第3話

茜が配属されたのは6階フロアーだった。

茜は介護職に従事して2年経過していたが、介護福祉士の資格道半ばの状態で

職場を変えたため「真心」の求人条件には不適合だったが、面接した「スターホーム」の理事長 東条寿子(とうじょうひさこ)は2年以内に介護福祉士の資格を取得する事を条件に雇い入れてくれたのである。

その為、配属された6階フロアーはベテランの職員 加賀 ミツエ(かがみつえ)のアシスタントとしての起用だった。

6階フロアーには居住者用個室が10室。夫婦での居住者は僅か3組なので13人しか居ない。他に看護師や介護士、コンシェルジュ、保安管理者が常駐する詰所があり仮眠室もある。

ワンフロアーの平均は約36000㎡であるから かなりゆったりしている。と、云うかガランとしている。その方が何か問題が起きた時 障害物に邪魔される心配がないと云う考え方だ。

個室の面積は一番広い部屋が100㎡ほどある。狭い部屋でも80㎡はあるから掃除が大変だろうと考えるのは庶民のみで 彼等は掃除などしない。ルームサービスを利用すれば隅から隅までピカピカに磨き上げてくれる。


新しい住まいと新しい職場、資格試験の勉強と茜は毎日がとても忙しい。

スターホーム従事前の講習が計3回行われ講師はスタッフ其々が担う仕事と責任についてレクチャーするのだが、特に、居住者のプライバシー厳守に関しては厳しかった。

「つまり、入居者様に余計な詮索はするな、もっと言えば興味を持つなって事を言いたいのよ!」 加賀ミツエはこんな事を言いながら 「603号室のおひとり様ね、元女優だったって噂よ」なんて事をヌケヌケと口にしたりする。

最初こそミツエの二枚舌に驚いていた茜だが、徐々に 上手く聞き流す術を身に付けていった。と云うのも、ミツエが全フロアーの居住者のプライバシーをちょこちょこ小出しにするのはストレスの多い環境の中での発散、いわばガス抜きと思われたからだ。そして茜自身も、庶民とはかけ離れたれた資金力を持ちながら、家族とは一線を画す生き方を選択したスターホームの居住者たちとは一体どういう人たちなのだろうと云う興味があったからである。

いつしか茜とミツエの間には 「ここだけのハナシ」と云うカテゴリが構築されていた。


603号室の元女優は芹沢 薫子(せりざわかおるこ)  いつも大きなマスクで顔を覆い、色付きで派手な装飾の眼鏡をかけているので一年経過した現在も素顔を見た者はいない。85歳の高齢ながら毎晩7階フロアー シネマ室横のバーでカクテルを2~3杯飲んで引きあげる。

月に一度弁護士らしき人物が訪れる以外来訪者はいない。

「元はチヤホヤされ放題の女優だからね、老いさらばえた姿を見られたくないんじゃない?」とはミツエの見立てだが、茜はそうは思わなかった。

毎晩バーに通う行動は人恋しさ故ではないかと考えられるからだ。

介護福祉士の研修の中で「人間の行動」の意味をチラと解説された記憶がある。

カクテルを飲みたいだけならコンシェルジュに言って バーより豪華な部屋で夜景を眺めながら楽しめば良いのだ。その方が老いさらばえた姿を晒さずに済むだろう。


もう一人、茜には気になる入居者がいた。

607号室のおひとり様  土方 潤一郎(ひじかたじゅんいちろう)と云う名の強面の老人。88歳である。

土方潤一郎は芹沢薫子と違い来訪者の多さが目立つ。来訪者の殆どが黒服の男たちで

これもミツエの観察では 「元、ウラ社会の大物」らしいのだが、これは二人だけのここだけのハナシなので確かめようがない。


茜は三度、詰所の看護師に指示されて土方の部屋に入った事がある。

100㎡はあろうという広い部屋だったが、意外だったのは調度品が少なく質素にさえ見えた事だ。603号室が豪華絢爛だったので余計そう感じたのかもしれない。

「国家試験はいつだ?」 茜が初めて土方の部屋に入った時の土方の最初の声掛けがこれだった。試験は3ヶ月後の1月中旬である。

この試験に合格すれば 茜は晴れて介護の上級資格を手に入れる事ができて

現在の待遇を上げるチャンスが巡ってくる。今でも不満の少ない恵まれた待遇であるが、もっと上があるなら上を目指したいと思っている。

土方は二日前に行ったゴルフで張り切り過ぎたと言って 茜に上腕と足のマッサージ、背中や腰に湿布を貼らせると 「試験 頑張りなさい」と言って茜を解放した。

土方は、ミツエが言う「元 ウラ社会の大物」とはとても思えぬソフトな雰囲気を纏っていた。


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