第12話

茜は急いでミツエに連絡をとった。

茜は昨日休みだったので昼過ぎまで布団の中にいた。洗濯をして掃除を済ませれば

あとはする事がない。近くのスーパーまで行って来ようか、と、云う気にもなれない。どこもかしこもクリスマス一色が居心地悪くて結局部屋から一歩も出なかった。

ミツエは昨日の通しで当然眠っているらしく電話に出なかった。茜は仕方なく暫く待つ事にした。  一時間後再びミツエの携帯を鳴らすと まだ眠っていたらしいミツエはそれでも こごもった声で出てくれた。


「私にもよく解らないんだけど……アッと云う間の出来事って感じだったよ。ホーム側の職員たちには箝口令みたいな指示が出てさ……何か胡散臭いよねえ!」

確かに……しかし、これが土方の言っていた「明日ですべてが終わる」結果?

そんな筈はない。一昨日別れの時、わざわざ引き返して茜に言葉を投げかけた土方の表情は これまで見慣れた厳つさの他に哀しさ、寂しさの他に、「お母さんを恨むんじゃないよ」と言った時の顔には優しさが滲んでいた。

「何かさぁ……嫌なカンジよ!施設長もアタフタしてトンチンカンな事ばかり言っちゃって馬鹿みたい」

茜は、いつも落ち着き払っている施設長の東条寿子の顔を思い浮かべた。

施設長にも知らされていなかったと云う事か。

ミツエとの会話は看護師の咳払いで中断された。夢中になって長電話になっていたらしい。 茜は、あからさまに不機嫌な態度の看護師に「すみません」と頭を下げて詰所を出た。


茜のモヤモヤはこの日ばかりか翌日も翌々日も続いたが、今日は薫子と麦がハワイに発つ準備の手伝いに追われていた。 二人は空港のホテルで一泊して旅発つのでホームの出発も一日前倒しである。 二人とも土方の事には触れない。存在さえ忘れている様な振る舞いで、茜は もしかしたら土方が退所した事を本当に知らないのかもしれないと思った。事実、迎えのハイヤーが来て出発する時、薫子が「土方さんにお土産楽しみにしていてってお伝えしてね」と言ったのだ。なるほど、箝口令は功を奏している。茜は空洞になった胸を擦りながら詰所に戻っていった。


訃報が届いたのは大晦日の朝だった。

塩釜清明がアメリカマイアミの別荘で変死体で発見されたのである。原因は調査中と云う事で一切公開されず、マスコミだけがあらゆる方面のアナリストを駆使して連日の報道合戦を繰り広げる中、その陰で大晦日の午後、都内のホテルで客室清掃員によって発見された老人はすぐに土方潤一郎と知れた時、謎の多い土方の急死にマスコミの一部は興味を持ったが、大勢は一般市民の認知度が高くニュースバリュー面では

塩釜清明の方がはるかに反応が良かった為と、土方の急死は心臓発作によるものと早々に判明した理由でベタな扱いとなった。


事件から3ヶ月過ぎたある日、午前11時。茜を訪ねて来た人物がいた。

茜はドアスコープを覗いて驚愕した。ドアの前にあの黒服が立っていたのである。

茜が、対応すべきか居留守をきめるか迷っているとテーブルの上でスマホが着信音を鳴らしながら震え出した。発信先は「スターホーム」である。茜は躊躇なく受信にスライドしたのだが思わずアッと声をあげた。電話をかけてきたのがドアの前にいる黒服だったからである。 まぁ…こんな事ぐらい朝飯前なのだろう。茜は仕方なくドアセーフティの範囲内で対応することにした。

「お休みのところ申し訳ありません」 茜は常々、この男は絵に描いたような慇懃無礼極まりない「食えない奴」と、少々下卑た評価を下していたので「ふん」と鼻で応えた。その証拠に今も、決して目を合わそうとしないではないか。

「用事は何ですか?」 茜は自分でも驚くほどつっけんどんに言ったが、黒服はまったく取り合わず「土方氏からのメッセージと贈り物をお届けにあがりました。必ず

今日中にお届けする様にと」 土方と聞いて茜の身体は硬直した。

暫く黒服の無表情な顔とドアセーフティに添えた自分の拳を交互に眺めていると 

「土方氏の遺言です。あなたの誕生日である今日 お届けする様にと」

茜は、今日が誕生日と云う事を本当に忘れていた。常日頃、茜は祝い事など自分には相応しくないと自身に言い聞かせてきたからだが、思えば、叔母のさくらだけは

必ずバースデイカードを贈ってくれていたのである。今日もおそらく外に設置されている郵便ポストに届いているだろうと思う。

「こちらが土方氏からの贈り物です」黒服がドアの隙間から差し入れたのは一通の封筒だった。 受け取るべきかどうか茜が迷っていると 「取り敢えず受け取って頂きます。受け取って下さらないと私の仕事が終わりません。もし受け取って、どうしてもお嫌でしたら……72時間お待ちしますのでこちらまでご連絡ください」と言って

ナンバーの書いた名刺大の紙をドアセーフティと茜の拳の間に挟み込み 「ではこれで失礼いたします」と、アッサリ引き上げた。

茜は腹を決めた。

どうしても確かめたい事がある。

「………待って、待って下さい」 黒服は振り返らず足を止めた。 「…あの…少しお時間を下さい……」 「時間?時間なら72時間…」「いえ!今です!」 「随分急ですね……2~3時間でよろしければ、承知しました」黒服はやはり背を向けたまま言うと足音も立てず茜の指定したカフェに向かって行った。


茜の今日のシフトは夜勤である。茜は身支度を整えながら、指定したカフェに向かう道すがら頭の中を整理していた。

茜が先ず一番知りたい事は……土方は本当に半世紀以上も前に起きた事件の主謀者なのかという事だったが、果たして黒服は土方の人生をどこまで知っているのか……


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