第4話

茜は新幹線の中で考え込んでいた。

祖父の二十一回忌があるから、と云う情報は母からではなく叔母のさくらからである。  叔母は、殆ど家庭を省みず大宮でいい気になって暮らしている父も、どういった風の吹き回しか顔を出すらしいから行ってみてはどうかと言うのである。

茜は、あれこれ理屈をこねては逃げ回っていたが土方の一言で気が変わった。

土方は、90歳とは思えぬ引き締まった身体の持ち主で二階にある小スペースのジムの常連だった。肌が浅黒いのはゴルフ焼けと本人が言う通り月に二度はゴルフ場に出向いている。


さくらから情報が入る少し前、茜は 「手足の爪が伸びたから切るのを手伝ってくれ」 と、土方に呼ばれた。

「ここ2~3日暗い顔だ。何かあったか?」

爪切りがほぼ終わる頃、ソファーに寝そべり足を投げ出していた土方が「ヨッコラショ」と 身を起こしながら茜に訊いてきた。不意の問いだったので茜はつい「実家で法事があって……」と答えてから腹の中で「しまった!」と思った。

スターホーム居住者のプライバシーは厳重に保護されているのに、職員たちのプライバシーは少々軽んじられていると茜は思っている。

ミツエは、茜が介護福祉士の試験に合格すると間もなく 人事異動の時期とも重なり暫くすると3階フロアーの担当に変わり、6階フロアーは茜一人でマネジメントする事になった。 ミツエが3階に異動する前の担当は解雇されたらしいが、解雇の理由を何気ない世間話の様に茜の耳に入れたのは担当フロアー外の住人である。

この住人は無表情の仮面をつけているのかと思う程 顔の筋肉が動かなかったが、

時折りレストランで大口を開けてあくびをしてるから筋肉が強張る病気ではないらしい。

他にも、職員にまつわる噂は常に住人からのタレコミである。

もっとも、これら噂のソースは職員の誰かがタレ流していると思われる。意図のあるなしに拘わらず、雑で口の軽い人間はどこにでもいるものだ、と、茜は思っているので自身のプライベートは極力押さえ込んでいるつもりだったが。

「クニは那須塩原だったな?いいゴルフ場がある。行ってきなさい」  茜はハタと考え込んだ。土方に実家が那須塩原と言った覚えはない。

―――まったく、プライバシーもなにもあったもんじゃない―――

取り分けて隠す必要もない事だが、茜は胃の中に重たいモノが落ちる感覚を覚えていた。   「行ってきなさい」 土方は繰り返し言った。そして、「見るは法楽と云う言葉もある。その目で見てから判断すればいい」と、謎の言葉のあと 「ありがとう、もういいよ」と言って立ち上がった。


――修羅の家――茜は実家をそう呼んでいる。昨年、一年半ぶりに帰省した時

大きな木造づくりの厳つい門に妖気を感じ取った茜が やっぱりやめておこうと踵を返した時、運悪く、茜が子供の頃から初島家に仕えている家政婦が買い物から戻ったところだった。よく知っている家政婦なので逃げるわけにもいかず、茜は渋々厳つい門をくぐり抜けた。

庭は定期的に訪れる出入りの庭師の手により見事に整えられていたが、一歩内に踏み入るとその空気感は一変した。家の中が荒れている訳ではない。ゴミが散乱して足の踏み場もない訳でもない。それでも茜の身体中の神経が騒ぎ、取り分け遠くから漂ってくる微かな臭気を ある器官が絡め取っていた。


母の菫は50歳を過ぎたはずだが、異様に思える程若々しかった。

茜と並んでも姉妹にしか見えない。むしろ、日々の業務、生活に追われている茜の方が年上に見える程だ。

茜は形式的な挨拶と嚙み合わない空虚な会話をしながら そそくさと帰り支度を始める。家政婦が淹れてくれた高級な緑茶も菓子も 茜が捉えた臭気が邪魔をして手が出ない。

母はそんな茜に不満を漏らす訳でもなく、引き留めるわけでもない。

一方、茜の方も母に対して思慕の念が希薄である。 一体いつからこんな感情を抱く様になってしまったのか……覚えがない訳じゃない、見なかった事にしたいのだ。

  ―――アレからだ…―――と、茜はむしろ確信している。



当主の惣一が急死したあと、喬子は何かにつけ菫を責め立てコキ使った。

ある夏の酷暑といわれた日。喬子は庭の外れに建てられた蔵に探し物をするからと菫を呼び出し、途中、用事を思い出したからと言って蔵から出ていった。

だだっ広い牧草地を背負った蔵の中はあっという間にサウナの様になり、堪らなくなった菫が外に逃げようと出入口に走ったが鍵が下ろされてピクリともしない。

そして、天井近くにある二か所の窓もきっちり閉じられていた。

菫がどんなに大声で叫んでも、ドアを叩いても届く筈のない残酷な響きである。

家政婦が、喬子に菫の姿が見えないと言うと 「わたしは出来の悪いヨメの子守りじゃない!」と、取り付く島もない。学校から戻った茜が恐る恐る「おかあさんは?」と聞いても喬子は薄笑いを浮かべているだけだった。

結局、菫が発見されたのは翌日の昼過ぎである。出入りの庭師が、請負仕事の都合で一週間前倒しで手入れをさせてもらえないかと訪ねてきた。この偶然のお陰で菫は助かったのである。家政婦と庭師がぐったりしている菫を外に運び出し、救急搬送されるさなか、喬子は母屋から一歩も出てくる事はなかった。


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