「第十六話」急がば回れ
風を切る音が響く中、俺は目覚めた。
「……っ、ぅ」
起き上がると同時に、自分の視界が揺れているのが分かった。
いやこれは視界が揺れているのではなく、自分の脳が揺れているのだ。後頭部にじんわりと残る鈍い痛みに唸りながら、俺は鉄柵を頼りに起き上がった。
そうだ、思い出した。
俺はあの時あの女に突き落とされて、そして。
(この鉄柵に掴まって乗り込んだのは良いものの、後頭部を強く打って気絶した)
我ながらなんとも情けない。エメットがこれを知れば、鬼の形相で訓練だやり直しだの言いながら殺しにかかってくるだろう……いいや、今はそんな事を気にしている場合ではない。
俺は自分の剣がきちんと背中に背負われていることを確認し、次に右腕に巻き付けてある腕時計に目をやった。どうやら俺は、三十分以上気絶していたらしい。
死んでいないだけマシだ、と。
いつもの俺ならそう言って気持ちを切り替えていただろう。
「アウニル……!」
だが今回は違う。俺には、一刻も早く助けなきゃいけないやつがいる。
三十分以上気絶していた。ということは、俺はアイツに三十分という長い長い孤独と恐怖を呑ませてしまったということだ。
俺は怒りを煮やしながら、しかし抑えるところは抑えながら冷静な判断ができるだけの理性を残した。
感情的になってはいけない。冷静さを失い、無策に突っ込んだ結果がこれだ。
深呼吸。
十秒、たっぷりと息を吸い。
また十秒、ゆっくりと吐き出した。
「待ってろ、今助ける」
恐らく魔女は先頭車両の機関室にいる。だがもう屋根の上からは行かない……先程のようなヘマはしないにしろ、万が一落とされてしまえば次は助かれるかどうか分からない。
ここは堅実に行こう。
そう決めた俺は、車両への入口のドアノブを掴み捻り、引っ張った。
「──は?」
足を踏み入れて、出てきた最初の感想はそれだった。
乗客が全員倒れている。
だが死んではいない、呼吸はしている。──いいや、見るべきはそこではない。
遠い。
ここが電車の車内だということは分かる……だが、何だこの違和感は。近いのに物凄く遠く感じる、空間と空間が引き伸ばされているような気色の悪い感覚。
空間の広さもそれに伴う面積も、見る限りでは何の変化も異常もない。
それでも俺は、この空間に対して吹き出る汗が止められなかった。
振り返る。
しかし既に扉は閉められており、どれだけ強く殴っても剣を叩きつけても開かない、壊せない。既に俺は閉じ込められていたのだ。
「だが、扉はちゃんとある!」
水平線の向こう側に見えるそれは、紛れもなく扉だった。
俺はその扉に向かって全力疾走する。どれだけこの列車のあちこちがおかしくなっていようが、結果的にアウニルの……彼女を捉えている魔女を殺せる位置に俺が立っていればいい!
だが。
「辿り、着けねぇ……!?」
走っても走っても、それに近づくことはできなかった。
前に進もうとしても進まない。だが決してあの扉が離れているのではない……そう、言うなれば俺が進めていないと言ったところだろうか?
「はぁ、はぁ……どうなってる」
進めない。
近づけない。──それでも、やるしかない。
「ウォぉおぁああああああああああああ!!!!」
俺は進む。確実に一歩は踏み出している。
それでも俺と扉の距離が縮まることはなく。あくまでその場から不動のまま……扉は遠くで俺を見下すように立っていた。
「はぁ、はぁ」
駄目だ、中からの突撃は無理だ。
屋根に登っていくしかない。俺は腹を括り、走り続けた道を戻ろうとした。──そこで気づく。振り返ったすぐ目の前に、先ほど開けて入ってきた扉があることに。
「……?」
俺は進んでいた。なのに、結局一歩も進んでいなかった。
骨折り損のくたびれ儲けだな、と。自分で自分を嘲笑った。
(……いや、待てよ?)
その時だった。
何故か、唐突に、俺の脳内に稲妻が走ったかのように閃きが迸る。
「……ああ、やっぱりだ」
扉に繋がる壁をさすりながら、俺は笑った。
そうだ、考えてみればそうなのだ。どれだけ歪んでしまってもここは室内。それを区切る壁も……壁に区切られた空間もある。
壁伝いに歩いていけば扉に辿り着く!
「急がば回れ、ってやつか」
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