第13話
茜が指定したカフェはアパートから500メートル程駅寄りにあった。丁度お昼時と云う事もあり店内は混みあっていたが外のテラス席では少々寒いせいかこちらは疎らである。
黒服は店内フロアーの窓際に席を確保していて この店で販売されているペットボトルをテーブルの上に置いていた。
「お待たせしました、先に注文してきます」と茜が言うと黒服は足元の黒い鞄から同じペットボトルを出して座る様に促した。「あまり時間は取れませんのでこれで我慢して頂きます」茜は、それもそうだと思い頷いて少々窮屈な二人用のテーブルを挟んで黒服と向き合った。黒服の言う通り注文のカウンター前は三列稼働している全てが10人以上並んでいる。
茜は黒服が差し出したペットボトルをテーブルの端に置いて背筋を伸ばした。
「早速ですが教えてください。土方さんが私に打ち明けた話についてですが、半世紀以上も前の事件。本当に土方さんが関わっていたんですか?」 茜はここに来る途中
知りたい事の優先順位が決まらず、その時思った事をストレートにぶつけてみようと乗り込んできた。黒服はどう答えるだろうか。知らぬ存ぜぬを決め込んでしまうのか。さあ…どうだ?と、言わんばかりの茜に黒服は顔を背けたまま「イエス」とアッサリ認めたので 不覚にも慌てたのは茜の方である。心の準備だけは出来ていたはずなのに収拾がつかずドギマギしている茜に、黒服が言葉を重ねた。「土方氏の遺言です。あなたの方から土方氏について知りたいと言ってきたら、私の知りえる限りを
お伝えする様にと」
茜は水を数口飲んで気持ちを落ち着かせた。 「……どこまで?どこまで土方さんの事を知っているんですか?」 「土方氏が生前私に聞かせてくれた部分だけです。ですから、当然知らない部分も……まぁ…大半は知らないと思って下さい」
「昔の事件の事は知ってるんですね?それじゃ、、、Aとは先日亡くなったオーナーの事ですか?」「イエス」「元オーナーが土方さんの弟を事故に見立てたって話は?」
「イエス」「どうして?」「それについては弟の方にも非があったのは確かですが殺す必要はなかった」
人一人やっと通れる狭い通路を挟んだ隣の席のOL風女性二人が急にしんとなって茜は慌てたが黒服は気に留める風もなく淡々と語り出した。
「やや一方的な土方氏の見解ですから多少偏ってはいましたが、最後は塩釜氏も大筋認めました」
24日の来客?ラウンジバーで古い友人と待ち合わせをしていたのは、どうやら元オーナーの塩釜清明だったらしいと茜は今気付いた。だが、オーナーが亡くなったのはそれから数日後の事である。塩釜清明の死因は細菌の汚染による中毒死と発表された。
土方はどこで関与したのか……茜が考えている間にも黒服の話は続いていた。
マイアミに着いたAと弟は持ち込んだ大金を小出しにチェンジしながら 何回かモーテルを替えながら土方の到着を待っていたが、元来気弱で辛抱のきかない弟が次第に荒れた生活をする様になった。
パブで知り合った女をモーテルに連れ込む事もあり、それが原因でAと弟は言い争う事が多くなっていった。しかも悪いことに、女は麻薬売人の元ヒモ付きだったと後で分かり 弟は女と売人の二人から強請られるままに金は放出するは、女の言いなりに麻薬に手を出すは、Aの忠告は無視するはでAの怒りは日ごとに増幅されていった。 携帯電話のない時代、土方と連絡を取り合うのもひと苦労の中、Aは
段々心理的に追い詰められていったのである。
自由気ままに振る舞う弟を疎ましく思い 土方の到着を待ちわびる一方で弟を憎みいっそ死んでくれたらとまで考える様になっていったAに弟を強請っていた売人から「お前も付き合えよ安くしとくぜ」と、ヤクを勧められ このやり取りが何回かあった中、ある計画を思いついた。勿論 ヤクの売人など最初は相手にしなかったAだが、繰り返される弟の乱痴気に業を煮やしたAは遂に手を下す事になる。
Aは売人に不審に思われない様 数日間隔でヤクを買い入れ溜め込んでチャンスを待った。計画通りAは弟に女に車を買い与える様耳うちする。一月後土方がやっと渡米する事が決まったタイミングである。この時点で留まれば三人の人生も変わっていただろうがAの計画は最早ブレーキが利かなくなっていた。
計画の三日前、女に友人たちを集めさせ乱痴気騒ぎを起こす一方で 管理人に警察に通報する様仕向ける。この間弟はAの謀略でモーテルには居なかった。
三日後、警察に身柄拘束された女を二人で車で迎えに行く。女はヤクを所持していなかったので三日間の留置で済んだのである。
モーテルに戻る途中ダイナーに寄り三人で酒を飲みながら食事をする。女がパーティーに弟が居なかった事に言及したが 「そろそろ兄貴が来るから新しいモーテルを見に行っていた」と、Aに吹き込まれた通り答えた弟だが 流石に兄貴には頭の上がらない弟はAの謀略通りモーテルの内覧に行っていたのである。
Aはダイナーでイチャイチャし始めた二人の隙を狙ってドリンクに混合薬物を混入させた。そして、自分はまだ警察の聴取が残っているからと言ってここで別れるのだ。
別れる際、既に相当酒が回っている二人に、大量の混合薬物入りの小瓶のビールを渡す。二人は何の躊躇いも見せず受け取ると女の運転で走り去った。
茜は耳を塞ぎたくなった。一体、一番悪いのは誰なんだ?と、遣り切れない思いで両手で顔を覆った。隣の女性二人は茜と黒服にチラチラ視線を寄越しながらも時間がきたらしく帰り支度を始めていて茜はホッとした。
「まだ何か訊いておきたい事はありますか?」
黒服は周囲のザワつきなど全く意に介せず茜に尋ねてきた。
茜はすっかり気後れしていたが、ビビっちゃダメだと自分に発破をかけて次に知りたい疑問を投げかけた。 「元オーナーの…その…アレも土方さんが関与してたの?だとしたらどうやって?中毒死って聞いた。本当に土方さんが?」「イエス」間髪入れず答えた黒服に茜は悪酔いしそうだった。「ですが、詳細は披露できません。代わりにこう云うのはどうですか?」 茜は萎えた気持ちを何とか立て直し「はい」と言った。 「塩釜清明と云う名前は彼の本名ではありません」 隣の女性が帰った後でよかったと茜は心底思った。今は紙袋を三つ抱えた年配の女性が座っているが、袋の中身をチェックするのに忙しくこちらの会話に耳を傾ける余裕はない。
塩釜清明の名前は事件後連日ニュースで取り上げられ、今でもたまにワイドショーなどに登場する。一般にもかなり浸透した事だろう。
「因みに、土方氏も本名ではありません。この世は金の力でどうにでもなるものです」 すると、弟の事故死の後処理も元オーナーの死の真相も、そして、土方ほどの人物がメディアでは黙殺された事も裏で莫大な金が動いていたと云う事か、、、 黒い塊の中で蠢いている不気味で邪悪なものが見えた様で茜の気持ちは一層落ち込んだ。
二人の間で暫く沈黙が続き 黒服が時計に目を配り時間を確認すると「もう、よろしいですか?」と、茜の顔を覗き込んできたので俯いていた茜は仰け反った。
頑なに視線を合わそうとしない黒服が茜の目をしっかり捉えていたのである。
いつも直立不動で立っている時は冷たいオーラを纏っている黒服だが、茜を真っ直ぐ見つめた瞳は噓のない輝きがあった。
ホスピタリティ 一話 遠之 えみ作 @0074889
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