9匹目 お腹の空く日々
「……朝?」
ふっと水面に浮かぶように、目が覚めた。起き上がって額に手を当てる。
今日の予定は、特にない。
ふぅっと息を吐いて、ベッドサイドのベルを揺らした。メイド達が入ってきて、一人は顔を洗う水を、また一人は今日のドレスを、皆各々がいつも通りの物を持ってくる。
「本日のご予定の変更はございません」
メイドの一人からそう報告を受けながら支度をして、窓際の椅子に座る。出された朝食を食べ、また支度をする。我が家の馬車で学園に向かい、学友達に挨拶をする。そうすると、いつもまとわりついてくる令嬢方が、殿下とアリアさんの動向を、勝手に教えてくる。そのうち、殿下にエスコートされてアリアさんが教室にやってくる。
「……エレノア、またアリアを悪くいうのか?!」
「私は何も申し上げておりませんが」
殿下がまた雑音を喚き散らしている。正直、心底どうでもいい。
平民出身だろうと、殿下と浮気をしていようと。私には関係がない。
ただ、私は侯爵家に生まれ、第一王子殿下の婚約者であり、ゆくゆくは国母になるのみ。それだけのこと。
でもなぜ、よく思われていない方を学年の違う教室まで連れてくるのか。意味がわからない。
ぼぅっとしていれば、いつのまにか授業は始まり、昼休憩になる。
「本日のご昼食でございます」
大貴族以上しか入れない教室で一人ランチを食べながら、午後の王妃教育の資料を読み込む。今日もまた、お祖母様から教えていただいた内容で、つまらない。
ふと窓の外を見れば、中庭で殿下とアリアさん、その他御令息達が共にランチをしていた。
「少し、休むわ」
ここにだって陽光は差しているけれど、本当だったら中庭で昼寝がしたいと、そう思った。
そうしていつもの時間にメイドに起こされ、学園を出て王宮で教育を受け、帰ってまた自分の部屋で夕食にし、学園の授業の復習を終えて、寝支度をしてベッドへ潜り込む。
「失礼いたします」
「……今日もご苦労様」
目を瞑りながら思う。
明日起きたら、幼い頃に戻っていればいいのに、と。
そうしたら、
『なんですか、ノラ』
私を愛称で呼ぶ、ゆったりとしていて張りのある声が聞ける。
『言葉は大きな壁であり、大きな武器なのですよ』
お祖母様の口癖に「もう耳にタコができてしまいますよ」なんて口を尖らせながら、楽しい王妃教育を受けられる。
『味見しますか?』
現王妃様の教育をしていたお祖母様は、作法からお裁縫、お料理まで得意で。
美味しいおやつを作っている様子を、お祖母様の腰にひっつきながら見上げる、私の一番好きな時間を過ごせて。
『大奥様の美味しいおやつですから、とっておきの紅茶をお出ししなくては』
厳しくも愛情深いお祖母様と優しい使用人さん達の愛情に囲まれる、別邸での素敵な暮らしに戻れるのに。
そうしたら、
『エレノア様! またアリアさんが!』
学友の媚びた声を聞かなくていい。
『少しでも我が家の益となる気はないのか』
お父様の怒鳴り声を聞かなくていい。
『ぁあの人、浮気したのね! そうなのね! ああ、あああ、ああ……どの女の娘なの、あなたは!!』
壊れたお母様の悲鳴を聞かなくていい。
……でも、私は知っている。
ある偉大な侯爵が冤罪をかけられて、命を落としたこと。後にその息子が冤罪だと証拠を見つけたこと。冤罪をかけたのが
あるお嬢様が騎士と恋をしていたこと。二人は政略結婚によって引き裂かれたこと。お嬢様がお母様になったことで、騎士は自害したこと。その女はそれを知り、色に狂ったこと。
その娘は、冤罪をかけた家に嫁ぐこと。
祖母はとうに他界したこと。
夢は所詮、夢であること。
『…………国に未練はあったりするか?』
*
「……いいえ、まったく」
朝、目が覚めると、そこは別邸でも、本邸でもなくて。
「おはようございますお嬢様!」
マーレリアの言葉で挨拶される。そこで私ははたと気づいた。あれは昔の夢だったと。
「……おはよう」
昔の夢なんて、生まれて初めて見たかもしれない。
着替える時、ふとロケットペンダントを開いた。そこにはありし日の私とお祖母様がいる。肖像画を取り出して、裏を見た。
『一番大事なことは、自分の心のままに“生きること”』
なんだかお腹が空いてきて、今日のご飯は何かしら、と思った。
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