第10話
弟が亡くなったと云う事は……
土方はAか兄と云う事になる。
「日本の何十倍もある大陸で一人の男を探し当てるのは針の穴に像を通すに等しい」と、土方が呟く様に言った。
そこで兄は「蛇の道は蛇」を地でいく覚悟を決めた。何としてもAの行方を捕まえなくてはならない。ひょっとすると、A自身も事件に巻き込まれて既に死んでいる可能性も……だが、モーテルの管理人の話を聞く限り Aが姿を消したのは兄がマイアミに着く直前だと云うから考え難い。とにかくAは限りなく怪しい。
腹を括った兄は躊躇なく飛び込んだ裏社会で汚い仕事は勿論 できる事は何でもやった。 「この辺は省くよ、茜には刺激が強すぎる。あと2~3分で終わる」
兄がAらしき人物を見つけたのは、30年ぶりに日本に帰国した時である。
その前にも何度か帰国はしていたが、いつも分刻みのスケジュールであった為ホテルでゆっくり新聞に目を通す時間はなかった。当時の本拠地はニューヨークだったから日本の新聞は簡単に手に入るが、あまり熱心に読み込んだとはいえない。それが今、ホテルのラウンジで手に取った経済新聞に日本を代表する事業家たちに依る囲み記事の中にAらしき人物が紹介されていたのである。
顔つきが変わって見えるのは経年によるものと整形だろう。名前が違っているのは金で買い取ったか。しかし、顔を変えようが名前を変えようが裏社会で暗躍していた土方にとって見抜くことなど大した事ではない。土方は部下に命じてAの身辺を徹底的に洗い確信を強めていった。Aが日本で起業したのは40年前。その前は10年程ロサンゼルスやサンフランシスコを拠点に活動していた事。土方と違い堅気の商売で成り上がったらしい事など。土方はその過程で4年前「真心」が多摩地区にセレブ用の老人ホームを建設予定である事実をいち早く突きとめたのである。 「明日、明日だ、明日で終わる…」 土方はそのまま遠い目をして黙り込んだ。 疲れて落ちしてしまったのかと茜は思った。 「あの……土方さん……」 茜が声をかけると土方は項垂れていた顔をゆっくり持ち上げ「明日だ」と、もう一度呟いた。
明日はクリスマスイブで盛大なパーティーがある。
明日、何かサプライズがあると云う意味か…いやいや、そんな筈はない…土方はそんな浮かれたイベントなど興味ないはずだ。聞いたら答えてくれるだろうか……目をギュッとつむり唇に拳をあてて考えこんでいる茜に「今日はありがとう、印象深い夜になった」と、土方に言われて茜は慌てた。
もうこれでお終いと宣告されて、茜はやっと思い切る事ができた事は出来たのだが…… 「………その…ええと、土方さん…あの…つまり……」と、心許ない。
「死んだのは俺の弟だ」 土方のストレートな物言いで茜はアッと出かかった声を両手で抑え込んだ。
「殺されたんだ、弟はAに殺された」 慌てふためく茜を他所に土方の声は淡々としている。
それでは、Aとは誰の事を指しているのか……自分の身近に?明日すべてが終わると云う意味は? そもそも、土方は何故、何の為にこんな話を茜に打ち明けたのか…
時刻は夜の11時半を回っていた。
「茜、そろそろお開きにしようか…聴いてもらったお礼に何か俺に訊いておきたい事があれば聞くが短くな」
茜は喉元に詰まっている不快な塊を砕き腹を据えた。
「…それでは土方さん、お尋ねします。お聞きしたい事は沢山ありますが、時間がないので今日は一つだけ、、、何故、私にこんな重大な事を話そうと思われたのですか?」 土方は少し間をおいてから「回顧録」と、短く言ってカラカラ笑い出した。
茜が「え?」と云う顔をすると土方は真面目な顔に戻り言った。
「茜、お前は生きたい様に生きろ。誰にも遠慮はいらない。思うままに生きたらいいんだ。この国は早晩滅びる。この国を弄んでいる権力者たちの薄汚い顔をよく見ろ。誰も責任を取らないこんな国はいづれ滅びる運命にある」
「さぁ、これでお別れだ」土方が半ばあっけに取られている茜をドアに誘う(いざなう)とドアの外で待機していた黒服が扉を開けた。やはり茜とは目を合わせない。
しかし、ドアが半分閉まりかけた時である。
土方が車椅子を回転させて言った。 「茜、よく聞け。茜、お母さんを恨むんじゃないよ。お母さんは…お母さん流の決着をつけたに過ぎない。こんな俺にも両親はいたが事件後一度も会う事なく死に別れた。俺はずっと一人で生きてきたが、こんな俺にもオレ流の決着のつけ方がある。お前と出会えて良かったよ」
土方が再び車椅子を回転させて背を向けるとドアが静かに閉じられた。
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