもいいです」

茜は注意深く菜津子の顔を覗き込んだ。菜津子は犯してしまった大きな罪に苦しんでいたのではないかと考えたのである。 だが、その事を仄めかすと菜津子の態度は一変した。 「私は入谷の女ですよ、代々初島家の影武者として系譜を繋いできました。

私はただ、若奥様を守りたかった!あなたに若奥様を助けてほしかった!あなたにしか出来ない事だったんだよ‼」 菜津子は墓石に縋りつき激しく泣き出した。

茜は菜津子が泣き止むのを辛抱強く待った後、「その通りかもしれない……ごめんなさい…でも、だとしても、今の私には結論は出せない」そして茜は座り込んで泣いている菜津子の肩に手を置くと「もう、終わった事だから」と、言葉を絞り出し、  それだけ言って菜津子の手を取り別れを告げた。

内心茜はこれ以上ないほど打ちのめされていたのである。









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